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がんをきっかけに「いのちの連鎖」を見つめ直しました 毎日新聞主筆・岸井成格 × 鎌田 實
胎生水俣病の子どもに添い寝をして取材したが……

岸井 水俣病の取材では、胎生水俣病のお子さんたちも取材しました。女の子でしたが、ご両親から「この子が訴えたいことがあると言ってますから、記者さん、聞いてあげてください」と言われたんですが、その子は寝たきりで、まばたきもしないんです。私のほうは、訴えることができるんだろうかと不審に思うわけです。しかし、ご両親は「ひと晩、添い寝をしてやってください。必ず聞こえるはずです」とおっしゃる。
鎌田 添い寝された?
岸井 しました。しかし、聞こえなかった……。ご両親には思いこみもあったと思いますが、本来聞こえなければならない訴えが、私には聞こえなかった。恵風園の初公開のときも、ハンセン病施設で出されたお茶を飲むことができませんでした。この2つの経験は、偏見や先入観にとらわれていては真実の声は聞こえないし、真実が見えないことを痛切に知らされましたね。
鎌田 私は水俣で「ネコ400号」の実験小屋跡を案内してもらったことがあります。水俣工場付属病院の院長が、ネコを使った実験でチッソの廃液と水俣病の因果関係をつかんでいたにもかかわらず、会社側が隠蔽したり、虚偽の報告をしたんですよね。その正しいデータをもっと早く公開していれば、被害者を少なくできた。私は同じ医師として、怪しいと思ったら、そのデータをオープンにすることの大切さを感じましたね。
岸井 細川院長先生ですね。細川先生はあとあとまで苦しまれましたね。水俣は何と言ってもチッソの企業城下町なんですよね。市内ではチッソと関わりのない人は、ほとんどいないといってもいい状態でしたから。水俣病の患者さんたちは市街地から少し離れた漁村の人たちです。それで当初はチッソに配慮し、伝染病、遺伝病、風土病などと言って、患者さんたちも隠していましたね。それに、著名な先生方が、「チッソとは直接の因果関係はない」とおっしゃっていましたし、私たちも最初はそれを信じ込まされていました。
鎌田 取材を進めていく中で、何か違うというひらめきみたいなものがあったんですか。
岸井 いま率直に振り返ってみると、廃液が原因だと思って��たわけではありません。ただ、患者さんたちのデモが行われるようになり、いよいよ訴訟という段階になって、訴訟に踏み切るか、一時金で和解するかをめぐり、患者さんの間に猛烈な葛藤が生まれ、患者さん側が分裂したんです。私が熊本で最後に書いた記事は、「患者団体、訴訟へ!」という記事でした。驚かれるかもしれませんが、この記事は東京では1行も報じられていません。九州の社会面に載っただけです。私自身は医学的な因果関係にそんなに強い関心を持っていたわけではありませんが、患者さんたちの地を這うような必死の活動を、必死に追いかけていたという感じです。
耳学問で得た知識で環境庁の名付け親に
鎌田 しかし、水俣病、サリドマイド、ハンセン病などの患者さんたちを取材された積み重ねの上に、環境省という着想が生まれた。いまや環境省は大きな役割を担っていますが、当時、環境がここまで大きなテーマになると思っていましたか。
岸井 まったく思っていませんでしたね。環境という名称が省庁名に採用されるとも思いませんでした。私が熊本で公害や薬害を取材していたのは、60年代から70年代にかけて高度経済成長のヒズミが一気に噴きだした形で、その時期は全国的に大気汚染、水質汚染、騒音など、公害汚染が広がった頃です。そして全国各地に相次いで革新首長が誕生し、当時の佐藤内閣がこれでは保守政権がもたないと危機感を強めたのです。そんな中で公害国会が開かれました。しかし、新聞もテレビも厚生省担当の記者はいますが、公害の専門記者がいない。それで、地方で公害問題を担当している記者を東京に集めたわけです。私が政治記者になったきっかけもそれです。
そして、国会で公害の関連法案が成立し、新しい役所をつくることになりました。当時の厚生省、通産省、大蔵省が中心になって新しい役所の設立に動いており、役所の名前についても公害調整庁とか公害対策庁とか、いくつか案があがっていましたが、担当大臣だった山中貞則さんが記者たちに、「いい名前ないか、アイデア出してよ」と呼び掛けたんです。そこで私は、熊本時代の耳学問の受け売りでしたが、これからの1つのテーマは環境じゃないかと思って、環境庁を提案したわけです。
鎌田 役人が公害という言葉にとらわれていたところへ、岸井さんが環境というキーワードを提案され、採用になったわけですね。環境という言葉は大きな広がりを持っていますからね。そういう感性を持っている岸井さんががんになって、この国のがん医療についてどういう感想を持たれましたか。
岸井 早期発見や医療技術の発展で「がん即死」という時代ではなくなったと聞いています。日頃の生活や検診が大事ということを思い知らされました。また、患者さんに本当のことを教えるのがいいのか悪いのか、お医者さんも家族も、まだ迷っている部分があるのではないでしょうか。ただ、患者さんが最期まで自分の生き方を貫きたいということであれば、きちっと伝えることが大事ですよね。
前日から気分が滅入る2カ月に1回の胃カメラ
鎌田 岸井さんは、万が一、再発した場合、説明はきちんと受けたいということですね。
岸井 はい。自分の最期をどう全うするか、とことん突きつめて考えたいと思います。私の場合、大腸のほうはお医者さんも「ほぼ再発はない」ということですが、食道のほうが出たり入ったりなんですよね。お医者さんに言わせると、食道のほうは「顔つきが悪い」そうです(笑)。
鎌田 食道のほうは特別な治療をしてないんですか。
岸井 してません。薬と経過観察だけです。
鎌田 食道がんではない?
岸井 まだ食道がんではないようです。2カ月に1回、胃カメラはのんでます。
鎌田 早期発見のために胃カメラをのんでいるわけですね。2カ月に1回の胃カメラ、抵抗はありませんか。
岸井 ありますよ。前日から気分が滅入って、滅入って(笑)。最初、まず大腸を切って、そのあとに年明け早々に食道のほうに抗がん剤治療、放射線治療をやると言われていました。ところが、大腸の手術後、食道の治療を始めようかと改めて調べると、食道のほうがいなくなっていたんです。いまその経過を観ているところです。
鎌田 最初は食道にもがんに近い細胞があったんでしょうね。それが消えて、抗がん剤も放射線もやらないで済んでいる。大腸のフォローは?
岸井 CTをときどきやっています。
鎌田 大腸ファイバーは?
岸井 1年1回ぐらい、やっています。イヤですねぇ(笑)。
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