手術を拒否し、「生涯現役」にこだわる男 前立腺がんと闘い続けたプロゴルファー・杉原輝雄の6年間

取材・文:吉田健城
撮影:谷本潤一
発行:2004年2月
更新:2018年9月

パワー不足が目にあまり抗男性ホルモン剤を中止

写真:『加圧式トレーニング』に挑戦する杉原輝雄さん

『加圧式トレーニング』に挑戦する杉原。腕や脚など、鍛える部分を帯のようなもので縛り、酸素の供給を制限した状況のもとで行う過酷な筋力増強法だ。マラソンの選手が4000メートルの高地で心肺機能のアップをはかるのと、理論的には共通するものがあるという。これによって杉原は35歳の筋肉といわれるまでに筋力が甦った。しかし、あまりの過酷さに「女房には“おれが死んでも施設を訴えたりしたらあかんぞ“と冗談半分に言っていたくらいでした」という。杉原の、現役へのこだわりが垣間見える。(写真提供:《株》サトウスポーツプラザ)

しかしこれでは、いくら筋力トレーニングをやっても、パワーがたちどころに落ちてしまう。

それでなくても、ツアープロの中で一番飛距離が出ないのに、杉原は抗男性ホルモン剤の影響で、ドライバーの飛距離が20ヤード近く落ちてしまった。これではまともなスコアが残せないので、杉原は、思い切った決断をする。何と抗男性ホルモン剤をうつことをやめてしまったのだ。

その前年から、杉原は超ハードな筋力トレーニングに励んでいた。東京都府中市にあるサトウスポーツプラザで行っていた『加圧式筋力トレーニング』である。これは、腕や脚など鍛える部分を帯のようなもので縛り、酸素の供給を制限した状況のもとで行う過酷な筋力増強法だ。

これによって杉原は35歳の筋肉といわれるまでに筋力が甦り、ドライバーの飛距離も以前のような当たりが見えてきた。

杉原は、過酷な筋力増強法をとりながら自分を追い込んでいった。しかし、同時に抗男性ホルモン剤をうつことをやめてしまったのだ。その理由をこう言った。

「どうもパワーが出ませんでね。ボールは飛ばないし、パットも入らない。せっかく260ヤードになったドライバーの飛距離が240に落ちてしまった。女性ホルモン(抗男性ホルモン)の注射は、男のパワーを損なうといわれていますけど、本当でした。夜のほうも駄目になるし、若い女性を見ても何とも思わんようになった。まあ、これも不安だし、不満だし……」

杉原は、あとの部分を冗談交じりに言ったが、これも深刻な問題だったはずだ。やはり男子たるもの、オスとしての能力を失うことほどさびしいものはない。

持病の不整脈も頻発。最悪の事態が襲う

もちろん、主治医のT医師は猛反対である。たしかに、前立腺がんの病気が進むにしたがって上昇するPSAマーカーは、劇的に下がってはいたが、抗男性ホルモン剤の投与を止めれば、また上昇する危険性は大いにあった。そんなことは百も承知で杉原は決断したのだ。

こうして抗男性ホルモン剤をいったん中止した杉原だが、その分をカバーしようと、全国の知人や後援者が送ってくれた、がんに効くというフレコミの物を片っ端から試している。

そのなかには、多少前立腺がんに効くものもあったかもしれないが、大半は体には良いが抗がん作用がなかったり、ただ強い成分が入っているだけで、効くように見えるものだった。

このような多種多様な薬効成分を含んだものをたくさん試し、その一方で、過酷な加圧式筋力トレーニングを続けていれば、体調に異変をきたしても不思議はない。

この年の8月28日、杉原は腹痛を訴えて、予定されたトーナメントへの出場を中止。病院で検査を受けた結果、大腸憩室炎と限局性腹膜炎と診断され、2週間くらい安静にしているようにいわれた。

