ストレスを受け持ってくれたがん。自分から縁遠い存在ではありません 女優復帰直後に大腸がん治療を経験した長谷直美さん

取材・文●「がんサポート」編集部
撮影●向井 渉
発行:2013年5月
更新:2018年10月

「僕たちのチームで取ってあげるから」

長谷さんは「何ですか?」と問い返した。

「これ、僕たちのチームで内視鏡で取ってあげるから」

力強い返事が返ってきた。最初の所見では、リンパ節転移など最悪のことを考えて開腹手術が想定されていたが、身体への負担が少ない内視鏡切除の選択を示唆された。

「院内で検討してくれて、結局内視鏡でとることになりました」

医師に詳しく聞くと

「がんは見た感じがもっとグロテスクです。がんかな、ポリープかな……がんだとしてもステージは低い」

と言われた。

「面白い先生でしたね。いい先生はリラックスさせてくれます。患者にぬか喜びをさせてはいけないけれど、患者に希望を持ってもらえるようなことを意図的に言ってくれているんじゃないかな」

「先生、そこです 頑張って」

長谷さんは、検査や治療の過程を自分の目に焼き付けることにこだわった。

「私は絶対に見たかった。すべてを見届けたかったんです」

そのころ、検診のきっかけになったバラエティ番組のスタッフと話し合う場があった。みな言葉を出せずに、静まり返っていた。

番組側は、長谷さんを気遣って企画の中止を打診してきた。しかし、長谷さんは「ひょっとして自分の最後の記録になるかもしれない」と改めて思い、きちっと記録してほしいと逆に願い出た。

「ここまでやったんだから、最後までやりましょうよ」

そのまた1週間後、12月7日に内視鏡切除が行われた。結果的に、ステージはⅠとⅡの間と診断された。長谷さんはこのときもモニターを見ていた。

「『あ、そこそこ。先生、頑張って』みたいな感じでしたね」

手術は、40~50分で終わった。

長谷さんは手術後に「初期ということですが、どれくらい前からできていたんですか?」と尋ねた。医師は「これくらいの大きさになるには2年くらいかかる」と答えた。2年前というと、長谷さんには思い当たることがいくつかあった。

毒を集結してくれた自分の分身

「2年前というと離婚した時期ですね。ほかにも演技の勉強のために1人でロンドンに行ったりとか、私にとってターニングポイントだったんです。

とても落ち込んでいた時期だし、新しいステップを踏み出すのに無理をしていた時期でもありました。日常の生活を考えると、その時期はクレバスのなかにドーンと落ち込んでいたんです。あのころ��できたんだなぁと思いました」

そして続けた。

「それを思うと、自分のマイナス方向の気持ちだとかストレスみたいなものを大腸が集めてくれていたんですね。悪いものを受け持ってくれていたんだなと思うと、がんというのも憎いとか、自分から縁のないものとかではなく、毒を集結してくれた自分の分身のような気がしました」

1週間の入院と言われた。しかし、3日目に点滴が外れ、全がゆが出ると、医師に尋ねた。

「それまで出血がなかったこともあり、『もう退院していいですか』って聞いたんです。まだ治療はあるんですかって」

医師の答えは、「もう治療はないけど、経過を見るために入院してもらっています」とのことだった。長谷さんは「それなら食事の注意点を聞いたうえで、家に帰りたい」と言った。医師は異常があったら、すぐに連絡することを約束に退院を許した。

「完治」後4kgの体重増

長谷さんは、現在住んでいるシェアハウスに戻った。友だちがおかゆをつくってくれたりで、4、5日間は寝たり起きたりの日々を過ごした。異常は起きなかった。

「身体がなまっちゃってね(笑)」

次の通院時に「完治」を告げられた。

長谷さんにあった手術後の変化は、4kg太ったことだという。

「そういえば、この2年くらい、食べても太らなかったんですね。がんに栄養を取られていたということだったんでしょうか」

がんが見つかる2カ月くらい前を思い返してみると、それまで〝底なし〟だった酒量が、極端に減り、すぐに酔うようになっていたという。

「自分の中ではこれも『警告を出してくれていたのかな』って思います」

健康への意識が変わった

がん治療を経て、自身の考え方も変わったという。

「自分の体力に自信がありました。健康診断なんてしたこともなかった。でも、今回をきっかけに自分の健康への意識が変わりました。自分はそこまで強い人間じゃないんだなって。50年以上生きていれば具合の悪くなるところもいろいろありますよ、だれでも。今は、みんなに健康診断を勧めています。そして、父の死を見て『なったらおしまい』と思っていたがんも、初期に見つければ治るという認識に変わりました」

自身の経験から、患者さんたちへのメッセージを聞いた。

「自分で自分の気分を変えることが必要では。私はがんになってから明るい音楽を聞いたり、大声で笑ってみたり、部屋の空気を換えてみたりとか、いろいろしました。自分で気分を上げていかないと絶対に落ち込むんです。病気になってハッピーなわけはないから。しかし、病気であることを忘れられる瞬間というのは必要なのです」

「日本でシェークスピアをやりたい」

芸能界デビューしたころはアルバイト気分だったという。次第に女優業にのめり込んだ。時間もお金もかけて丁寧に進められたかつてのドラマ作りがいい経験になっているという。

離婚後、舞台演技の勉強のためにロンドンで1年半過ごした。

「ヨーロッパの俳優はライブの舞台をすごくするんです。私も実践としてライブハウスに出ました。あちらでは、演劇や音楽は国が設定するレベルに達しないと役者として認めてもらえないんです」

課題にはシェークスピアの古典もあった。もちろんすべて英語だ。「あれほど勉強したことはなかった」という長谷さんは、経験者のステップアップにあたる部門で合格して帰国した。

「これからの目標は、自分で企画したライブを年に1回は必ずやること。そして、最終的な夢は、日本でシェークスピアの舞台に立ちたい。ハムレットの母ですね。60歳を過ぎたくらいにかなえばいいと思います」

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