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がん体験、父の死を機に歌で一緒に人生を語り合えるようになりました 歌手・園まり × 鎌田 實
更年期症状として突然出た不整脈
鎌田 乳がんになって、生活面で変わったことは?
園 乳がんの手術のあと、放射線治療とホルモン療法を併用しました。ホルモン療法は5年間続きますから、今も行っています。ホルモン剤は骨をもろくすると言われますから、足腰を鍛えるために、ウォーキングをするようになりました。私、60歳を過ぎて更年期障害になるとは思いませんでした。先生からは、「精神的に若かったから、この歳になって更年期症状が出た」と言われました(笑)。
鎌田 いい表現だなぁ。どんな症状が出ましたか。
園 不整脈……。一昨年の9月、NHKで生放送の仕事が入っていたんですが、突然、不整脈が出たんです。階段を降りるのが怖く、立っていられないほどでした。3人娘のステージも歌って動く激しいステージでしたが、中尾ミエさん、伊東ゆかりさんに支えられて、何とかこなしました。不整脈が出ていることは、自分でわかりますね。
鎌田 敏感ですね。いくら不整脈が出ても、わかる人とわからない人がいます。24 時間心電図を付けてみると、結構不整脈が出ているのに、全然気づかない人もいますよ。
園 そうなんですか。私、タッ、タッ、タッという脈の音が聞こえるぐらいです。乳がんのあと、本当にいろんなことがありました。平成23年1月には、3人娘をずうーっと支えてくれていた1歳上の私の姉が、くも膜下出血で亡くなったんですが、精神的なダメージが大きく、痩せましたね。そして、足がよろけて、よろけて、立っていられない状態でした。そんな状態で、5月に名古屋で、私ひとりで15日間連続のショーをやりました。
鎌田 ひとりで15日間!
園 しかも、1日2回公演です(笑)。67歳になったばかりでしたが、とにかく疲れがとれないんです。それで友人が漢方を紹介してくれ、それを飲むようになって大分体調が安定しました。ホルモン剤も新薬でなく昔からある薬に代えてもらったことも良かったようです。足がふらつかなくなり、精神的にも安定しました。その前までは大変だったんです。「まりちゃん、倒れてしまうんじゃないか」と言われて……。実際、6月に倒れましたけど(笑)。
声が出なくなってNHKホールで平謝り
鎌田 仕事中にですか。
園 はい。6月にライブハウスで、ひとりで休憩もなく、1時間半以上歌い続け、その間に早変わりもあるステージをやっているときに、2度倒れました。倒れてもマイクを握って立ちあがり、「アベマリア」を歌いました(笑)。それから、声が出なく��ったんです。その頃、NHKの生放送のスケジュールが入っていて、マネージャーさんにキャンセルしてもらってもよかったのですが、私自身がNHKホールまで行って、実際に声を聴いてもらったほうがいいと思って、他の歌手の皆さんと一緒に舞台に立ちました。そして、お客さまに対して、「すみません。声が出ないんです。ちょっと歌ってみます」と言って、「逢いたくて逢いたくて」を歌ったんです。低い声は出るんですが、高い声が出ません。ステージの上で平謝りしました。
鎌田 誠実だねぇ! えらいなぁ!
園 それしかない、誠心誠意尽くすしかない、と思ったんです。声が出ない1カ月間に、3人娘のステージが2回ありました。「こんなステージ、見たことない。3人の友情、絆はスゴイ」と、お客さまに感動していただきました。私たち3人は、誰が倒れても、あとの2人がフォローするという結束はできていました。私は歌えなくてもいいから、その場にいさせてもらって、お客さまのために精一杯尽くしたいと思ったんです。その後、声も出るようになり、新曲も出すことができました。
鎌田 声って微妙なんですね。何が変わったら、ちゃんと声が出るようになったんだろう。気持ち?
園 気持ちだと思います。私、父が亡くなったときは、仕事は開店休業中にして、姉と一緒に1年間尽くすことができましたから、悔いはなかったんです。しかし、姉には与えられるばかりで、尽くすことができなかったのです。もっとやってあげれば良かったという悔いが、今でも残っています。そして姉と共にやっていた母の介護を1人でしなくてはならなくなり、仕事と介護の両立が大変でその精神的なストレスから、声が出なくなったのだと思います。声が出るようになったのは、自分が乳がんになって、いかに多くの人たちに支えられてきたかがわかったからです。最近、しみじみそれを思います。
鎌田 それまではあまり思わなかった?
