彼女の愛は、今も生き続けている 人を愛し、音楽を愛した歌姫の最期の命の輝き――。本田美奈子.さん(歌手・ミュージカル女優)享年38

取材・文:常蔭純一
発行:2011年4月
更新:2018年10月

希望を持って耐えた壮絶な3回の抗がん剤治療

本田さんの治療は苛烈そのものだった。一般的に急性骨髄性白血病の治療は、感染症を予防するため、無菌室で大量の抗がん剤を投与、そうして体内のがん細胞の比率を5パーセント以内に抑えた寛解状態に持ち込んだ後、再び抗がん剤による地固め療法で状態を安定させる治療が行われる。

高杉さんによると、本田さんの場合は発見時にすでに血液の95パーセントががんに侵されており、さらにがん細胞の形状が200万人に1人というほど珍しいものだった。そのため抗がん剤がなかなか効果を現さない。最初の抗がん剤治療で70パーセントの患者が寛解に至るが、本田さんは寛解に至るまでに、3回の抗がん剤治療が必要だった。

しかし本田さんは希望を失わなかった。

「治療のために何度も何度も激痛を伴う骨髄への穿刺が行われました。本当はすごくつらいのに、そんなときでもじっと耐えていました。また喉元まで広がった口内炎で口を開けるのにも痛みがあるのに、復帰に備えて1日も歯磨きを欠かしませんでした」

と、美枝子さんは当時を振り返る。そんな思いが通じたのだろうか、寛解後の臍帯血移植は見事に効果を現した。本田さんが同じ病いで苦しむ子どもたちへの支援を考え始めるのも、このころのことだ。そうして7月31日、本田さんは困難を極めた治療に成功し、退院を果たす。奇しくもその日は本田さんの38回目の誕生日だった。

「その日は地元の朝霞は夏祭りで大きな花火が打ち上げられていた。まるで退院祝いだね、と皆で笑いあっていたものです。生きる喜びに姉は、ずっと涙を流していました」(律子さん)

生きている喜びを噛みしめる

退院後の本田さんは、1日1日を噛みしめるように時を送っていた。高杉さんは言う。

「散歩に出ようと美奈子に誘われたとき『散歩しても暑いだけじゃないか』というと、『ボスは贅沢すぎる』とたしなめられた。『暑さを感じられるのも幸せ、風を感じられるのも幸せ、その風に木々が揺れるのを見ることも幸せ』というんです。人間はここまでピュアになれるのかと驚きました」

もちろんアーティストとしての活動再開にも、本田さんは意欲を膨らませていた。クラシックの歌曲を歌ったCDを出した後、今度はミュージカル、日本の歌曲、それに演歌のCDを出すプロジェクトが決まっていたし、何より本田さんはコンサートを通じて、自らを支えてくれたファンとの再会を果たしたいと願っていた。

「闘病中、事務所に置けないくらいの千羽鶴が送られていました。その千羽鶴をステージに飾ってファンのために歌いたいと話していました」(美枝子さん)

しかし現実は苛酷だった。

退院後、1カ月あまりが経過した9月のある日、週に1度受けていた定期検診でがんの再発が明らかになる。再び、本田さんは入院生活を強いられることとなった。もっともこのときに見つかったがん細胞は、ごくわずかで、認可されたばかりの分子標的薬を用いた治療が行われた。治療は順調に進み、高杉さんは復帰に向けての準備に取り組み始める。

「医師の了解を得て、病院の近くのスタジオを借りて、そこで次のCD制作のリハーサルをやろうと決めていた。また歌えると聞いて美奈子は目をキラキラさせて喜んでいたものです」

だが突如として状況は暗転する。11月に入って、いつものように見舞いに訪れた高杉さんは、その週末に自宅に帰れると本田さんが話していたことを覚えている。

「『家に帰ったら、私が作るから皆で鍋をやろう。楽しみにしていてね』と言って、いつものように送り出してくれたのです」。それが本田さんと高杉さんの最後の会話だった。

翌朝、高杉さんは自宅で「危篤」の知らせを受ける。病院に駆けつけると、本田さんは合併症のために、酸素マスクでかろうじて呼吸している状態だった。それから3日間の昏睡の後に本田さんは、静かに人生の幕を下ろす。それは惜しむことなく人に夢と幸せを与え続けた人生だった。だが、本田さんの夢は、まだ終わってはいない。

そして本田美奈子.の夢は生き続ける

写真:闘病中の病床から

闘病中の病床から、本田さんは同じ病に苦しむ子どもたちへの支援を夢見ていた

この秋、高杉さんは本田さんをモチーフとした絵本を出版する予定だ。絵を描いているのは、辻友紀子さんという筋ジストロフィーを患う少女だ。辻さんは動かない指をそのままキャンバスに押しつけて、本田さんのCDを聞き、写真を見ながら制作を続けた。

「辻さんは美奈子と一緒に、絵を描いたといってくれている。私も絵本を制作することで美奈子とともに難病に苦しむ子どもたちを激励したいのです」

確かに本田さんの思いは今も生き続けている。本田さんの声や言葉とともに、多くの人たちに受け継がれていく ──。


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