人間を診ないロボット医師にいのちを預けるわけにはいかない なかにし礼 × 鎌田 實 (前編)

撮影●板橋雄一
構成/江口 敏
発行:2014年10月
更新:2019年7月


家内が見つけた陽子線治療

鎌田 病院の中にいると、自分のことをボディとしか見てくれないので、自分のことを「ボディ」と呼んでいたようですね。ロボットである医師の意のままにはなりたくない。自分のボディが「ノー」と叫んだんだ。そこから奥さんと二人三脚で、新しい治療法を探したんですね。

なかにし ボディというのは個性も感情もない、単なる病体なんです。そして日々、点滴をうちながら、看護師さんに体温や血圧を測ってもらっているうちに、これはちょっとまずいんじゃないかと。これまでの自分の生き方は、もっと我が儘だし、もっと個性を発揮する生き方をしてきたはずなのに、病気になった瞬間、おまえどうしちゃったの。我を忘れちゃったのか。しっかりしろ。そういう気持ちがたぎってきたんですよ(笑)。それから先生とケンカして、病院を脱出するんです。先生も、「あんた、そんな我が儘を言うんなら、どうにでもするがいい。ダメだったからと言って、戻ってきたって、知らないよ」ですよ(笑)。

鎌田 陽子線に出会った経緯は?

なかにし いろんな人が心配して、いろんな療法を教えてくれました。しかし、途中で人に頼るのはやめて、家内と2人でパソコンとだけ向き合って、いろいろ調べていたところ、家内が陽子線を見つけた。陽子線治療を調べると、これがぼくが願ってもない治療法だった。ビームが入っていって、患部に当たったらそこで爆発し、ストップして奥へは行かない。放射線は人体を通過するけど、陽子線は食道の患部にだけ当たって、背後の脊髄までは行かない。

鎌田 なかにしさんは陽子線の前、普通の放射線治療をやり始めたんですよね。

なかにし 3回やりましたが、もうとんでもないですよ。やり方がものすごく乱暴です。暗いところで大勢並んで待たされて、「はい、次」「はい、次」と、呼びに出てくるのが全部インターンみたいで、入ると一気にバァーッと放射線を当てるんですよ。もう、吐き気はするし、どうしようもない。家に帰って、ベッドに倒れ込んで、「これを30回もやられたんじゃ、えらいことになっちゃうぞ」と。

鎌田 3回でやめる決断して良かったですよね。

なかにし 弱い心臓に放射線をまともに浴びますから、終わるとのたうち回るほどでした。「放射線やめます」と言ってその病院を出た。もう背水の陣ですよ。パソコンで検索していて、陽子線に辿り着くまで3~4日かかりました。東京から通える範囲で陽子線をやっているのは、筑波大学陽子線医学利用研究センターと、国立がん研究センター東病院でした。

国立がん研究��ンター東病院を選択した理由

鎌田 がんセンター東病院と筑波大学で、がんセンター東病院を選択した理由は?

なかにし がんセンター東病院は担当医師の直通電話番号が書いてありましたが、筑波大学のほうはファックスで問い合わせれば、向こうから連絡が返ってくることになっていた。焦っていましたから、対応法が官僚的で時間がかかりそうな筑波大学はカットして、翌日の朝9時にがんセンター東病院の主任医師に直接電話したんです。秘書の女性が電話に出て、「教授は今外来患者の診察時間だから席にいない。正午に折り返し電話する」ということでした。

正午に主任医師から、秘書が約束した時間にきちんと電話がかかってきました。「何とか陽子線治療をお願いできませんか」と頼み込むと、「一度、直接お会いしましょう」ということになった。そのとき、先ほどの4番目の先生に「資料をください」と頼んだのですが、これが意地悪でなかなかくれない(笑)。しつこく交渉して資料をもらって、がんセンター東病院の先生にお会いしたんです。

陽子線治療はダメージはないが高額

鎌田 それで、がんセンター東病院の診断の結果は?