園 思ったり思わなかったり、でした(笑)。どこかに、皆さんが支えて下さっているのが当たり前、という気持ちがありました。
風来坊の父の死を機に初めて歌う気になった

CD 定価1,200円(税込)
鎌田 ミリオンセラーを続けて出したのは、何歳頃でしたか。
園 21~22歳ですか。「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」「何も云わないで」「愛は惜しみなく」などは、私にとって財産ですが、それが逆にストレスになったことも確かです。売れれば売れるほど、心が空洞になるという虚しさでしょうか。何か置き忘れてきたような気がしていました。
鎌田 そうか、それが逆にブラウン管を通して不思議な魅力になっていた。薄っぺらなアイドルには見えなかった。20歳ちょっとで、そういう気持ちになるもんですか。
園 虚しかったですね。街を歩いていても、他の人たちから認めてほしいのに、目立ちたくないという、もうひとりの自分がいました。そういう気持ちは小さい頃から持っていました。下積みの苦労がなかったからかも知れません。こういう言い方はおかしいかもしれませんが、私が初めて歌う気になったのは、父が亡くなったときです。
鎌田 お父さんはどういう人だったんですか。
園 ヘビースモーカーで、風来坊みたいで、頼りない父親だと思っていました。若い頃はオペラ歌手になりたかったようで、その思いを託して、私を芸能界に入れてくれたのは父です。15年ほど前に父が肺がんの宣告を受けたとき、私も一緒に聞きました。母とは仲が悪く、別居していました。亡くなる2カ月ほど前に、母が病院に見舞いに来てくれたんです。そのとき、父が母に、「本当に申し訳なかった……」と謝ったんです。がんの宣告を受け、私たち家族が寄り添うようになってからの父は、こんなに変われるものかと思うほど、家族の絆を大事にするようになりましたね。
鎌田 お父さんに対しては、ずっと複雑な思いがあったんですね。
園 あったんですけど、ある日、父の治療費や入院費を支払うために、銀行のキャッシュコーナーに立ち、また父に苦労させられるのかと思いながら、お金を引き出そうとした瞬間、心が据わったんです。これはいいんじゃないかって。悔いが残らないよう、尽くせばいいじゃないかと。それからですね、父が見るからにやさしく変化していったのは。
鎌田 人生ってスゴイね。風来坊のお父さんがいたからこそ、歌手・園まりが生まれ、自分の命の最後に、もう1回大切な娘に命を吹き込んだんだ。
園 「毬子(本名)は歌が天命だよ」って言ってました。父に尽くしきろうと心を決めた頃、母の日に沖縄で歌わせていただいたことがあります。客席に降りて「逢いたくて逢いたくて」を歌ったんですが、そのときの私の気持ちが、沖縄の女性たちの気持ちとオーバーラップして、涙が止まりませんでした。歌でお客さまと心の交流ができ、一緒に人生を語り合えるのが歌手なんだと、初めて歌、音楽は素晴らしいと本心から思えたのです。
がんの経験によって石巻の惨状を受け止めた
鎌田 じゃあ、ミリオンセラーを連発した頃と今とでは、歌う気持ちが全然違う。
園 まったく違います。歌って、こんなに深いものなのか。一生かかっても、これでいいということはないだろうな。そう思います。新年になると、私も歌手生活50周年を迎えますが、がんのことは忘れて、全く新たな気持ちで歌うつもりです。私の場合、歌わせていただけることが、イヤなことを忘れることにつながっています。歌っていなかったら、私はうつになっていたかもしれません。
私、乳がんの手術をして間もない頃に、アポなしで一般の家に泊めていただく「田舎に泊まろう!」という番組で、石巻のあるおばあちゃんの家に泊めていただいたことがありました。今回の大震災のあと、お会いしたこともないのに、お孫さんからマネージャー宛にメールが入ったんです。「おばあちゃんが被災して、すべてを失いました。生きている間に、ぜひもう1度、会ってあげてください」と。
鎌田 おばあちゃんにとっては、園まりさんが泊まってくれたことが忘れられなかったんだね。
園 それで私、8月の終戦記念日に、会いに行きました。おばあちゃんはお孫さんの家にいらして、私は歌ってあげるつもりで、カセットデッキを持っていったんですが、突然の訪問でしたし、周囲にも配慮しなければならないので、歌うことはあきらめたんです。しかし、石巻の惨状を目の当たりにして、言葉を失いました。
鎌田 ぼくも石巻には何回も行っています。現在も、私の病院の医師が1人。ぼくが代表をしているJIM-NETの看護師が2人、石巻に貼りついてボランティアをしています。それにしても、園さんが行かれて、石巻の方は喜ばれたでしょう。
園 今でも交流しています。私は病院でいろんな人を見てきました。それによって、人の気持ちに対する感受性が強くなったような気がします。

鎌田 石巻にいろいろな知人がいますから、園さんが歌ってくださるのであれば、数百人規模の人たちを集め、歌う場を作ることができると思います。もちろん、そのおばあちゃんをいちばん前の席にご招待すればいい。
園 ぜひお願いしたいと思います。
鎌田 最後に明かしますと、私も若い頃、園まりさんのファンでした。私たちの世代には、隠れファンは多いと思います。あまりにも超売れっ子で園まりが好きって言えなかった屈折した青春でした。園まりファンは石巻にも多いはずです。家族を亡くした人も多い。園さんの「逢いたくて逢いたくて」なんて聴いたら心を奮わすだろうな。
東北の傷は深いです。何とか今の再生した園まりの歌を東北の人たちに聴かせてあげて、東北再生を応援したいと思います。東北に一緒にボランティアに行きましょう。
(構成/江口敏)
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