踊ることで気分がほぐれ、精神的な歪みがほどけてくるのかも 舞踏家/俳優・麿赤兒 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2012年4月
更新:2019年7月

素直に「そうか」と受け止めた

鎌田  麿さんは1998年、55歳のときに、私もよく知っていた庭瀬康二医師から胃がんを告げられたわけですが、そのとき身体から叫びたいような気持ちはありましたか。

麿   それはなかったですね。電話で告知されたんですが、庭瀬さんの人柄は知っていましたし、あっけらかんと「麿、がんだよ、がん!」と言われましたからね(笑)。少しはぐっときましたが、素直に「ああ、そうですか」と受け止めましたね。

鎌田  あ、そうか。よく知っている医師から宣告された、というのは大きかったですね。

麿   知ってる医師とそうでない医師とでは、それは全然違うでしょうねぇ。

洋子夫人

洋子夫人

鎌田  (同席の洋子夫人に)奥さんは叫びたい気持ちには?

洋子夫人  「うん、うん」とうなづくだけの電話の様子をうかがっているだけで、大体ニュアンスはわかりましたが、「あぁーっ!」という感じにはならなかったですね。

麿   私は正直ですから、顔に出たんでしょうね(笑)。本人はそれほど大袈裟にしていなかったつもりだったんですがね。でも、私自身、「しょうがないなぁ」という感じでしたよ。ただ、土方が57歳で亡くなっていますから、変な符ふちょう丁は感じました。あと1~2年で57歳か、土方は舞踏も死ぬのも先輩だから、先輩にあやかってもいいかなとも思いました(笑)。

鎌田  少しは死も頭の中にあった?

麿   ありましたね。前から「がんになるのはイヤだ、イヤだ」と思ったりはしていましたからね(笑)。

鎌田  しかし、それほどオロオロしないで、きちんと公演をこなしてから、手術を受けていますね。

麿   公演が控えていたので、早く手術をしたいとは思わなかった。ただ、「あまり遅らせるのもまずい」と言われ、ギリギリの2カ月後に手術を受けることにしました。公演を終えその後に手術し、そして1カ月後に大阪公演もおこないました。

鎌田  がんの手術後、踊りは変わりましたか。

麿   気分は重いんですが、踊っているときは忘れますね。まだ力はある、と思いながら踊っていましたね。

最初の2年間は肉魚は厳しく制限

鎌田  手術後、奥さんはいろいろ治療法を調べられて、がんを全身の栄養障害・代謝障害ととらえ、食事を変えることによって、療養しようとする民間療法のゲルソン療法を採用されたそうですね。

洋子夫人  はい。ニンジンジュースのことは友人から聞いていましたので、胃がんとわかった次の日に、ジューサーを買ってきて、ニンジンジュースを毎日作るようにしました。それから本屋さんでゲルソン療法の本を見つけて、理にかなっていると思ったので、押しつけたんです(笑)。

鎌田  おしっこも飲ませた?

麿   おしっこは今でも飲みます。

鎌田  違和感はない?

麿   違和感はなく、儀式のようなものです。飲尿法はもう10年以上続けていますね。これがいいのは、酒を飲んで胸焼けがするとき、胃散を飲まなくても、すっと引くことです。

鎌田  ニンジンジュースは止めちゃったの?

洋子夫人  はい。バナナだけは今も毎日、ゴリラのように食べています(笑)。

鎌田  肉は?

麿   最初の2年間は肉・魚は厳しく制限されましたが、今は食べていますね。

鎌田  手術後、何年ぐらい経ったところで、もう大丈夫と思ったんですか。

洋子夫人  仕事のこともあり、 ゲルソン療法は2年が限界かなと思っていました。ただ、5年間は食事に気を遣い、調味も薄味にしていました。5年を過ぎてからは、それほど厳しくは気を遣っていません。

鎌田  お酒は?