なかにし 改めて診てもらうと、原発部分から8㎝離れたところに転移が見られると。「15㎝以内なら陽子線は効きます。ただ、食道は動くところだから、あまりやってないんですけど」と言われました。それでぼくは、「モルモットでいい。失敗してもいいから、やってみてください」と頼んだんです。先生は、「そんなわけにはいかないでしょう。何とか成功させますよ」と。

鎌田 陽子線治療をやってみて、身体のダメージは放射線より少なかったですか。

なかにし ダメージはないです。ただ、陽子線治療は高額です。

鎌田 約300万円。

なかにし そう。それに前払い。ただ、現実には国が500万円補填している。300万円は高額ですが、病院側は治るという前提のもとに前金で受け取るわけだから、治る確率は高いと思います。治療の中身ですが、何の痛みも、何の痒みも、何の圧迫感もないですよ。ただ、前もってデスマスクのようなもので上体を束縛させるために、ボディにぴったり合ったものを作るんです。治療のときは、それをまず被って、鋲で留められるわけ。そうして微動だにできない状態になって、呼吸を普通の状態に整えたところで、心臓と肺の動きで食道がどの程度動くのか、コンピュータによってその動き具合をマーキングする。ぼくの身体に合う陽子線の照射率は、あらかじめ決められている。

陽子線治療の所要時間30分のうち、そうした準備に25分。実際に陽子線を当てる時間は2~3分です。その間、機械が動いて、いろんな角度から照射しますが、それを意識することはまったくありません。熱いも痒いもない。それで治療が終わると、すぐに自宅に帰って普通に仕事ができる。陽子線治療はがんと闘う画期的な最新兵器ですよ。

同じ食道がんの勘三郎に「切るな」と忠告したが

鎌田 食道がんの近くのリンパ節転移にも陽子線を当てたんですね。

なかにし そこにも同時に陽子線を当てました。2方向から陽子線を当て、とにかく30回、通院で陽子線治療をやりました。予約を取って行きますから、待ち時間はほとんどないです。治療する部屋は1階の窓のある部屋で、とにかく明るい。それから医者が全員、白衣は着ていますが、全部、理工学医師とか工学医師とかで、コンピュータをいじって、がんを治すことを主眼とする医者なんです。そして、そこの青年医師たちがいつもにこやか。「なかにしさん、治しましょーねー」って言ってね。ぼくにも、「完治させましょう」と断言しましたよ。随分大胆なこと言うんだなぁと(笑)。嬉しがらせてくれてるんだろうけど(笑)。

鎌田 でも、嬉しかったのね(笑)。『生きる力』を読むと、満洲から引き揚げてくるときに日本という国家に随分裏切られた経験とか、お母さんがなかにしさんを列車の中に残して森の中に逃げ込んだといった経験から、なかにしさんは自分ひとりで生きていかなくちゃと考えたわけですよね。そのなかにし礼が、今回の陽子線治療に出会ったことを、何と「ありがとう日本!!」という言葉で締めくくっている。

なかにし 現在、日本には陽子線治療を行っている病院が9カ所もあって、一生懸命陽子線治療を研究している若い医師たちがいる。ぼくはたまたま運よくそこへ行くことができて、がんが治った。それは紛れもなく日本であって、フランスでもなければ、どこでもなかった。そのことをぼくは大変嬉しく思いました。

「国立がん研究センター東病院の青年医師たちはぼくに『完治させましょう』と断言しました。随分大胆なことを言うんだなぁと思いましたけどね(笑)」と話すなかにしさん

鎌田 余談になりますが、なかにしさんと前後して食道がんになった中村勘三郎さんは、手術を受けた後、肺炎による呼吸不全で亡くなられましたね。

なかにし ぼくは勘三郎が病院に入る前、メールで「切るな」とアドバイスしたんです。「切らなくても治る。俺は陽子線をやることにした。切ったらあとが大変だよ」って。だけど、勘三郎は「俺の先生はいい先生だよ」って、医者自慢をしていた。ぼくに言わせれば、もっと真剣に考えてほしかった。人間関係を大事にしすぎた。ぼくのがんより小さく、転移も3㎝しか離れていなかったから、陽子線治療で治せたんですよね。(以下次号)

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