快楽を追求したSM界の寵児は、生を遊び、最期のときさえも遊んだ 借金にがん、どんな風に吹かれてもしなやかに、一期の夢を生きた──。団鬼六さん(作家)享年79

取材・文:常蔭純一
発行:2011年11月
更新:2018年10月

快楽を求め、透析拒否を撤回

それまでほとんど病気らしい病気を患ったことのない団さんが2度の脳梗塞に襲われる。もっとも幸いにして後遺症はほとんど残らなかった。しかし、70代になって見つかった慢性腎不全は、生易しいものではなかった。腎機能の異常を示すクレアチニンの値は正常値をはるかに超えており、団さんは医師から人工透析治療を迫られる。そこで団さんが下したのは「透析拒否」という決断だった。

「父は根っからの自由人だった。1日4時間、週に3日も透析に縛られる生活にとても耐えられないと判断したのでしょう」と、由起子さんは語る。

しかし実際のところ、団さんの気持ちは揺れ動いていた。中原さんは、そのころ1度だけ団さんから、自らの気持ちを打ち明けられている。

「世間は透析拒否に賛否両論を戦わせているが、本当のところはそれでいいのかどうか困惑している。どうして誰もその困惑を理解してくれないのか、と先生は訴えていました。僕自身は先生に透析を受けて欲しかったけれど、僕までがそう言い切れば、先生の支えがなくなります。それで腹膜透析を受けて長生きした父親の話をしました」

その後、2年間は病気を放置、透析を受けなければ余命2週間、というところでようやく団さんは翻意して透析治療を受け始める。由起子さんによると、担当医から「腎臓以外の臓器はピンピンしている状態なのに、何もない暗闇の世界(死後)に行くのはもったいないのではないか」という言葉で説得されたという。

がんを受け入れて、悦に入った日々

団さんの闘病記『手術は、しません 父と娘の「ガン闘病」450日』

がんになっても、独自の生き方を貫いた団さんの闘病記『手術は、しません 父と娘の「ガン闘病」450日』(新潮社)

そうして09年の12月、今度は食道がんが見つかった。発見時にはがんはかなり大きく、3期の段階に達していたという。もっとも幸いなことに転移はなく、手術は可能な状態だった。しかし、そのときも団さんの態度はきっぱりとしたものだった。病院に同行した由起子さんはがん告知されたときの状況を語る。

「医師からがんと告げられたとき、一瞬だけ父の表情が変わったんです。でもすぐに平常心を取り戻し、担当医から手術を勧められても間をおかず、手術はしません、と答えていました。後で私が尋ねると、『年やからしゃあないやろ』と答えていました」

そうして翌10年1月から、団さんは人工透析とともに化学放射線療法によるがん治療を受け始める。もっともそうして病魔と闘いながらも、団さんの生活は一向に変わらなかった。

以前ほどではないにせよ、酒をたしなみ、酒席の場に足を運んでは「俺の腹上死の相手はいないか」と店の女性たちを煙に巻いた。60代で夫人公認の愛人をつくり、また終生の友となる愛犬アリスを家族に加え、やがて夕刻になるとそのアリスと散歩に出かけ、そのまま寿司屋や居酒屋にくり出すことが日課となった。団さんは老いや病を得ても、それを逆手にとって新たな愉悦を求め続けた。

「父は状況をそのまま受け入れ、楽しむことができる人だった。それが父の快楽主義の原点にあるのではないでしょうか」

と、由起子さんは語る。

登山好きな中原さんは、団さんを「山脈」になぞらえる。

「相場、SM、将棋……。自分の中にいくつもの大きな山を持ち、さらに老いや病気も山として育てていた巨人のような人」

そんな大きく柔らかな心の持ち主だからこそ、団さんは生涯をかけて快楽を追い求めることもできたに違いない。

最期の瞬間まで噛みしめた生の喜び

しかし、その団さんにも覚悟を決めるときが訪れる。化学放射線療法で1度は消失したがんが1年後、同じ部位に再発する。再発したがんは、すぐに肺へも転移した。その現実に直面して、団さんは由起子さんに、親しい人たちとの最期の交流の場を催させる。

「それが花見舟でした。父は最後の最後まで人と交わり続けたいと願っていたのです」

病床でもペンを握っていた団さん

病床でもペンを握っていた団さんは最期、「生き返ってよかった」と言い放った

団さんには井原西鶴についての執筆など、やり残した仕事もあり、無念の思いもさぞ強かったに違いない。しかしその思いを呑みこんで、団さんは友人たちと生の歓びを交わし合う。花見舟の催しの後、容態が悪化した団さんは急遽、病院に運ばれる。

「死の数日前、朦朧とする父が突然、ベッドから起き上がり『俺は今まで死んでたんだ』と言うのです。そしてそのあとに『生き返ってうれしい』と訴えていました」

自らを取り巻くすべての状況を受け入れていた団さんは、死までも楽しもうとしていたのかもしれない。それは団さんの生のエネルギーの凄まじさを物語っているようでもある。人生はここまで楽しめる。団さんの死に様を見ると、生き抜くことの素晴らしさが、いっそうの重みを持って伝わってくる──。


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