医療に必要なのは方程式ではなく、患者と医師のコミュニケーションだ ジャーナリスト・田原総一朗 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2011年11月
更新:2018年9月

患者さんが嫌がる根拠のない励まし

鎌田  日本の医療は、医療技術が急速に進歩した過程で、言葉の大切さを忘れましたね。教える教授側も、言葉の大切さなどに興味を持っていたら、教授にはなれなかったでしょう。新しい病気を必死に研究し、そのレポートを書いて教授になっていますから、患者さんとの言葉の大切さを教えることができない。だから、大きな大学病院の医師が、ますます患者さんとのコミュニケーションがとれなくなっていますね。

話を戻しますと、医師とのコミュニケーションができるようになって、節子さんはどんどん元気を取り戻したということですが、炎症性乳がんで5年10カ月の闘病生活を送ったというのはすごいことです。「がんサポート」で連載対談を持ち、自分の思いを聞いてくれるがん患者さんの読者がいたことも、その支えになったんじゃないですか。

田原  大いになっていたと思います。「がんサポート」の読者もそうでしたが、単行本を出したことによって、全国の読者から電話がかかってくるんです。彼女はその相談に、30分、1時間と、随分丁寧に応じていました。それは闘病中の彼女にとっても、大きな生きがいになったんじゃないでしょうか。彼女は「がん友」と言っていましたが、同じ炎症性乳がんの友だちができることが、彼女にとってとても良かった。ただ、がん友は相次いで亡くなっていく。これがとても寂しかったようですね。

鎌田  闘病生活に入るまでは、節子さんが田原さんの生活から仕事まで、全部サポートしていたのに、闘病生活に入ってからは、田原さんが節子さんの背中を洗ってあげたりするようになった。節子さんはどんな気持ちだったんでしょうね。

田原  それは、ぼくにとっては楽しかったです、とっても。まず車椅子生活になったのですが、お風呂に入るときは、彼女を脱がせて、ぼくも裸になって、抱っこして運ぶわけです。老後の愛ってこういうもんだなと、とても幸せな気持ちでした。

鎌田  節子さんも幸せだったんでしょうね。

田原  「老後の愛だね」と言ったら、彼女も喜んでくれましたが、本当に喜んでくれたのか、ぼくに合わせてくれたのか、ぼくにはわかりませんけれどね。

鎌田  節子さんも田原さんも、「根拠のない励ましはしないでほしい」とおっしゃってますね。

田原  これについては、彼女は非常に怒っていました。お見舞いに来るお客さんが、「あぁ、きょうは顔色がいいですね」と言う。悪気はないんです。しかし、熱があるから、顔色がいいわけです。それを、あたかも元気そうだというニュアンスで言われると、彼女としては「無責任だ」と感じるわけです。本音を言えば、元気な人間を見るだけでイヤなんですから……。

鎌田  私が11年前に『がんばらない』という本を書いた背景には、実は、そういう状況も結構あったんです。

田原  みんな病人に対して、「がんばってください」と言うんですよね。

鎌田  言われたほうは、何をどうがんばればいいか、わからないんですよね。特に、再発、末期がんと闘っている人にとっては、「がんばってください」は通じませんね。

田原  彼女の話を聞いて、お見舞いするのは難しいなぁと、つくづく思いました。

安全性の議論ないまま推進された原発の危険

鎌田  ところで、田原さんはテレビ局のディレクター時代の昭和51年に、「原子力戦争」という本を出されていますよね。どういう内容の作品ですか。

田原  当時、原子力船「むつ」が問題になっていました。青森県の陸奥湾で試験運転をしているときに、放射能が漏れ出して大騒ぎになり、その後「むつ」は廃船になった。そのとき、ぼくは青森に取材に行ったんです。まず反対派の集会に行くと、「『むつ』が陸奥湾で沈没でもしたら、青森は第2の広島になるぞー」と言ってる。私は「そんなことはない。そんなオーバーなことを言っていたんでは、どうしようもないな」と思いました。

次に推進派の集会に行ったら、「皆さん、放射能は危険だと言いますが、風邪をひくとラジウム温泉で養生するじゃないですか。あれは放射能ですよ。放射能は健康にいいこともありますよ」などと言っている。「何言ってんだ!」と思いました。どっちもどっち、無茶苦茶なんです。こんな無茶苦茶では原子力発電がかわいそうだと思い、原子力発電を真剣に調べてみようと、取材に入ったわけです。

