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突き進んで生きるその源には、ユーモアと独自の哲学があった いくつもの才能を開花させて、風のように去って行った──。青島幸男さん(作家・タレント・政治家)享年74
いくつもの花を咲かせた才能

また驚かされるのは、その間にジャンルを超えた表現活動に取り組み続けていることだ。
放送作家時代には「明日があるさ」をはじめ多くのヒット曲の作詞を手掛け、66年には映画「鐘」で製作・監督・主演を担当、カンヌ国際映画祭批評家週間に入選し、カンヌに招待され、高い評価を受けている。さらに81年には処女小説『人間万事塞翁が丙午』で直木賞を受賞、さらに都知事時代の98年には、「循環」と題された抽象画で絵画の最難関とされる二科展入選を果たしているのだ。
「何をやっても見事に才能を発揮する。とくに驚かされたのは私が担当するバラエティ番組で一緒だった作家の柴田錬三郎さんに触発されて書いた小説の素晴らしさ。『直木賞』をとると公言してホントにとってしまうんだから……。驚くのを通り越して呆れるばかりでした」
と川島さんは青島さんの才人ぶりに舌を巻く。

青島さんはどんな仕事についても決してプロにはならなかった。プロをしのぐアマチュア。そして青島さんは何をしても青島幸男その人だった。
政治家引退後も東京・中野の自宅で、書、絵画、彫金などの芸術活動に打ち込みながら、時折、テレビに出演する自適の日々を送っていた。
オランウータンみたいになっちゃった
その青島さんが再び病魔に襲われたのは参議院議員時代の91年夏のことである。
かつて膿胸を患っていた部分に鈍い痛みが現われた。日本大学板橋病院を訪ねると、その部分に異常があり、切除が必要といわれる。手術のために開胸すると、悪性リンパ腫を発症していたことが判明した。
病巣の切除手術は4時間に及んだという。しかし、それよりも過酷だったのは、術後の抗がん剤治療だった。髪が抜け、爪がはがれ、食欲が減退し、体重は40キロ前後にまで減少した。しかし青島さんは明るさを保ち続けた。
「抗がん剤治療のたびに髪がドサッと抜け落ちる。2人で鏡を見ながら、オランウータンみたいになっちゃったね、と笑っていました。病気に負けるなんてことはまるで頭にありませんでした」
と、美幸さん。
そんなのどかさによるものだろうか、周囲では誰も青島さんががんを患っていると気づかなかったという。こうして半年間の治療後、青島さんは軽やかに政治活動とタレント活動に復帰する。復帰直後の記者会見で「がんといわれてどう感じたか」とたずねられ、「脳天をガーンとやられた」と笑いを誘い、当時、司会を務めていたテレビ番組「追跡」では、かつらをとって髪が生え揃わない頭を披露してもいる。その翌年には、体調不安を抱えながら、献金問題での抗議のために国会前でハンガー・ストライキを決行しているのである。
「もともと生命への執着がそんなに強くないのに加え、政治家としての使命感が行動に駆り立てたのでしょう。これができたら死んでもいい、今やらなければといっていた」
と、美幸さんはいう。
やりたいことは全部やった

それから15年後に最後の病魔が訪れる。青島さんは自宅で貧血のために転倒し、頭部に傷を負う。病院を訪ねて検査を受けると、骨髄異形成症候群という血液がんを患っていることが判明。そのまま入院を余儀なくされる。もっとも入院中の青島さんはいつものように笑顔を保っていた。その明るさによるものだろう。誰もそれが命取りになるとは考えていなかった。
しかし2カ月後、容態は激変する。美千代さんは「青島は自らの死を察していたのではないか」と言う。
「その日、いつもと同じように病院を訪ねると、ビールが飲みたいと言ったんです。じゃ明日ねと答えると、明日じゃ遅いんだよなあ、と表情を曇らせていたのです」
それがほぼ半世紀にわたって連れ添ったおしどり夫婦の最期のやりとりになった。
それから6年余り──。美幸さんは青島さんの死を肯定的に受け止めている。
「父は何かを始めると、これができたらもう死んでもいいというのが口癖だった。無我夢中にやりたいことをやって目いっぱい楽しんだ人生だった。本人も満足して旅立ったに違いありません」
よく死ぬことはよく生きること。青島さんは軽やかな足どりで、思いを残すことなく、自らの人生を生き切った。だからこそ、これほど幸福な死を迎えた人もいないのではなかろうか。
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