病気にはなったけど 決して病人にはなるまい 田部井淳子 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成/江口 敏
発行:2014年3月
更新:2018年9月

福島の高校生たちを富士山に連れて行く

鎌田 最初に尾道でお目にかかったとき、シャンソンを歌っていると聞きましたが、今も歌っていますか。

田部井 シャンソンではないですが、歌ってます。コンサートもたびたびやってます(笑)。

鎌田 大震災被災地への復興支援の一環ですか。

田部井 そうです。一昨年、被災地の若い人たちを少しでも元気づけようと、「東北の高校生を日本一の富士山へ!」という活動を立ち上げ、東北の高校生を富士山登山に連れて行く仕事をしています。

鎌田 東北の高校生たちは喜ぶでしょう。

田部井 福島をはじめ東北からは富士山は遠いので、なかなか登る機会がないんですね。そして、実際に登ってみると、とてもきついんです。あきらめそうになるのを、仲間に手を差しのべてもらいながら、やっとの思いで登る。ですから、富士山の頂上に立ったときの達成感はすごいんです。

なかに、津波で亡くなったお父さんの、たったひとつの遺品の携帯を忍ばせてきた子がいました。頂上に到着して座り込んだとき、その携帯が足に触れたんですね。彼はその携帯で初めてお母さんにメールを送り、お父さんと一緒に富士山頂にいることを知らせたんです。お母さんは感激し、私たちに「ありがとう。ありがとう。ありがとう」という手紙をくれました。そしてその高校生は、「お父さんを亡くし、目標を失っていたけれども、お父さんの跡を継いでクルマの整備工を目指すことを決意しました」という内容のメールを送ってきました。こういう話を聞いて、私は富士山登山を続けなきゃと思いました。1000人は登らせたいですね。

鎌田 そういう活動の資金集めのために、胸の開いたドレスを着て、コンサート活動をしているわけだ(笑)。

田部井 女性のドレスの3大原則は、「開ける・透ける・光る」ですから、借り物ですが、原則を守ったドレスを着て歌っているんです(笑)。一生懸命歌っても、誰も「上手い」とは言ってくれない。「面白かった」で終わりですけれどね(笑)。

鎌田 だから、コンサート名が、「怖いもの知らずの女たち」というんですね(笑)。

田部井 「怖いもの知らず」の次に「恥知らず」がついてます(爆笑)。

鎌田 ステージもやり出したら面白いでしょう。

田部井 お稽古事というのは、いくら歳を取ってから始めても、練習するにつれて上達するんですね。後退はしない。ボイストレーニングでもやっているうちに、声を出すと内臓が動くことがわかってくる。歌は内臓で歌うんですね。大きな声で歌うことは健康的だし、山へ行くのと同じくらい内臓を動かすことでもある。それに、ふだんあまりお化粧をしない人間が、つけまつげなどをすると、まったく「別人28号」になりますからね(爆笑)。私がすぐ側にいるのに、「田部井さん、どこ行った?」って探してる(笑)。

鎌田 その楽しさ、快活さが、がんと闘うことにもつながってくる。

田部井 萎える気持ちがなくなりますね。元気に生きているからこそ、そうしたいい時間が持てるんですよね。ですから私は、「病気にはなっても、病人にはならないでおこう」と自らに言い聞かせているんです。

東京五輪は決まったが 東北の復興は遅れ気味

鎌田 田部井さんは、枝垂れ桜で有名な福島県の三春の出身で、福島をこよなく愛し、福島を思う気持ちは人一倍強いですね。だから、福島復興のために一肌脱いでいる。

田部井 何とか福島復興をというのが私の悲願ですが、福島の復興はまだまだというのが実感ですね。まだ16万人の人が家に帰れないままですからね。

鎌田 原発事故さえ起きなかったら、福島の力をもってすれば、他県よりもっと早く復興が立ち上がっていたと思うんですけれどね。やはり目に見えない放射能問題は大きいですよね。

田部井 私は、もう帰れないということを早く宣告して、他の町に移るという方針を出すべきだと思いますが、その基本方針が出されないものだから、被災者の皆さんのイライラは募るばかりです。

鎌田 去年12月に、ウクライナ共和国のキエフ郊外にある、デスニアンスキー地区の町を見てきました。そこはチェルノブイリ原発の30キロゾーンの中に住んでいた4万5000人ぐらいの人たちを移住させた、高層アパートの林立する新興住宅地です。そこの住民の人たちに話をうかがったんですが、彼らは「住む土地と家を失ってつらく、苦しかったけれども、事故から半年後に、自分たちが定住できる家を与えられたことは、ものすごく生きる力になった」と言っていました。

田部井 私は首都圏に避難してきている人たちと、毎月のように福島へハイキングに行っているんですが、その人たちが言っていますよ。「東京オリンピックが6年後に決まったが、私たちはいつ帰れるのかわからないし、6年後にどうなっているのかもわからない。これが日本なんだよ」と。

私は被災者にそう思わせているのが、とても残念です。日本って、そういう人たちにパッと救いの手を差しのべる国だと思っていたんですが、ちょっと期待はずれだと感じます。

鎌田 それにしても、田部井さんはがんと闘いながら、ボランティアで福島の高校生を富士山に連れて行ったり、原発事故の避難者をハイキングに連れて行ったり、偉いですね。ボランティアをやめたいと思ったことはないですか。

田部井 私は幸い、脳梗塞などで倒れて動けなくなったわけではありません。動けるうちは働きます。

鎌田 決してがんに負けていない。きょうは世界で初めてエベレストへ登った女性の、内に秘めたたくましさを感じさせていただきました。ますますのご活躍を期待します。

東京オリンピック= 2020 年東京で開催

「動けるうちは福島復興のため働きます」と話す田部井さんと
「決してがんに負けていない」と応じる鎌田さん

同じカテゴリーの最新記事