ドラムの達人が見つけた、がんと戦う極意 悪性リンパ腫を克服したジャズドラマー・大隅寿男
主治医が突きつけた二つの条件


大隅さんは、自分が知りたいこと、あるいは、自分が本来知っていなくてはならないことを、明快な口調で語るT医師を見て、この人に診てもらえないものかと思った。
そのことを伝えると、T医師は「私の約束を守れますか? 守ってもらうことがたくさんありますよ。それをすべて守るというなら、お引き受けします」
「たとえば、どんな?」
「今日限りタバコはやめてください。血液がんの30パーセントはタバコが原因という説もあるんです。それに、タバコはがん細胞を悪いものにかえるリスク要因も孕んでいると言われています。だから、これだけは守ってもらわないと困るんです。私のほうは、引き受けてもいいと言ってるんだから、あなたも、ここで決断しなさい」と迫った。
大隅さんは、一瞬躊躇した。間髪を入れず「タバコはやめます」と答えたいところだが、1日平均20本吸う習慣を完全にやめることが出来るか自信がなかった。しかし、そのときの大隅さんは、がんを克服するには、根本から自分を変えるしかないという気持ちのほうが勝っていた。だから、少しおいて、「判りました。タバコは今日限りやめます」と言い切ることが出来た。
「そうしてください。それと、もう一つ。薬は私が指示したもの以外一切やらないでください。とくにがんに効くと称して巷で販売されているものは絶対やらないで下さい」
「それも、守ります」
言葉だけでなく、大隅さんは親しい友人が送ってくれた10万円以上する高価な薬と称する品物を、送り主の元に返している。角が立たないよう礼を尽くして返したのは言うまでもないが、あえてそこまでしたのは、大隅さんがT医師に心酔し、ほとんど洗脳状態だったからだろう。
このような経緯で大隅さんはT医師という全幅の信頼を置ける主治医にめぐり合うことが出来た。大隅さんと、がんとの闘いは、このT医師にめぐり合った時点で開始されたと言っていい。
T医師が大隅さんのために考えた作戦は、大隅さんの長所をふんだんに取り入れたものだった。
「最初はどんな治療法でいくのかと、期待していたら、『無治療観察療法』でいくというんですよ。治療しないのが治療だなんて、なんか禅問答のようでしたが、狙いはすぐにわかりました。先生曰く、がんの治療法は、手術、抗がん剤、放射線の3つのほかに、観察療法というのがあるというんです。こ���は、薬品を使わないので無治療と呼ばれていますが、実際は患者の免疫力を高めて悪性腫瘍を小さくするのが目的なんです。ごくまれに、それだけでがんが消滅してしまうこともあると言っていました。この方法は患者の免疫力を薬代わりにするわけですから、T先生からは、栄養の片寄りのない美味しい食事をたくさん食べるように言われていたし、ゴルフも好きなだけやってくださいと言われていました。もちろん、ジャズの仕事もOKです。やりすぎるのはよくないけど、消耗しない程度にやる分には免疫力のアップに繋がるというので、以前と変わらないペースでステージに出ていました」
しかし、根っからのジャズの虫である大隅さんの免疫力アップに一番貢献したのは、レコード会社(M&Iカンパニー)が抗がん剤治療に入る前に新しいCDのリリースを決めたことではないだろうか。
これは『グレイトフル』のタイトルでリリースされ、好評を博した。グレイトフルとは、有難く思う、感謝の気持ちをもつ、という意味だ。そこには、がんとの本格的な闘いに臨まなければならない自分に、CDのリリースという、心憎いばかりのプレゼントをしてくれた人たちへの感謝の念が込められている。
ライブハウスは元気の供給源


この大隅さんの強靭な体力に目をつけた、免疫力でがんを小さくする作戦は、目論見通りの効果を上げることが出来た。
抗がん剤と新しい分子標的薬リツキサン(一般名リツキシマブ)を組み合わせた化学療法がスタートしたのは、その年の11月のことだが、その時点で以前は1.5ミリ以上あったがん細胞は、1.5ミリを大きく下回るレベルに縮小していた。しかも、奥様が栄養のバランスを考えた美味しい食事を毎日テーブルの上に並べてくれたので、がん患者なのに、大隅さんの体重は63キロから69キロに増えていた。
こうして大隅さんは心も体も最高の状態で、抗がん剤治療に入ることが出来た。
4種類もの抗がん剤を組み合わせて行う治療は副作用も半端ではない。1クール目はそれほどでもなかったが、2クール目には入ると抗がん剤がからだに入ったとたん、不快感が底のほうから突き上げて来るようになった。あまりの苦しさに、思わず叫び声が出ることもあったが、それでも、点滴をはずせないのが、抗がん剤療法の辛いところだ。それだけではない。髪の毛は全て抜け落ちていたし、心臓の機能も50パーセント程度に低下していた。爪も抗がん剤の影響で黒ずみ、フニャフニャになっていた。
そうした状態になっても、主治医のT医師は大隅さんにステージに立つことを勧めた。ステージに出ることが免疫力が高める一番の手段であることを知っているからだ。
大隅さん本人も、ソロを短くしたり、あまり体に負担がかからない曲をプログラムに組み入れたりしながら、ライブハウスのステージに出ることにこだわった。そして共演者の人達も大隅さんに協力し、彼を支えてきた。30年間ライブハウスでドラムを叩き続けた大隅さんにとって、生きるエネルギーを与えてくれるものは、そこのファンが送ってくれる拍手と声援だ。いってみれば、彼はファンの人たちに、元気をもらいに行っていたのだ。
その元気で、免疫力を高めたからこそ、抗がん剤の副作用に苦しんだ半年間を、一度も感染症にかかることなく乗りきれたのではないだろうか。


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