人気キャラクター生みの親は、その人そのものが漫画だった 日本中に笑いをまき散らし、人生をギャグで駆け抜けた――。赤塚不二夫さん(漫画家)享年72

取材・文:常蔭純一
発行:2011年7月
更新:2018年10月

がん告知にもギャグで応戦……

食道がんになっても、赤塚さんはお酒をこよなく愛した

食道がんになっても、赤塚さんはお酒をこよなく愛した

そんな赤塚さんの人生に暗転の兆しが現れるのは、70年代半ばに入ってからのことである。赤塚さんは漫画家の域に収まらない人気者となって、夜な夜な街に出没し始めた。後に日本を代表するタレントとなるタモリさんを新宿の酒場で見出したのもこのころのことである。またデビュー当時はコップ1杯のビールで顔を赤らめていたほどだったのが、交友関係が広がり、酒量が増えるとともに赤塚さんの奔放な行動はエスカレートした。タモリさんらとの軽井沢での集まりで「ムササビだ」と木から飛び立とうとして大けがをしたり、文壇のパーティではセーラー服姿でお尻を出して参加者の笑いを誘うこともあった。そうして赤塚さんは次第に漫画の枠を超えた活動が広がっていった。80年代半ばにはついに、自他共に認めるアルコール依存症となる。

そんな中で赤塚さんはアルコールを抜くために入退院をくり返していた。食道がんが見つかったのも、97年にウォッシュアウトと呼ばれる治療で入院中のこと。当時、りえ子さんは美術の勉強にロンドンに留学していたが、登茂子さんの知らせに急遽帰国する。赤塚さんへのがん告知には、りえ子さんと共に2番目の妻で赤塚さんに代わり、フジオ・プロを切り盛りしていた眞知子さんらが立ち会った。

その席で検査結果とともに「食道を切除して胃を伸ばし、食道の代わりにする。そうしないと余命は1年」とシビアに伝える医師に、赤塚さんは持ち前のギャグで果敢に応戦した。

「『そんなことしたら口からウンチが出ちゃうじゃないか』と咄嗟にパパは切り返した。でも……誰も笑わなかった。パパ、そんなときまでギャグを……!」

と、りえ子さんはそのときを振り返る。

渾身のギャグは空振りに終わった。そして、手術を頑なに拒否し、民間療法を行っていた赤塚さんは、98年12月、ようやく手術を受け、半年間の入院生活を送った。がんの切除手術の後、しばらく断酒を続けたが、半年ほど後には再び酒に溺れるようになった。もっともそんな暮らしの中でも、赤塚さんは人とどう笑い合うかと考え続けていたと北見さんはいう。

「僕の自宅がフジオ・プロのすぐそばだったので、先生の仕事場に呼ばれて新たな企画について聞かされることもあった。そんなときはもったいない、酒さえなければなあと、思わざるを得ませんでした」

アルコール依存に陥り、がんを患っても赤塚さんは初心を忘れることがなかった。

愛する人たちの後���追って

そんな日々の中で赤塚さんの全身は衰弱し、02年には脳内出血で倒れ、病院のベッドでの生活を余儀なくされることになった。寝たきりの状態に陥った後、赤塚さんは驚異的な生命力を見せつける。手も足も動かせず、言葉を発することもできず、自分では食べることもできないベッド上での生活は、亡くなるまで6年間も続いたのだ。

その間に先立ったのは、それまで赤塚さんを支えていた人たちだった。06年には赤塚さんより10歳以上も年下なのに、母親のように赤塚さんを支え、フジオ・プロを切り盛りしていた眞知子さんが、くも膜下出血で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。

その2年後の08年7月には、出世作『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』を共に生み出した先妻の登茂子さんが子宮頸がんで命を落とした。

それまで長らく小康状態を続けていた赤塚さんの容態が激変したのは、登茂子さんの訃報が知らされてからのことだった。

後を追うように赤塚さんが静かに息を引きとったのは、りえ子さんが登茂子さんの通夜の準備をしているさなか、8月2日のことだった。

笑いは生きるエネルギー

毎日つけていた闘病日誌

赤塚さんが寝たきりになってから、後妻の眞知子さんが毎日つけていた闘病日誌。眞知子さん亡き後はスタッフによって毎日つけられた

「ママの死を聞いて気力が絶えたのでしょう。寂しがり屋のパパらしい最期でした」

と、りえ子さんはいう。

家族以上に親しかった義母、そして最愛の父母を同時に失い、りえ子さんは呆然自失の無気力状態に陥った。両親の祭壇を前に、悲しみのどん底に沈んでいたりえ子さんを救い上げたのは、他ならぬ赤塚さんだった。

「ふと目にとまったパパの漫画を読んでいると猛烈におかしくて、気がついたら声を上げて笑っていた。笑い終えたときには、全身に力がみなぎってきました。笑いは生きるエネルギー。笑いを多くの人たちに広げていこうという気持ちになったのです」

赤塚不二夫恐るべし、笑いの力恐るべし。あるいは赤塚さんは、その光景を彼岸の世界からバカボンのパパよろしく、見守っていたのかもしれない。「これでいいのだ」と──。


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