神が私を見捨てないから 難治性乳がんにもへこたれない ゴスペルシンガー・KiKi(ゲーリー清美) × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成/江口 敏
発行:2014年2月
更新:2018年9月

ゴスペルを聴くために 店を手放しアメリカへ

鎌田 若くして自分のお店を持ち、音楽ができる空間も確保できたのに、なぜやめたんですか。

KiKi お店の契約期間が5年だったんです。5年間、家賃を支払いながら、店づくりのために借りたお金も全部返済しました。それが終わったとき、ホッとして精神的な疲れが出たんでしょうか、急に心臓がドキドキしてきたんです。いろんな病院へ行きましたが、最後は自律神経失調症だと言われ、「何だ、それっ!」って感じでした(笑)。

私は、女の子がいちばん遊びたい時期に、全然遊ばないで、お客さまとお話をしたり、歌ったり、お客さまを楽しませることに全力を注いできました。しかし、気がついてみると、私の周りには本気で話せる人がいなくなっていたんです。それでお店を他人に任せて、アメリカへ行ったんですよ。

鎌田 アメリカに行こうと思ったのは、なぜですか。

KiKi どうしても黒人の教会に行き、ゴスペルを聴きたかったんです。

鎌田 そのきっかけは?

KiKi お店を開店して1年経った頃、今の夫と知り合ったんです。彼はアメリカ人で、歌うために日本に来ていました。彼の父親が牧師ですから、彼からたまに神さまの話も聞いてはいたんですが、いちばん影響を受けたのはR&Bです。そのソウルとかブルースといった歌のルーツを辿っていくと、音楽のジャンルではなくて、ゴスペル、信仰から来ているということを教えられ、もっと知りたいと思ったんです。

鎌田 その牧師の息子さんから刺激を受けて、本物のゴスペルを聴くためにアメリカへ行ったわけだ。行ってどうでした?

KiKi ロサンゼルスで初めて教会に足を踏み入れたときは、その歌の迫力、魂の叫びのような歌声に圧倒されました。そして、何回目かに行ったとき、突然、涙が止まらなくなり、大人になってから経験したことがないほど泣きました。

鎌田 こういうジャンルの歌を歌おうと思った?

KiKi 何だろうって思いましたね。見せるために歌うのではない。素晴らしい歌声で、歌唱力もテクニックも持っている歌手なのに、一心に何かに向かって叫ぶように歌う姿。何のために、何を歌っているのか。なぜ手拍子を打って喜んでいるのだろう。誰がこの人たちの心を躍らせているのだろう。とても不思議に思いました。

教会に来る人たちは決して裕福ではありません。ロスの貧しい人たちが、日曜日になると、おしゃれをして礼拝に来るのは、そこに大きな喜びがあるからです。そしてある日、ひとりの女性がゴスペルを歌っているのを見たとき、私は自分がこれまでがんばって生きてきて、自分は大丈夫だと思っていたけれども、本当はそうでは��いんだ、自分としっかり向き合ってこなかったんだ、ということに気がついたんです。

ゴスペルとの出会いで 本格的に歌手の道へ

鎌田 アメリカの教会で本物のゴスペルに出会ったことにより、両親によって育まれていたKiKiさんの心の芯が揺さぶられたんだと思います。

KiKi それをきっかけに、お店も完全に手放して、歌を歌っていくことに専念しようと、心を決めました。

鎌田 歌で食べていく自信はあったんですか。

KiKi 確たるものはなかったと思いますが、とにかく歌いたい歌を真剣に、一生懸命歌っていこうと決めました。飲食店などのお店で歌わせてもらったり、ピアノを弾かせていただいたりしました。そのうちにいろんな店から声を掛けていただけるようになり、ススキノで何軒も回って歌うこともありました。その間にも、ゴスペルを聴きにアメリカへ行ったり来たりしていました。

