がんになったことで、下巻の人生が始まりました 子宮頸がんを経験し、現在は薬物依存者の社会復帰に取り組む歌手・千葉マリアさん
リンパ浮腫が急激に悪化

リンパ浮腫を発症したのは術後2年が経過したころだった。その後は、一時的に引っ込んだり、出たりという状態が続いたものの、術後7年目の2001年に一気に悪化した。
5月にニューヨークでディスクジョッキーの修行をしている長男に会いに行ったのが原因だった。
「5月初旬に行ったんですが、ニューヨークは数10年ぶりの猛暑だったんです。東京の夏のような暑さでした。しかも、あそこは地下鉄がメインの移動手段なので、ものすごく歩くんです。そのときは精神的にもつらい思いをして、疲れ果てた状態でしたので、それが症状を急速に悪化させたんだと思います」
精神的につらい思いをしたのは、ディスクジョッキーの修行をしていたはずの長男が、ドロップアウトして重度の麻薬中毒に陥ってしまったからである。36kgまでやせ細り、「フラ~フラ~」と歩くのもやっと、今にも死にそうな、そんな変わり果てた長男を見た千葉さんは、心身とも疲れきって帰国した。
しかし、長男を見捨てるようなことはしなかった。逆に、立ち直らせるにはどうすべきか、真剣に考えるようになる。
そうしたエネルギーは、がんとの闘病を経験したことによって授かったものだと彼女は語る。がんを経験したことで、どのような心境の変化が生じたのだろう?
「がんになって手術を受けるまでは、『何とかしなくちゃ、私がやらなくちゃ』という思いが強くて、1人でもがいている感じでした。しかし、病気になることで自分1人で生きているんじゃない、自然のなかで生かされているんだということに気づいたんです。それに気づくことで、精神的にすごく楽になることができました。再び命を与えられて、もう1つの自分の時間が始まったんだと思いました。人生に上巻と下巻があるとすれば、下巻が始まったような気持ちでしたね」
親として機能していなかった

いかに自分の息子を薬物依存から救い出せるか――千葉さんは、専門家から勧められた心理学書を読み漁った。
それによって、薬物依存症になる原因が多くの場合、家庭環境にあることを知ると、長男にとって自分がどんな母親であったか謙虚に振り返った。
自分が長男に一方的な期待と不満を言うばかりで、長男の言うことに耳を傾けようとしなかったこと、「自分の息子=自分の所有物」と思いこみ、長男の人格を無視した付き合い方で、どれほど息子のことを傷つけてきたかに気が付いた。
「薬物もそうだしアルコール依存症も、親子連鎖の問題が多々あります。親が親として機能していない家庭に育っている。そういった家庭の場合、子どもが依存症に陥るケースがあるんです」
千葉さんは客観的にこう振り返る。だからこそ、彼女は逃げなかった。自責の念に駆られた千葉さんは、粘り強く薬物から抜けられない長男と向き合い、立ち直りへの道筋をつけていった。
薬物依存を断ち切るために

写真提供:宮田正和氏
とはいえ、薬物依存症を克服するのは容易なことではない。
まず世田谷区の精神病院に1カ月入院させたが、結果は思わしくなかった。退院直後は治ったかに見えたが、ほどなくしてまた薬物に手を出すようになり、もとのように衰弱してしまったのである。
これでは息子が死んでしまう――。そう思った彼女は、長男を練馬区の病院に3カ月の予定で入院させた。しかし、結局病院と反りが合わず、途中で追い出されてしまう。
そして彼女が最後に頼ったのは「ダルク」だった。
ダルクとは、薬物依存から抜け出すための回復施設で、薬物依存から回復した人間が主導する形で運営されているのが最大の特色である。
長男は沖縄にあるダルクの施設に入所し、見事に薬物を断ち切ることができた。
女性専用の回復施設を運営
長男が薬物依存を克服した経験から、千葉さんは同じ境遇で困っている人たちに対して、自分も何か役に立てるのではないか、何か自分のつらい経験が生かせるのではないかと、身内に薬物依存者がいて苦しんでいる人たちを対象に、家族会を立ち上げた。
そこで勉強会の主宰やカウンセリングの仲介を行う一方で、彼女は目黒区の自宅に依存症の女性を預かって、回復の手助けをする活動も始めた。
彼女の活動は年を追うごとに拡大し、現在は千葉県の館山で、女性専門の依存症回復施設「館山サーズ」を運営し22人の女性依存者の面倒を見ている。この施設の運営は館山ダルクや徳州会館山病院との緊密な連携のもとに行われているが、館山ダルクを主宰するのは、依存症を克服したあと米国で回復支援プログラムの研修を受け、資格を得た長男である。
現在千葉さんは社会事業家として多忙な日々を送っているが、その原点になっているのは子宮頸がんを経験したからだという思いが強い。
「がんになったことで、生まれ変わった気持ちになり、自分の生きる目的を探すようになったんです。たどり着いたのが、薬物依存者の回復施設をつくることでした。初めは自分の経験を生かせるボランティアをして同じ問題に悩んでいる方たちの一助になればいいという気持ちで家族会を始めたんですが、さまざまな奥の深い問題に直面し、勉強していくうちに使命感のようなものが沸いてきて、どんどん活動の幅が広がっていったんです」
日本の刑務所は、薬物事犯の受刑者でどこも満杯の状態で、従来のように薬物依存者を法で裁くだけでは対処できなくなっている。だからこそ、千葉さんが取り組んでいる活動は、今後社会的ニーズがどんどん増すことに違いない。がんを経験して始まった下巻の人生は、これからさらに広がりをみせていくことになるだろう。
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