21世紀型がん患者第1号 IT時代の入院スタイルでがん治療と仕事を両立させた渡辺和博画伯

取材・文:吉田健城
発行:2004年8月
更新:2015年7月

相部屋は付加価値がいっぱい

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入院生活に入った渡辺さんは、早速カテーテルを動脈に差し込んで抗がん剤を注入する肝動脈塞栓術治療を受けることになった。

それ自体は無事に済んだが、そのあとがいけなかった。副作用で例えようのない不快感に襲われ、そのあとの2日間、ずっとダウン状態の極地に沈むことになるのだ。医師や看護師からは、副作用は少ないと聞いていただけにショックも大きかった。

そのときの状況を渡辺さんは『キン・コン・ガン』の中で「ツラかったのは、その気持ち悪い状態が永遠に続くように思えてくることだ」と述べている。

この危機的な状況から渡辺さんが立ち直ることができたのは「相部屋」にもっと悲惨な人がいて、アノ人に比べれば自分の苦しみなんか、たいしたことないと思うことができたからだ。

冒頭で『キン・コン・ガン』の中で示されているがん患者のための2つの新常識を記したが、その1つが「相部屋のススメ」だ。

なぜ、入院するときは個室ではなく4人部屋や6人部屋に入るべきなのか?

その理由は、次の文を読んでいただければ、実感でわかっていただけるはずだ。

肝動脈塞栓術を受けたあと、渡辺さんは極度の不快感に襲われ、ひどいダウン状態が続いていた。それを何とか耐えることができたのは、4人部屋の住人の中にさらにヒドイ副作用に苦しんでいた人がいたからだ。ほぼ1週間、ずっとベッドの上でのたうち回っているその人を見て、渡辺さんはそれ以上ダウン状態にならないよう、自分に歯止めをかけることができた。

「その人を見てると、このまま死んじゃうんじゃないかって思ってしまうくらいヒドイ苦しみようなんですよ。あまりの凄まじさに、俺もこうなっちゃうんじゃないかと、一瞬ビビッてしまうこともあったけど、やっぱり苦しさの次元が違うんだ。それに気づいたら、正直、ちょっと救われた気分になりましたね」

「相部屋メリット」はこれに限らず、いろいろあったようで『キン・コン・ガン』では同室の元警察官のオジさんのことがユーモアたっぷりに描かれており、そのオジさんの存在が最高の癒しになっていたことが手に取るようにわかる。

このように、相部屋入院には数えきれないほど、多くのメリットがある。とくに長期入院が多いがん患者にとって、相部屋に入ることは精神衛生上、必要不可欠であると言っても過言ではない。もう1つ重要なのは、相部屋は情報の宝庫であるという点だ。がんで入院する場合、相部屋にいる人たちは全員がん患者であることが多い。だからそこにいるだけで、がんに関する基礎的な知識が身につくし、本では知り得ない情報を吸収できる機会も多い。また患者仲間には研究熱心な人や情報に通じている人が少なくないし、親分肌の面倒見のいい人もいる。そうした人たちから得��役に立つソフトは、個室では、入手不可能なものだ。それなのに世間には、差額ベッド料金表のランク付けで上に行くほどいい入院生活が保証されると考える人が、いまだに多いようだ。これがとんでもない誤解であることは、ちょっと考えれば判りそうなものだが、なかにはつまらない見栄で、わざわざ自分を最悪の環境に閉じ込めている人が少なくない。『キン・コン・ガン』はそんな「差額ベッド型の発想」に凝り固まった人に読ませたい格好の啓蒙書だ。

ノートパソコンが可能にした21世紀の入院スタイル

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次はがん患者の新常識「その2」に挙げたパソコン持ち込みの「IT入院」についてだ。そもそも、渡辺さんはどんな事情でパソコンを持ちこんで仕事をしようと思い立ったのだろう?

「肝臓がんで入院することになったとき、はじめは治療に専念したいという気持ちが強かったんで、病院に入っている1カ月は連載の仕事も休みにしてもらって、退院したら再開すればいいと思っていたんですよ。ところが長いつき合いの編集者から、病院にパソコンを持ち込んで肝臓がん闘病記を書かないかという話が持ちあがり、パソコンを持ち込んで入院することになった。幸い僕はイラストを描く仕事は以前からパソコンでやるようにしていたんで、お絵かきソフトがインストールされたノートパソコンさえあれば、何の支障もなくイラストの仕事がこなせるわけですよ。文章を書くほうの仕事も、パソコンがあればできるので、午前中限定でノートパソコンと向き合うことになったんです」

もちろん入院中の身であるから1日中パソコンと向き合っているわけにはいかない。それに、抗がん剤の影響で体力がかなり落ちていたし、食後に4種類の薬を服用したあとは必ず眠くなった。

そこで仕事は、朝食をとり、売店で買った新聞に目を通したあと開始し、昼食が配られる前には必ずやめるようにした。

でき上がったイラストは携帯電話のメール機能を使って送ることも考えたが、病院では電子医療機器に悪影響が出るということで携帯電話の使用が禁止されていた。そのためでき上がったものはCDロムに取りこみ、出版社や新聞社の人に取りに来てもらった。

仕事を終えたあとは、なるべく睡眠時間を多くとるように心掛け、模範的な患者として過ごしたので、お医者さんからストップがかかるようなことはなかった。

こんな毎日を繰返しているうちに1カ月半の月日が過ぎ、渡辺さんは退院の運びとなる。これで治療と仕事の両立を実現させた「IT入院」も終わりとなったが、その間に渡辺さんが描いたイラストは様々な媒体の手に渡ってページに掲載され、読者の目を楽しませることになった。残念ながらそれらの作品はもう見ることができないが、1部の作品は『キン・コン・ガン』の巻末に収載され、強烈なオーラを放っている。

イラストはすべて『キン・コン・ガン』(二玄社)より


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