自分を客観視する習性が、がん克服に導いてくれたのだと思います なかにし礼 × 鎌田 實 (後編)

撮影●板橋雄一
構成/江口 敏
発行:2014年11月
更新:2019年7月


作詩家から小説家になり 小説家脳に改造しました

鎌田 がんの話から少し離れます。なかにしさんは最初、シャンソンの訳詩からスタートされ、超売れっ子の作詩家になられました。私にも「時には娼婦のように」「恋の奴隷」といった、タイトルだけでもうぞくぞくするような歌や、石原裕次郎の「わが人生に悔いなし」とか、好きな歌がいっぱいあります。数え切れないほどのヒット曲を作詩したなかにしさんが、途中から小説の世界に入っていったのは、なぜですか。

なかにし 心臓病でいのちが助かったとき、ああ良かったなと思いました。小説が書けるからです。それまでは、小説を書きたい、書きたいと思っても、ぼくの名前は歌のヒットメーカーとして知られてるから、一種汚れちゃってる。小説を書くについては、「なかにし礼」という名前が、非常に邪魔だったんです。

それが重い心臓病を患い、死の淵から生還したとき、これで踏ん切りがつき、「なかにし礼」で小説が書けると思った。ぼくがいちばん書きたかったのは、満洲からの引き揚げ体験、戦争体験、けなげに生きた母親像などを描いた『赤い月』なんです。母親像も自慢げに書くのではない。当時、子どもたちを守り抜いた女性は、うちの母親と同じような強い精神力を持っていたと思うんです。つまり、あの当時のある種典型的な母親像として、ぼくの母親を書いたんです。

鎌田 あの作品にはなかにしさんの原風景というか、原体験が綴られていますね。身を削るようにして書かれたんじゃないですか。

なかにし 小説を書くときに使う脳は、詩を作るときに使う脳とは、全然違うんです。作詩をするときの脳は、スポーツで言えば瞬発力があり、太もものがっちりした、短距離選手の肉体をしてるわけ。ところが小説を書く脳というのは、完全にマラソン選手型の肉体をしており、持久力を重視している。文体から何から、歌うという作業から、語る、考えるという作業に変えるための脳改造、これがものすごく時間がかかるんです。今となってみると、ぼくはもう歌の詩は書けなくなっている。

鎌田 小説家の脳になった!

なかにし 小説的なものの考え方、見方、表現方法しかできない、正直言って。たまに諸般の事情で詩を書くことがありますが、作詩していて面白くない。それは、いい詞ができる、できないではない。ぼくが悦びとするテンションまで高まらないんです。小説にはそれがあるんですよ(笑)。ぼくが小説を書くようになってからは、一行、一行、考え、考えしながら書いていく。そして、一行、一行、古今東西なかった行だと確信しながら書いていく。その原則を守った��で、なお物語をつくり、自分の文体で語るという作業を積み重ねていく。そこには、何とも言えない愉しさがある。

人生のエピローグでは 言うべきことを言い切る

鎌田 今回、がんを克服したことは、これからの小説に反映されますか。

なかにし 60歳で小説家になり、2年後に『長崎ぶらぶら節』で直木賞をもらいました。そして2年前、73歳のときに食道がんになった。これで終わっても不思議ではない人生ですよ。ところがこうして生き返ったでしょ。そうすると、これまで小説を書いていたときと、発想が全然違うんですね。小説を書き始め、必死に書いていた頃は、売れる、賞を取るといったことを大事にしていたけれど、今はもうそれも関係なくなっています。

いのちを再びもらったけれど、残り少ないいのちを思うと、これは人生のエンディングというより、エピローグかなと思うわけです。エピローグはエピローグらしく、言い残していることを言い切って生きていくつもりです。

鎌田 最近は『天皇と日本国憲法―反戦と抵抗のための文化論』という、面白い本を出されました。がんになっていのちと向き合い、言っておかなきゃならないことを、ちゃんと言おうという決意を感じます。この本は、がんと少しは関係してるんですか。

なかにし 大いに関係してます。がんになって、治った。これはひとつの再生です。ぼくは治って病院から出てきて、去年1年、サンデー毎日に書いたのが、「花咲く大地に接吻を」という連載です。このタイトルの出典は『罪と罰』で、ソーニャがラスコーリニコフに言った、「あなたが汚した大地に接吻しなさい」という言葉から採ったものです。ラスコーリニコフはそこで大地に接吻し、再生するわけです。ぼくはラスコーリニコフほどの大きな人生の構想は持っていないけれど、この連載によって、がんから再生してきたことを再確認できました。

鎌田 なるほど。連載タイトルにも深い意味が込められていたんだ。

なかにし 『罪と罰』からタイトルを採っているのに、薄らぼけたエッセイを書くわけには行きませんよ(笑)。その連載を単行本にしたのが、『天皇と日本国憲法』です。

鎌田 戦争に対する非常に厳しい眼で書かれていますね。原発や安全保障についても、みんなが意見を言いづらくなっているムードの中で、非常に厳しい意見を吐かれている。

なかにし なぜ言いづらくなるんでしょうね。物書きも評論家もいっぱいいるのに、どうしちゃったの。空気が戦前と同じですよね。為政者のほうは積極的にドーンドンと、ショックを与えているうちに、社会の空気が変わってくると考えているんだろうけど、それを抵抗なしに受け止めていると、最後は本当にそうなってしまいますよ。

エロスが欠けている現在の殺伐たる社会

鎌田 アインシュタインとフロイトが、第1次世界大戦から第2次世界大戦の間に、再び戦争を起こさないためにどうしたらいいか、往復書簡をやりとりしています。その中で、フロイトが「暴力に対抗するためにはエロスだ」と言っています。エロスというのは欲情のエロスではなく、愛という意味です。なかにしさんが作詩や小説の中で説かれてきた、人間同士の愛の尊さ、大切さを、最近はどうも大事にしなくなっている。

なかにし 今の時代、たしかにエロスがすごく欠けてますね。ゲーテの『ファウスト』の中で、ファウストは女性的なるものによって救われるわけじゃないですか。その女性的なるものとの関わり合いがエロスだと、ぼくは思います。女性との関わり合い、エロスが欠けているから、殺伐とした社会になってきている。

鎌田 がんとの闘いにおいても、そこにエロスが存在すれば生き抜こうとしたり、死が近づいてきても、エロスがあることで救われたりするじゃないですか。

なかにし まったくそうですよ。ヘルマン・ヘッセに『50歳の男』っていう詩がありますよね。《ゆりかごから棺に入るまでは/50年に過ぎない/その時から死が始まる/人は耄碌し/張りがなくなり/だらしなくなり/粗野になる/いまいましいが髪も抜け/歯も抜けて息がもれる/若い乙女を恍惚として/抱きしめるかわりに/ゲーテの本を読むわけだ/しかし臨終の前にもう一度/ひとりの乙女をつかまえたい/眼の澄んだ/縮れた巻き毛の娘を/その娘を大事に手にとって/口に/胸に/頬に口づけし/スカートを/パンティーを脱がせる/そのあとは/神の名において/死よ/私を連れて行け/アーメン》――。ヘッセでさえ死ぬ寸前まで、エロスから離れられないんですよ。

「エロスが欠けているから、殺伐とした社会になっている」と話すなかにしさんに「死が近づいてきても、そこにエロスが存在すれば救われますよね」と応じる鎌田さん
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