がんになったその日から毎晩かかってきた電話 「生きることの尊さ」を伝える後継者づくり、それが最期の仕事だった──。井上ひさしさん(作家・劇作家・放送作家)享年75

取材・文:常蔭純一
撮影:落合高仁
発行:2011年1月
更新:2018年10月

市井の人々の日常を踏みにじる戦争の愚かさ

写真:戦争の愚かさと、かけがえのない日常の生活

戦争の愚かさと、かけがえのない日常の生活を生きることの尊さを描き出す創作をライフワークとした(撮影:落合高仁)

井上さんは戦争の愚かさを描いた創作をライフワークとしており、たとえば戯曲『父と暮せば』では、広島の人たちの生と死が活写されている。さらにそれに続いて沖縄、長崎をテーマに書きたいと願っていた。

とくに沖縄については『木の上の軍隊』という作品を次回のこまつ座の公演に向けて書き下ろす予定になっていた。これは実話に基づいた作品で構想はすでにできあがっていたという。終戦を知らず、ガジュマロの木の上で、戦い続けた3人の兵隊の物語だ。

「父は60歳になって、やっと自分が何のために書き続けてきたかがわかったと話しており、沖縄、長崎は是が非でも書きたいと言っていた。かけがえのない市井の人々の日常を愛し、それを容赦なく踏みにじる戦争の愚かさを訴え続けてきた人だった。がんになってからも、そのことに対する意欲はまったく衰えていませんでした」

と、麻矢さんはいう。

また、井上さんは自らの戯曲で宮沢賢治や樋口一葉など何人もの主人公に「生まれたからには、どんなに苦しくても生きなくてはならない」と語らせていた。あるいは彼らを裏切らないためにも井上さんはがんと闘い続けようとしていたとみることもできるだろう。

演劇論から人生論まで声が嗄れるまで話し続けた

もっとも、2月になって4度目の抗がん剤投与が終わった頃には状況は変わっていた。井上さんの体力は衰え、胸水がたまることによる背中の痛みも日増しに強くなっていったという。

「演劇論はもちろん、戯曲を理解するための歴史観やさらに普遍的な人生論にまで話題は広がり深められていきました。日付が変わって2時、3時になるまで話が続くこともざらだった。その間に父の声がかすれて、聞き取りにくくなる。でも大切な勉強だから一言一句も聞き漏らすまいと必死に耳を傾けました」

その講義では、麻矢さんにとっては意想外な質問が投げかけられることが少なくなかった。

たとえばこまつ座でその少し前に上演していた魯迅を主人公とした戯曲の話題から派生して「じゃ魯迅はなぜ、あれほど忌み嫌った日本の軍隊がいる国に留学したんだろうか」と、質問されることもあれば、その魯迅の師弟関係から話は広がり、「よき教師によって才能が開花した事例を聞かせて欲しい」と問われることもあった。

井上さんからの質問に的確な答えを持たない麻矢さんは、そのたびに何度も戯曲を読み直し、関連資料をさらって、翌日の質疑応答に備えていたという。そうして井上さんの講義を通して、麻矢さんは、演劇人として、そして何より1人の人間としての力を蓄え続けた。

そして3月──。

井上さんの容態はさらに悪化していった。背中の痛みに加え、喉にも異常が現れ、食べ物の嚥下が困難な状況に陥った。

麻矢さんには、がんを患った後もまったく悲壮感や深刻な表情を見せたことのない井上さんが、「やっぱり人間は食べて出すということが基本だよね」と、寂しそうな表情を見せたことが印象に残っているという。また前に紹介した『井上ひさし絶筆ノート』によると、この頃、井上さんは妻のユリさんに「家で死にたい」「延命治療は嫌だ」と、自らの死について話していたともいう。

麻矢さんに対する最後の演劇授業

そんなある日、麻矢さんは次回のこまつ座の公演内容について打ち合わせるために、入院中の井上さんを訪ねている。そのときは井上さんの容態が奇跡的に持ち直しており、父娘の会話は数時間にも及んだ。

「次回公演の内容についての打ち合わせでした。本来なら沖縄を描いた『木の上の軍隊』を上演するはずでしたが、父ががんを患ったことで、予定を変更せざるを得なくなった。それで別の演目にした場合のキャスティングについて話し合っていたのです」

麻矢さんは演目の変更によってキャストの見直しが必要と考えていたが、井上さんは、同じキャストをそのままはめ込むことができると訴えた。それは麻矢さんから見れば、あまりにも奇抜なアイデアだった。あるいはこの話し合いが、井上さんの最後の演劇授業だったのかもしれない。そして結果的にお互いが納得したことで、麻矢さんは井上さんから、後継者としての最終的な承認を得たともいえるかもしれない。

4月9日──。病院でひと通りの治療を終えた井上さんは、かねてよりの要望どおり自宅に帰還する。その日の朝、病院に駆けつけた麻矢さんが国立劇場で上演された井上さんの芝居の成功を伝えると、井上さんは目をつぶっていたが「よかった、よかった」と唇を動かしたように見えた。それが井上さんと麻矢さんの最後の会話だった。

夜になって麻矢さんは妻のユリさん、長男の佐介君の3人で、ベッドで朦朧とする井上さんの傍らで井上さんの思い出話にふけっていた。アロマセラピストの資格を持つ麻矢さんは時折、父親の脚をマッサージすることもあった。10時過ぎ、呼吸音が聞こえなくなったことにふと気がついて、麻矢さんたちが井上さんの手をとるとすでに冷たくなっていたという。そしてその20分後、井上さんは不帰の客となる。

「とても穏やかな表情で、自然に死に向かっていったように感じました」

と、麻矢さんは話す。

あるいはその穏やかさは、最期の仕事を終えたことでの安堵感によるものだったのかもしれない。合掌──。

写真:井上ひさし追悼 こまつ座第92回公演


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