鎌田  それで、田原さんは、最終的にはどういう結論を出したんですか。

田原  原発はとても危険だということです。そして、いちばん感じたことは、原発推進派と反対派が、それぞれバラバラに話をして、お互いのディスカッションがないことです。当時は福島原発の取材が中心でしたが、福島は「安全か危険か」の議論なしに、「安全だ」という大前提のもとに、地域丸ごと買収なんです。しかし、地域の人たちは決して安全だとは思っていない。双葉、浪江、大熊といった町に行きますと、立派な公園、ホールができている。安全性の論議もしないで、地域丸ごと買収して、原発を推進している。「危ないなぁ!」って感じました。

鎌田  田原さんが警鐘を鳴らしても、その後、推進派と反対派の議論の場がつくられなかったわけですね。

田原  「朝まで生テレビ」では合計4回、やりました。反対派の論客が、亡くなりましたが、高木仁三郎さん、推進派の論客が東電出身の電事連広報部長でした。当時、推進派は「反対派は一種の宗教だから、ディスカッションするつもりはない」というスタンスでした。また、反対派は「推進派は政官財癒着の構造で、カネでつながっているだけだ」と批判していました。お互いの間にあるのは不信感だけでした。だから、「朝まで生テレビ」でやるのにも、相当苦労しました。4回やって感じたのは、論理構成は反対派のほうがはるかに上手く、賛成派の主張は一生懸命さが目立つということです。その結果、勝負は4分・6分で反対派の勝ち、という感じでした。

昨今の反原発の動きは一種の「近代の超克」

鎌田  原子力安全委員会のメンバーの中に、1人でも反対派の人を入れておけば、非常用電源を失うというような事態にはならなかったのではないかと思います。

田原  反対派も悪いんですよ。高木さんが「朝まで生テレビ」に出ただけで、「転向した」「裏切った」と批判する。そういう状況では、反対派の人が原子力安全委員会に入ることはできない。全共闘世代は平気で人間を軽蔑する傾向がある。「日和見だ」などと仲間から言われるのは、「死ね」と言われるようなものですから。

鎌田  推進派、反対派が真摯に話し合えば、先ほどの○に近い△の道も探れると思いますけれどね。

田原  私なりの変な理屈を言わせてもらうと、日本は明治以降、欧米の近代文明を採り入れてきましたが、太平洋戦争のとき、植民地主義で発展してきた欧米の近代文明を乗り越えなければならないと、「近代の超克」論が湧き起こりました。実は、その流れは戦後も続いています。戦後、アメリカ文明が怒濤のように押し寄せた。それに対して60年安保闘争が起きた。これも一種の反近代闘争、「近代の超克」闘争です。現在の反原発の動きも、それと同じです。原発は近代文明の象徴であり、しかもアメリカから導入された。反原発運動は60年安保と同じ土壌の上で起きている。今、日本人がやらなくてはならないことは、反原発か原発推進かではなく、原発とは何か、近代文明とは何なんだ、ということを、突きつめて考えることです。そこに近代文明の誤謬を乗り越える道が開かれるかもしれない。今こそ、そのチャンスなんです。

今後とも、いろいろな分野で鋭い論陣を張っていただきたい

「今後とも、いろいろな分野で鋭い論陣を張っていただきたい」
と話す鎌田さん

鎌田  原発事故でこれだけの傷を負ったわけですから、本質をうやむやのうちに終わらせたら、もったいない。さて、最後に、2人の奥さまを乳がんで亡くされた田原さんは、今後、乳がんに対してどう取り組んでいかれますか。

田原  世界的に乳がんの啓発運動を展開している「ピンクリボン」のシンポジウムには、時々参加しています。また、今、彼女の主治医であった中村清吾先生を中心に、私が理事長でNPO法人「日本乳がん情報ネットワーク」を運営しています。アメリカが発表している乳がんの検査・治療法などの詳細なデータを、ネットで流したり、年に1回、外国から乳がんの専門医を呼んで、シンポジウムを行ったりしています。

鎌田  その活動を、また「がんサポート」で取材させてもらいたいですね。田原さんには今後とも、いろんな分野で鋭い論陣を張っていただきたいと思います。

(構成/江口敏)


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