原稿も旅行もゴルフもできるうちは好きなようにやって生きていきたい 作家・高橋三千綱 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2013年9月
更新:2019年7月

姉が口癖のように言った「あなたは人の3倍生きている」

鎌田 高橋さんは早稲田に入る前、アメリカに行ってますね。

高橋 中学時代に読んだ、小田実さんの『何でも見てやろう』の影響ですね。日本という国はちょっとせせこましい、大陸へいきたいと思ったんですね。それで創作科のある外国の大学を探したところ、サンフランシスコ州立大学があった。それでサンフランシスコ州立大学に行くために、高校はアメリカンスクールにも通いました。

鎌田 英語は話せるようになった。

高橋 相当しゃべれました。サンフランシスコでは、私をアメリカ人だと勘違いした人もいましたよ。アメリカの生活は、気候といい、人間関係といい、私に合いましたね。

鎌田 なぜ帰ってきちゃったの?

高橋 お金が無くなっちゃったからです(笑)。最初はもらっていた奨学金も、成績が落ちたためにストップされ、旅行代理店のアルバイトは、長時間は働けない厳しい時間規制があったりして、3年ほどでお金が底を突いたんです。ちょうどその頃、姉の結婚式があって一旦帰国し、再びアメリカに戻ろうとしたら、「君には貯金がないから、ビザを発行することはできない」と言われたんです。

しようがないから、新宿のゴーゴー喫茶で、飲み逃げする客を捕まえて、料金を払わせるような仕事をやりました。給料は6万円ぐらいで、当時としては良かったですよ。ただ、ああいう店は、昨日今日東京へ出てきた女の子が、わけもわからず踊っていて、すぐに悪い男に引っ掛かるんですよ。そういうのを見るのはイヤだし、彼女たちに意見するのもイヤだし、その仕事も2カ月ぐらいであきて、日本の大学へ入り直そうと思ったんですよ。

鎌田 いやぁ、うらやましいほど面白い人生ですねぇ。

高橋 姉が口癖のように言ってましたね。「あなたは人の3倍生きてる」って(笑)。

流れる景色を見たり、草むらに寝転ぶ性分

「作品を作るのは楽しい。小説家は便利で気楽な仕事ですよ」と高橋さん

鎌田 物を書くようになったのは、いつ頃からですか。

高橋 早稲田大学に入ってからですね。

鎌田 その頃には作家になろうと決めていた?

高橋 いや、旅がまず先ですね。世界中をうろうろしながら、気に入った街に狭くてもいいから住む場所を見つけて、そこで暮らしたいと思ったとき、日本語で物を書くのがいちばん効率がいいと考えたんです。実は、サンフランシスコにいたとき、太宰治の文章をパクって英訳し、英文の文章を先生に提出すると、結構受けていたんです(笑)。しかし、自分でオリジナルの英文の文章を書くとなると、自信がない。

それで、早稲田時代にまず、スポーツ新聞の特派員やフジテレビの通信員などに応募して、アルバイト的に記者の仕事をやったんです。それが物書きの世界に足を突っ込んだ最初ですね。なぜか、ぼくの書いた記事が、よく採用されたんですよ。

鎌田 文才が出るんでしょうね。うかがっていると、高橋さん自身の生き方が、まさに旅そのものですよね。作家になったのも、まず旅ありきでしょう。どうして旅に出ちゃうわけ?

高橋 流れる景色を見るのが好きだったり、草むらに寝転がってるのが好きだったり、馬に乗りたいと思ったら馬に乗りに行ったり……、これは性分じゃないでしょうか。

鎌田 『九月の空』の3部作の1つになっている『五月の傾斜』という作品の冒頭部分に、「入学したいと思っていた高校を下見に行く途中でぶつかった十二月の風を見て、勇は芯から凍った体の中央に、一本、確かな自覚を備えた緊張感が張りつめるのを感じた。(中略)三月前の風も辛辣なやつらだった。入試を受けに向かう勇の正面から、体当たりを食らわしてきた。(中略)五月に入って、風は急に丸味を帯びてきた。一週間が過ぎた今では、夏の近づきを感じさせるほどに暖い。勇の喉をふやけた舌先で舐めて体を後に旋回させ、ころころと転がっていく。」という文章がありますね。風だけでこれだけさまざまな心境を表現できるのは、旅をしてその感覚が身についたんでしょうね。

高橋 そういうことを意識したことは、あまりないんです。私の中にそういうものに対する気持ち、魂があるとしたら、それで人を揺り動かすとか、説得しようとするのではなく、自分が勝手に風に気持ちを飛ばしていると言うか、そこにいると自分が気持ちいいという感覚ですね。25歳を過ぎた頃からは、風に気持ちを飛ばしている自分の傍らにはウイスキーがある、という感じですかね(笑)。

長編の筆が進まなくなると、ついつい酒を飲み始め……

鎌田 肝硬変になって、酒はやめられましたか。

高橋 62歳のとき、意地になってやめました。家庭医にアルコール性肝炎と診断され、紹介状を書いてもらって大病院に検査を受けに行ったとき、2時間ほど待たされた挙げ句、医師から「もう肝硬変になってるよ。アルコール性の肝硬変は、もう治らないな」と、わずか1分半の診察で帰されたんです。これが大病院の有名な先生のやることかと、ムッとしまして、意地で半年だけやめましたよ(笑)。

鎌田 反面教師的なドクターだったんだ(笑)。

高橋 2度と行かなかったですよ(笑)。別の病院で採血して調べてもらったら、「いや、肝硬変じゃないですよ」と言われ、血糖値が少し高かったんですが、また飲み始めちゃった。これが良くなかったですねぇ(笑)。反面教師のドクターのままのほうが良かったかも知れません(笑)。

鎌田 それが2~3年前の話ですよね。

高橋 はい。実は長編小説を書き始めて、筆が進まなくなると、飲むんですよ。酔っ払っているうちに、日にちが過ぎますから、書いたような気になるんですが、朝起きてみると全然進んでない(笑)。朝風呂にでも入ってすっきりしてから書こうかな、と思って風呂に入って出てくると、まだ早朝5時頃なんですが、ビールでも一杯やるかということになる(笑)。ビール1杯が2杯、2杯が3杯と進んでいくうちに、いつしか昼になる。まずいことに、昼に寿司屋が開くんです。行くと、オヤジが「おや、高橋さん、もうお酒入ってるんじゃないですか」。「いや、バカ言うんじゃないよ。暗いうちからひと仕事終えて、一杯引っかけてきたんだよ」(爆笑)。

鎌田 いやぁ、本当にいい人生ですね(笑)。

高橋 ただその間に、私の原稿をずっと待ってくれていた編集長が食道がんで亡くなって……、それはホントにショックでした。

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