5年、10年と節目をつけ、少しドキドキしながら、娘を見守っていく 女優/タレント・麻木久仁子 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2013年8月
更新:2019年7月

いろんな問題が重なって脳梗塞を発症

「娘とはお互い納得して検診に行こうと思います」と話す麻木さんと「それが麻木さんの務め」と鎌田さん

鎌田 最初が脳梗塞、次が乳がんですね。脳梗塞は心のストレスや疲れがあったときに発症したんですか。

麻木 偶然のタイミングだとは思いますが、私の中ではそうでした。ちょうどいろんな問題が起き、すごく悩んでいるときに、右手がぶるぶる震え出したんです。心理的ストレスかなと思ったんですが、一応診察してもらおうと病院に予約し、待っている間にあの騒動が起きたんです。

鎌田 診断の直前にですか。

麻木 そうです。

鎌田 そのストレスがなければ、パニック障害と診断されたかも知れませんね。

麻木 ただ麻痺が出たのが片方だけでしたから、もしかしてと思ったんです。当時は生活のゴタゴタもありましたから、脳梗塞と診断されても、何を考えていいのか判断がつかず、パニックになりましたね。その時点でパニックになること自体、落ちるはずのない石橋から落ちたようなものですよね(笑)。

鎌田 MRIを撮ったら、脳梗塞の影が見つかったんですね。そこで、右手がぶるぶる震えたのは、脳梗塞のせいだとわかった。どういう治療を受けたんですか。

麻木 2カ月ちょっと、震えを止める薬をのみました。そのうちに震えが収まってきて、2カ月過ぎた頃に、薬を止めてみたら、完全に震えが収まっていることがわかりました。現在は後遺症はまったくありません。

鎌田 それは良かったですね。で、乳がんが見つかったのは?

保存写真との比較により見つかった乳がん

麻木 脳梗塞から2年弱経った2012年8月です。私は以前から、毎年1回、事務所が指定する人間ドックには行ってたんです。それを、脳梗塞の治療後3カ月に1回、経過の診察を受けに行くようになったので、東京女子医大の人間ドックに変えたんです。そうしたら、婦人科��は広尾のクリニックを紹介され、行ってみると、担当の女子医出身の女性医師が、偶然、以前テレビの医療番組でご一緒し、マンモグラフィを撮っていただいた先生だったんです。さらに運が良かったのは、その先生が番組で撮った写真を保存していてくださったことです。

鎌田 それはスゴイねぇ。

麻木 ですから、芸能人として撮っていた写真と、新たに個人の保険証で撮った写真を比べていただいたら、少し違うと。その先生はマンモグラフィの写真で乳がんを発見するプロらしくて、うっすらとした影も見つけてしまう。だからこそテレビにも出演されたんです。先生は「このまま帰せない」と言って、その場で国立がん研究センターに電話して、予約してくださいました。

鎌田 ということは、がんセンターで乳がんと確定されたんですね。

麻木 最初は、針生検でも確定できなかったんです。結局、切開して細胞を取って調べたら、左右ともありました。最初から左右とも怪しい感じがあったんですが、クリニックの段階では、「右にもしものことがあっても、今の段階なら、いくらでも治療の選択肢はあるからね」と言われていましたから、「ああ、右は決まりなんだな」と覚悟していました。左は「乳腺症のようなもので、悪性ではない可能性がある」と言われましたから、もしかしたら大丈夫かなと。がんセンターでも、「左はどうかな」という感じでしたが、結局、「両方とも切開して取って、詳細な検査に回します」ということでした。

鎌田 ということは、最初に試験的に切除するのではなく、その時点で手術をしてしまったんですね。

麻木 そうです。「検査のための切除と病変の切除を同時にやろう」ということでした。左は1回で取り切れましたが、右は2回やりました。

鎌田 右は1回では取り切れず、もう少し広く切除し直したわけだ。

麻木 ですから、私の場合、正式に「乳がんです」と告知されたのは、切除してから2週間後ぐらいでした。それまでにいろいろ検査したり、切除したりしましたから、告知されたときにはもうヘトヘトで、疲れ果てていましたね(笑)。

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