がんを経験したことで、何が最優先か考えるようになった 30代で大腸がんを経験したフリーアナウンサー・原元美紀さん
最初は「良性」と伝えられた
数日後、原元さんは大腸の内視鏡検査を受けることになった。それにより、S状結腸の直腸に近いあたりに大きさ1.8㎝の、キノコ状のポリープがあることが判明。ただちにポリープの一部が採取され、病理検査に回された。
結果は「良性」だった。
医師はそのことを原元さんに伝えたあと、ポリープが大きいため切除が必要だが、手術の際、大量出血する恐れがあるので、数日入院してもらうことになると説明した。時期に関しては、そう急ぐ必要はないと言われたが、原元さんは下血が続いていたため、なるべく早い時期に受けることを希望、1カ月後に受けることになった。
07年5月、原元さんは4泊5日の予定で入院し、内視鏡によるポリープ切除術を受けた。手術後は予定通り退院の運びとなり、翌日から原元さんはまた多忙な毎日が始まった。
手術後の病理診断で「悪性」に
それから10日ほどして、手術で切除されたポリープの病理診断が出た。
結果は、なんと「悪性」というもの。ポリープを病理検査で丹念に調べたところ、悪性化した細胞が見つかったのである。当初「良性」と思っていたポリープの一部が、実は「悪性」のがんだったのだ。
医師は原元さんにその事実を伝える際、がんという言葉を避け、「腫瘍は悪性でした」という言い方をした。そのため束の間、コミュニケーションギャップが生じた。
「当時はがんの知識が乏しく、ポリープは腸の中にできたイボのようなものだと思っていました。そのため『悪性でした』と言われても、ピンとこなくて、イボが悪性? それがどうしたの? という感覚だったんです(笑)。でも、お医者さんが、食事で赤身の肉は控えたほうがいい、タバコを吸わなくても副流煙は避けてくださいなど、丁寧に説明するので、『たかが腫瘍が悪性だったぐらいで、なんで先生はこんなに深刻に説明するんだろう』って思い、『先生、私、腫瘍が悪性だっただけで、がんではないですよね?』って確かめてみたんです。そしたら先生が、『ショックを受けると思ってやんわり言ったんだけど、僕の言い方がまずかったかな。じゃあ、はっきり言うけど、原元さんはがんでした』と言われたんです。そこで初めて、自分が大腸がんだったことを思い知らされました」
「がんでした」と、過去形だったのは、内視鏡手術で腫瘍を取り切れたので、大丈夫だろう、という主治医の判断からだった。ステージ1の早期の大腸がん。原元さんは、自分が知らない間にがんになり、知らない間に治療が終わっていたのである。
仕事を失うことが怖かった
原元さんは、がんになっていたことがわかっても、伝えたのは家族と事務所のマネージャーだけで、ほかには口外しなかった。いくら早期発見で仕事に支障をきたすことはないといっても、特別な目で見られ、仕事を失うことになるのではないかと思ったのである。
「がんになったことで仕事を失うことが本当に怖かったんです。早期のがんで、身体的にも大丈夫だし、自分自身は今までと全く変わらないのに、周囲の見る目が変わるのではないか──。『がん』という2文字を公表することによって仕事を失うくらいなら、がんで寿命が縮んだほうがましだと思うくらい、そのときは仕事に対して命がけでした」
しかしそんな原元さんに公表する勇気を与えてくれたのは、スター混声合唱団の結成だった。
「もともと神楽坂合唱団という動物のチャリティ活動をやっていて、主人(指揮者の奥村伸樹氏)が副指揮者をしていたんです。この合唱団で親しくさせていただいていたのがタレントの山田邦子さん、女優の倍賞千恵子さんでした。お2人とも乳がんを経験され、今度は私が大腸がん。がんが身近な病気なのだということを実感し、『せっかく私たち、がん仲間なんだから、今度はがん患者さんを勇気づけよう!』ということになったんです」
スター混声合唱団の発足をきっかけに、08年3月、原元さんはがんであったことを公表。以前から、がんに関するイベントの司会などを行っていた原元さんだが、ますますその活動に拍車がかかるようになっていった。
トイレですぐに流さないで!

そして08年からは、大腸がんの早期発見・早期治療を呼びかけるブレイブサークル大腸がん撲滅キャンペーンの活動に深く関わるようになる。各地で開催するシンポジウムのコーディネーターを務める一方で、自らの経験を活かして、30代40代の女性に向けて、大腸がん検診の重要性をアピールする活動も行っている。
「大腸がんは女性のがん死亡原因の第1位。ほとんどの自治体が40歳以上を大腸がん検診の対象にしていて、一部の自治体では無料で便潜血検査を行っているので、ぜひ検診を受けてほしいと思います。また、30代でも私のような例があるので、自覚症状のサインを見逃さずに精密検査を受けて欲しいですね」
サインの1つとして、原元さんがあげるのが血便。それに気づくためにも、「トイレに行って、すぐに流さないこと!」と、原元さんは呼びかける。
「私もたまたま流す前に見たら、便に血が練り込んであるような状態だったんです。それが大腸がんのサインでもありました。大腸がんは早期であれば、ほぼ治ります。まずは、自分の便に関心をもって、そのサインを見逃さないようにしてほしいですね」
![]() | ![]() 大腸がんのサインでもある血便を早く見つけるためにも、「自分の便にもっと関心をもってほしい」と原元さん。今は、スマートフォンで、毎日自分の便の状態を日記みたいにつけられるアプリも登場しているという |
1番大切なことが見えてきた

30代という若さでがんを経験した原元さん。最後に、がんを経験したことで、見えてきたものは何かと問うと、明瞭な答えが返ってきた。
「何が最優先かを考えるようになりました。それまで、1番大切だったことは仕事でした。でも、健康を失ってまで仕事をしても、誰も喜ばない。今回のがんを機に、最優先に考えるべきことが家族へと移ってきたように思います」
最近はがんの啓発にとどまらず、東日本大震災のチャリティなど、さまざまな社会貢献的な活動を行っている原元さん。そうしたエネルギーはがんになったことで生まれたもの。それを思えば、がんを経験したことは、マイナス面だけでなく、プラスの面も大きかったのではないだろうか。
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