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がんの病魔と果敢に向き合い、死のときまで作家であり続けた 稀代のストーリーテラー・マルチ才人はかくして死んだ──。中島梓・栗本薫さん(評論家・作家)享年56
17年を経て襲ってきた2度目のがん
全身が原因不明のかゆみに襲われ黄疸が現われる。ある日、鏡を見ると白目の部分が黄色く濁っていた。医者嫌いの彼女もさすがに不安になり病院に駆け込まざるを得なかった。そうして検査の結果、下されたのが胆管がんの診断だった。
実は中島さんは90年に乳がんを患い、片側の乳房の全摘手術を受けている。もっともそのときはケロリとしたもので、がん体験をもとに『アマゾネスのように』というエッセイを発表、それ以降はがんになったことも忘れているかのようだったという。それが17年を経過して再び中島さんをがんが襲った。

同07年の12月、国立がん研究センター(現・国立がん研究センター)で行われた手術では、中島さんのがんは胆管がんではなく、膵がんであることが判明。手術では胆嚢、肝臓の一部と膵臓の膵頭部が摘出される。しかし中島さんはめげることはなかった。
「なってしまったものは仕方ない、と思っていた。それに彼女は自分の運の強さに自信を持っていた。生存率が2割なら、自分は当然、その2割の中に入っていると考えていたようでした」
と、今岡さんは話す。
中島さんはそのころ、抗がん剤治療中にも関わらず毎月ライブを催しており、水上さんもしばしば共演をしていた。
とはいえ、今回の手術が中島さんの心境に大きな変化をもたらしたのも事実だ。手術が無事に終わったため、開封はされなかったが中島さんは、不慮の事故に備えて術前に遺書をしたためている。ジャズ仲間の水上さんも、この手術の後から中島さんの意識に大きな変化がみられるようになったという。
「ピアノ演奏に余韻を感じるようになった。ジャズって楽器と楽器のコミュニケーションなのね、と話すようもなりました」
素直に誕生日を喜べた


しかし、平穏な暮らしは長くは続かなかった。翌08年の秋ごろから中島さんの容態は急激に悪化する。膵臓から肝臓に転移したがんの痛みに加え、抗がん剤治療による疲労感、脱力感に苛まれ、食べられなくなり、中島さんは入退院をくり返す。
もっともその間に中島さんにさらに大きな変化が起こっていた。09年2月の「誕生日ライブ」のために、中島さんは「誕生日の夜に」という曲を作っている。自分を生んでくれた両親や歓びを分かち合える友人に感謝し、来年も誕生日を祝いたいという歌詞の曲だ。あれほど忌み嫌っていた誕生日を素直に喜べる心境に中島さんは達していた。
ヴォーカルを担当する水上さんは、「歌詞があまりに重く、なかなか歌える自信を持つことができませんでした」という。2人はライブの前日に完成したその曲のリハーサルを泣きながらおこなった。
あるいは、がんになってようやく中島さんは、自らの人生と折り合うことができるようになったのかもしれない。
作家であることにこだわり続ける
不運は伝播するものなのだろうか。09年の4月、今度は夫の今岡さんに胃がんが見つかり、中島さんが治療を受けている昭和大学病院で全摘手術を受けることになる。病室で手術の日を待ちながら、今岡さんは中島さんの容態が気がかりで仕方がなかったという。車椅子姿で手術に立ち合った中島さんは、途中で体調悪化を訴え、今岡さんの病室のベッドで横になっていた。
5月、同じ病院に発熱で容態が悪化した中島さんが入院する。同じフロアの病室を配されたこともあり、術後の今岡さんは1日のほとんどを中島さんの病室で過ごす。体調は最悪の状態だった。しかし中島さんは前を向き、執筆を続けた。

胃がんの手術が無事、終了し、退院した後も今岡さんは、中島さんを訪ね続ける。しばらくすると意識が朦もうろう朧とし始め、日誌に綴つづられる文章も脈絡が途切れがちになった。そんな中島さんに、それでも今岡さんは"村のお話"を聞かせ続けた。そうして09年5月26日、いつもと同じように自らの物語を聞いた翌日、中島さんは静かに永遠の眠りについた。
今岡さんは中島さんの死後に制作した『グイン・サーガ・ワールド』という本のなかで、中島さんをしのんで「いちばん不幸で幸せな少女」というエッセイを執筆している。
そのタイトル通り、中島さんは56年の人生で苦しみと歓びをくり返し続けた。
しかし1人の人に深く深く愛され、自らの物語のなかで旅立っていったその最期は、とても満ち足りたものだったに違いない。
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