鎌田 KiKiさんのコンサートは、ものすごく多くの人たちが参加しており、すごい迫力のステージですよね。あのようなステージはいつ頃からですか。

KiKi 私が洗礼を受け信仰を持ってゴスペルを歌うようになったのは、12年前からです。それまでは、ゴスペルはアメリカの教会で黒人が歌うのを聴くものだと思ってました(笑)。しかし、ゴスペルは福音を歌い、信仰を歌うものであることを学んで、私も少しずつゴスペルを歌うようになりました。最近は聖歌隊を結成し、大勢でゴスペルを歌うステージにしています。そこでは、私がかつてお店を経営し、歌を歌ったり、ピアノを弾いたりして、お客さまに楽しんでいただいていた経験が、全部生かされています。

鎌田 そうか。KiKiさんは自分のためにゴスペルを歌っているのではなく、お客さまのために、誰かのために歌っているんだ。

KiKi 私は信仰と神の存在を知ったことで救われました。自分は愛されている存在であり、必要とされ、愛される対象として生まれてきているということを、私が大人になってからまともな言葉として耳にしたことがなかったんです。そういう神の言葉に、私はものすごくアイデンティティを感じることができて、私の今の歌うスタイルをつくることができたんだと思います。

そういう意味では、私は神の力、他力によって他の人たちのため、誰かのために歌を歌えるようになったんです。でも鎌田さんはご自身の力で人のやらないような仕事までされている。イラクの子どもたちやシリアの難民、福島の原発事故被災者たちのために、ボランティアで、バレンタインチョコレートを売っていらっしゃるんでしょう。

鎌田 まあ、楽しんでいる面もあるんです(笑)。毎年、1缶500円のチョコレートを16万個買ってもらっています。全部売れたときの純利益は5000万円ぐらいになり、その達成感は何物にも代えがたいですからね。収益金は寄付しますが、その他にこのチョコレートをつくることで、草加市の小さな製缶工場の3カ月分の仕事が確保され、発送を頼んでいる神奈川県の共同作業所で障害者訓練にも役立っています。

乳がんで乳房温存手術 抗がん薬治療は受けず

鎌田 そろそろ本題に入りましょう(笑)。最初、2003年に乳がんが見つかったということですが、何か症状があったんですか。

KiKi まったくありませんでした。下着を着けるとき、右側にしこりがあり、あれっていう感じでした。

鎌田 すぐにがんだと思いましたか。

KiKi 思いませんけど、こんなところにコロンと変なもの、何かおかしいだろうって思いましたね(笑)。

鎌田 病院ではすぐに診断がついた?

KiKi お医者さんが触診で頭をひねって、細胞診をやって乳がんとわかりました。私の周りの人が「セカンドオピニオンを」と言うものですから、別の病院でMRIを撮ってもらったところ、同じ右側に3つのがんが見つかりました。

鎌田 それで手術を受けたんですね。

KiKi 全摘ではなく温存手術にしました。

鎌田 手術後に放射線治療をやった。

KiKi そうです。私の乳がんはトリプルネガティブで、抗がん薬治療の話もありましたが、抗がん薬治療だと閉経状態になったり、声が変わる可能性があると言われましたし、その3年前に私の母が乳がんになり抗がん薬治療を見ていましたから……。一方、仕事は続けたいと思いましたし、2人の子どもがまだ小さかったものですから、しっかり治療すべきだとも思って悩みましたが、お医者さんとよく話し合い、結局、抗がん薬治療はしないことに決めました。

鎌田 やはり声が変わることが不安だった?

KiKi とにかく体力がどこまでもつのか、始めて間もないゴスペルがどこまで歌えるのか、すごく不安でした。

鎌田 こうして話している声も、ものすごく魅力的な声ですよね。

KiKi そうですか(笑)。周りの人たちからも、「ちゃんと治療してください」と言われましたよ。私は抗がん薬治療を頭から拒否しているわけではなく、今後のことを考えれば、治療することがあるかも知れません。

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