消化器官の炎症だけに、その間は絶食で、抗生物質を飲み続けなければならなかった。

これによる体調不良もあって、杉原は、秋に入ると持病の不整脈が頻発するようになった。左胸を強くどんどんと拳で叩いたり、ティーショットを打った後、ものすごい勢いで、駆け出したりするのは、どれも、不整脈を正常に戻すための手段だった。

がん抑止に効果的なものを積極的にとり入れた

前立腺がんと闘いながらラウンドした最初の年は、肉体的にも精神的にもきつい年になった。しかし、時間がたつにつれて、この前立腺がんとツアープロを両立させる生活は軌道に乗り始めた。

その最大の原因は、抗男性ホルモンの投与を再開してもらったことと、もう一つ見逃せないのが体にいいもの、がんの抑止に効果的なものを積極的にとり入れた生活パターンが出来上がったことだ。

「いろんな方々からご好意で送られてきたものは、どれも無駄にせず、すべて試してみたんですが、結局残ったのは、アガリクスのエキス、どくだみの葉とエキス、硬水を軟水に変える石、それに家内が毎朝作ってくれる野菜ジュースです。アガリクスは、前立腺がんを宣告される前の年から始めていましたが、がんを宣告されたころから常用するようになりました。100ccのドリンクになったものと、細長い袋に入った顆粒のものがあるんですが、顆粒をいつも持って歩いて、1日10回くらい水なしで飲んでいます。それと、最近は赤ワインも晩酌代わりにコップ1杯ずつやっています。フランスやイタリアのこってりしたヤツじゃなくて、北海道で作っているフルーティな安いやつをね。そっちのほうが、ポリフェノールがたくさん入っているらしいから」

こうした地道な努力によって杉原は健康を維持する一方で、加圧式の筋力トレーニングでパワーを維持しながらツアーに出場した。もちろんドライバーの飛距離が出ないので、予選を通過するのもままならないことが多かったが、ときには、あの正確無比といわれたショットが、ギャラリーを唸らせることもあった。

とくに、2001年の春先はショットが好調で、5月の途中までフェアウェーキープ率では、レギュラーツアーのトップに立っていたくらいだ。

杉原は前立腺がんとうまく付き合いながら、生涯現役を貫こうとしている。前立腺がんに冒されたことは、悪いことばかりではなかったようだ。

瀕死の猫の生命力に感動。生涯現役へさらに奮起

写真:杉原輝雄さん

「瀕死の猫が懸命になって生き抜こうとする生命力を目の当たりにして、がんごときに負けてたまるかと思いましたね」。前立腺がんを告知されてちょうど6年が経過したが、生涯現役を貫く鉄の意志に少しの迷いもない。守護神とも言うべき愛猫を傍らに、2004年のシーズンも、そしてそれ以降もゴルフファンを魅了していくことだろう。

それまでも杉原は、面倒見のいい関西のドンとして知られていたが、前立腺がんになったことで、病気に苦しむものの気持ちがわかるようになった。それを象徴するのが、半身不随の猫の存在だ。

「前立腺がんを告知されて間もないころ、近所に車に轢かれて息も絶え絶えになっている猫がいたんです。それで家につれてきて、慌てて救急車呼んだんだけど『無理です、持ちません』というんで、近所の動物病院につれてったら、何とか助かった。しかし、腹を押してやらんと、自分でうんこもできんし、後ろ脚を怪我していたために、動くときも前足で体を引きずって歩くことしか出来ない。それでも、少しでも前に行こうと一生懸命生きている。この猫を見ていると、こっちもがんなんかに負けてられんという気になりますね」

奥さんから聞いて知ったのだが、杉原は、前立腺がんであることを告知されてから、一度だけPSAマーカー値が上がって、医者から強く手術を勧められたことがあったようだ。手術を断固拒否し、抗男性ホルモン剤の投与でしのいでいる。

この次はどうなるか分からないが、前立腺がんを告知されてから、ちょうど6年の歳月がすぎた2003年12月の時点では、がん細胞のほうが2打、ないし3打後れをとっているように思えてならない。しかも、杉原には、守護神のような猫がいる。 それを思うと、まだしばらく杉原優勢の状況は続きそうだ。


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