病気にはなったけど 決して病人にはなるまい 田部井淳子 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成/江口 敏
発行:2014年3月
更新:2018年9月

がん性腹膜炎を発症し 余命3カ月を宣告される

鎌田 なるほど。死と隣り合わせの登山の修羅場を踏んでいるうちに、肚が据わって、前向きの思考ができるようになる。田部井さんの場合、それががんとの闘いの中に活かされていますね。2009年に子宮がんを手術したんですか。

田部井 がんではなかったんですが、山に行っているときにちょっとおりものがあり、30年掛かりつけの先生に相談したんです。そうしたら、「もう年だし、どうせ用もないんだし、がんになる前に取ったほうがいいよ」と言われ、1カ月休みを取って、エイヤッと取ってしまいました。

鎌田 子宮をがんになる前に摘出し、元気だったはずなのに、2012年にまたがんに?

田部井 がん性腹膜炎と言われました。

鎌田 どんな症状でしたか。

田部井 最初は、お腹が針で刺されているようにチクチクする状態が2週間ほどありました。そして一旦治ったんですが、その後、また2~3日おきにチクチクする状態が続いたんです。それで胃腸科の病院へ行き、レントゲンを撮ってもらったら、「腸閉塞かも知れません」と言われました。しかし、ちょっと違うなぁという感じがしました。

その翌日、福島で震災関連の講演会があり、新幹線に乗ったんですが、痛みはないけれど何となくお腹が張っている感じがして、おかしいなと思ったんです。そこで美容院に行くか、病院に行くか、ちょっと迷いましたが(笑)、医師をしている兄に連絡したら、「すぐ来い」と。そして兄に診てもらったら、「今すぐ大きな病院に行ったほうがいい」と言われ、大きな病院に救急外来で行くと、その場で「きょうは帰れません」と言われました(笑)。

鎌田 そのときの診断が、がん性腹膜炎だった。

田部井 はい。最初は夫だけ呼ばれて、「腹水の中にがん細胞があり、大変深刻です」と言われたんです。「だったら一緒に聞きます」と言って、私も夫と一緒に診断の結果を聞きました。

鎌田 相当厳しいことを言われたんですね。

田部井 若い先生でしたが、「ものすごい深刻ですので、しっかり聞いてください」と言いながら、もう私の顔を見ないんですよね(笑)。お腹の中にがん細胞が広がって、播種と言うんですか、種を播いたようになっていて、それが骨盤の中にまで入っている、という話でした。そう告げる先生の顔がすごく深刻でしたから、「それって、どの程度の状態なんですか」って訊いたら、先生はどもりながら、「6月ぐらいまででしょうか」って。そのときが3月でしたから、「エッ、余命3カ月!」って思いました(笑)。

「Ⅲ期C」の腹膜がんが 抗がん薬治療できれいに

鎌田 今だから笑い話で済まされますが、そのときは真剣に受け止めたんでしょう?

田部井 もちろんです。自分の病室に帰ってきて、夫と2人で、子宮がんでお世話になったがん研有明病院の先生に相談しようと考���ていたんですが、若い先生がすでに症状を連絡してくださっており、帰京後、すぐにがん研有明病院に入院しました。

驚いたのは、がん研の先生は全然、深刻そうではなかったことです。入院したその日に、何となく明るく、「今はいい薬がありますから……。5月になった頃には、あれはいったい何だったんだろうっていうくらい、良くなるかも知れませんよ」と言われました。それまで1週間以上食欲がなかったんですが、入院した日にご飯を全部いただきましたよ(笑)。

鎌田 医師の話し方によって、患者さんの気分はそれだけ変わるということですね。ただ、先にかかった若い先生の気持ちもわからないでもない。がん性腹膜炎で播種を起こしており、深刻なことは明らかですからね。そのがんは何がんだったんですか。

田部井 原発がんはわからないんです。乳がんから転移したものかどうかは、調べるのにかなりの時間がかかるようです。まずタキソールによる化学療法を行い、様子を見たあと、手術を行い、術後にまた同じ化学療法を24回行いました。

鎌田 大網はもう取ったんですか。

田部井 取りました。

鎌田 大網に腫瘍はありましたか。

田部井 なかったです。

鎌田 抗がん薬で消えていた。

田部井 手術前にPET-CTを撮ってもらったときには、ほとんどなくなっていました。入院直後の写真では帯状にものすごく映っていて、「Ⅲ期のC」と言われていましたから、たった2週間でこんなにきれいになっちゃうの、って驚きました。

タキソール=一般名パクリタキセル 大網=胃から垂れ下がって大小腸をおおっている大きな網のような脂肪組織

行けなくなる前に とにかく行こう

鎌田 今、体調はいいですか。

田部井 いや、抗がん薬の影響が出ていますね。倦怠感、手足のしびれ、むくみ、それに膝の裏側に力が入らない。膝の裏の関節が痛いんです。当初は家の階段を上がるにも、手で足を持ち上げないと上がれないほどでした。全身の倦怠感で、椅子があったら座りたい、ソファがあったら横になりたい、という感じでした。

鎌田 山登りに支障はないですか。

田部井 岩場があるような難しい山は登れないと思います。ただ、木につかまったり、ストックを使って登れる山は、自分に「行くぞ!」って気合いを入れれば、行けると思います。行ってみると、徐々に足が慣れてきて、登れるようになるんです。それに、山を歩いていると風景が変わり、風も変わりますから、それを感じられるのが嬉しくて、楽しいんです。ベッドで寝ているだけでは、風景は変わらないし、風の変化も感じられません。ですから、次から次へと山登りの計画を立てています。

鎌田 家族は理解してくれている。

田部井 夫とふたり暮らしですが、夫は「寝たら起きられなくなるから、歩け、歩け」って言ってますね(笑)。

鎌田 ご主人も同じ考え方なんだ。山へ行くときも一緒ですか。

田部井 そうです。荷物のチャックを開けたり、ベルトをはずしたり、ペットボトルを開けたり、カギを開けたりするとき、手伝ってもらわないと……。

鎌田 それは抗がん薬を使ってからですか。

田部井 はい。ナイフを使ったり、ボタンをかけるのも難しいので、一緒に行ってもらっています。

鎌田 それでも山へ行くんだ。よほど山を愛しているんですね。病気が完治しているかどうかわからないけれども、行きたいところへ行く(笑)。

田部井 一応「寛解」と言われたわけですから、行けなくなる前にとにかく行こう、という気持ちですね。見たことのない風景に出会い、風の変化を感じられることは、素晴らしいことだと思います。先日、鏡を見ながら、「病気にはなったけれど、病人にはなるまい」と、改めて思いましたよ(笑)。

同じカテゴリーの最新記事