麿   チビチビですね。

洋子夫人  以前と比べたら、大幅に減りました。たばこは手術の翌日から、隠れて吸っていましたね(笑)。

いつ再発してもいい覚悟は持っている

鎌田  術後の健康のために、何から何まで気を遣っていたというわけではないですね。

麿   私の手術から4年後に、庭瀬先生ががんで亡くなられて、がっくりきましてね。庭瀬さんは流山市のほうに診療所をつくり、医師として独自の地域活動を展開していました。

鎌田  医療・教育・理想郷の英語から造った「メデュトピア」を掲げてね。

麿   私は庭瀬さんに、「がんに悩んでいてもしょうがない。私が振り付けるから、がんだ、がんだと踊って楽しむ”がん祭り”をやろう」と提案していたんですが、実現できなかった。あまり真剣にがんに向き合うと、かえってダメなんじゃないかと思いますよ。医療の素人が真剣にがんと向き合うと言っても、限界がありますからね。私は抗がん剤はやらなかったんですよ。担当の2人の先生は、私に抗がん剤を使用するかどうかで、もめていましたけどね。

鎌田  胃がんの場合、抗がん剤が再発予防に効果があるかどうか、効くというデータはあります。2、3期の患者さんが対象で、その効果は80%ほど。乳がんでも再発率が低くなるというデータがあります……。

麿   私は、手術からもう13年経ちましたが、いつ再発してもいいという覚悟は持っていますよ。健康体の人でもがんになるわけですからね。

鎌田  麿さんは、莫大な借金を背負われたり、がんの手術をされたりしましたが、今も元気に好きな舞踏に邁進していらっしゃる。めちゃめちゃ面白い人生ですよね。

麿   周りがいろいろやってくれたお陰ですね。彦由氏などは、私が借金を背負ったとき、自殺するのではと心配して、一緒の布団で寝てくれましたよ。私は「邪魔だよ!」って言いましたけどね(笑)。

鎌田  これからも舞踏を続けていかれるわけですよね。

麿   そうですね。生涯現役ですね。やれるとこまでやるということです。

踊ることで気分がほぐれ精神的歪みがほどける

舞踏の効用を試している部分もあります

「がんの手術をして、どこまで踊れるか、舞踏の効用を試している部分もあります」と話す麿さん

鎌田  外国でもたびたび公演されてますよね。

麿   最近は年1回、2カ月ぐらい海外に出るという感じですかね。

鎌田  外国には日本の舞踏に対する期待があるようですね。

麿   あります。土方以来のファンもいますよ。また、最近は日本の若い舞踏家が、世界のあらゆる地域で活躍しています。

鎌田  舞踏というのは、英語でも「ブトー」と言うらしいですね。

麿   そうですよ。英語では「Butoh」と書かれていますね。

鎌田  私たちの生活の中で、舞踏とか踊りを観ることによって、生活が美しくなったり、健康になったりする、という面はあるんでしょうか。

麿   うーん、私たちは精神病院の患者さんとか、身障者の方々に観てもらうことがありますが、結構喜ばれますね。舞踏療法というのがあるかどうか、踊ることで気分がほぐれ、精神的な歪みがほどけてくる部分はあるのかもしれませんね。

鎌田  がんにいいのは、色のついた野菜だとか、魚だとか、発酵したものだとか、よく言われますが、もっとも抗がん作用があるのは運動だ、というデータがあります。たしかに、運動をしている人のほうががんになりにくく、がんになっても再発しにくいようです。ですから、がん患者さんは散歩でもいい、踊りでもいい、意識的に身体を動かすことが大事だと思います。麿さんが手術から14年目を迎えられたのも、日頃から踊っていることが、結構効いているのではないかと思います。

麿   どうだかよくわかりませんが、舞台でひぃひぃ言ってる姿を見せるのはイヤだから、日頃から一生懸命稽古しているのは確かですね。

鎌田  庭瀬先生が麿さんに、手術後、「毎日4キロ走れ」と言われたそうですが、大事なことを言われましたね。

麿   一生懸命走りましたよ。最近は努めて歩いています。舞踏は身体全体を動かしますから、健康にはいいと思います。がんの手術をして、今後どこまで踊れるか、自分で舞踏の効用を試している部分もありますね。

鎌田  あの紅テント時代の熱気をいつまでも見せていただき、閉塞したこの国にパワーと勇気を与えていただきたいと思います。

(構成/江口敏)

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