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「人間は暗いところから生まれ、死ねばまたそこに帰って行く」という空海の哲学を知り、死の恐怖が消えた 小説家/脚本家・早坂 暁 × 鎌田 實
僕のヒロシマ体験。原爆は人間を人間でなくする絶滅兵器だと、映像で訴えたい
命あるかぎり「平気で生きることのすごさ」を伝えていきたい
前号では、50歳代初めに心筋梗塞と胆嚢がんに挟み撃ちにされ、死について恐怖したことや、広島での原爆体験、郷里四国出身の弘法大師空海の死生観など、早坂作品のバックボーンを語った早坂さん。今号では、50歳代の大病を経て、人生観や死生観が変化し、作品にもそれが投影されたこと、そして渥美清さんとの思い出、そして3年前に手術した泌尿器がんにまつわる話を、縦横に語ってくれた。80歳にしてこのバイタリティにはさすがの鎌田實さんも脱帽の感じであった。
末期の桜と思ってじっと見とれた

鎌田 さて、50歳で、心筋梗塞と胆嚢がんの挟み撃ちに遭って、死を意識されたところまでうかがいました。それでまず、胆嚢がんの手術を受けられたわけですね。
早坂 はい。しかし、お腹を開けたら、違っていたのです。
鎌田 胆嚢がんではなかった! それは良かったですね。しかし、50歳を過ぎて、死について深い考察をなさったことは、いまにして思えば、いい経験だったのではないですか。
早坂 そうですね。1度は、もう余命は長くないと宣告をされ、それが違っていたわけですが、心臓は心筋梗塞で半分壊死しているのです。医師からも、「こんど発作が起きたら、もう後はないと思ってください」と言われており、王手をかけられていることに変わりはありません。これから楽に生きられるとは思わなかった。ですから、退院できたときはうれしかったですね。見るものすべてがとても新鮮でした。退院したのが4月でしたが、あんな美しい桜を見たのは初めてでした。これが末期の桜かもしれないと思って、じっと見とれましたよ。
鎌田 日本人はもともと、桜に特別の思いを抱いていますからね。私も末期のがん患者さんと接する機会が多いのですが、患者さんたちは桜を見るといろんなことを考えるようですね。
早坂 異常興奮するんですよ。おっしゃるように、桜には日本人を異常興奮させる何かがある。西行さんは「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」と歌うし、また、日本学に目���めた本居宣長さんの「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」という歌は、桜は日本人の魂だと言っている。僕は海兵の生徒ですが、「咲いた花なら死ぬのは覚悟……」、死んで靖国の桜の枝で会おう、と歌っていましたからね。
公安から逃れて玉乃井へ 銭湯で渥美ちゃんと出会う
鎌田 ところで、早坂さんは渥美清さんととても仲が良かったようですね。渥美さんという人は、それほど交友関係を広げる人ではなかったと聞いていますが、どうしてそんなに仲が良かったのですか。
早坂 まず出会い方が面白かった。僕が日大芸術学部の演劇科にいた頃、東大のポポロ事件に関与し、公安警察に追われたことがありました。
鎌田 東大のポポロ劇団の公演に本富士署の警察官が潜入していたのがばれ、学生が警察手帳を取り上げたことから、「大学の自治」が問題になった事件ですね。
早坂 そうです。それで公安に追われ、しばらく玉乃井に潜んでいたことがあるんです。
鎌田 いいとこに潜んでいましたね(笑)。
早坂 永井荷風さんが玉乃井を「帝都の迷宮」と書いていますが、公安から逃れるには迷宮に入るしかありません(笑)。
玉乃井は浅草が近いですから、ときどき浅草六区に遊びに行く。六区には蛇骨湯という不思議な名の銭湯があり、昼間の早い時間に僕ひとりで入っていたら、そこに渥美ちゃんが入ってきた。僕は追われている身ですから、人が入ってきたなと思って、顔も見ないですうーっと脇に寄ったんです。そうしたら、足が2本、ざぶっざぶっと入ってきて、「アンちゃん、逃げてんの……」(笑)。わかるんですねぇ(笑)。
鎌田 歳はどちらが上でしたか。
早坂 渥美ちゃんが1つ上です。顔を見ると、ストリップの悪役でひどい化粧をしている。
そのあと少しずつ話し始めました。僕が「公安に追われて玉乃井に潜んでいる」と自己紹介すると、渥美ちゃんは声をひそめて、「革命家なんだな」と持ち上げてくれました。そして、「メシを食べよう。食べたいもの、何でも食べてくれ。困ったことがあったら、何でも言ってくれ。はては、女の子を紹介してやろうか」……。
鎌田 当時、渥美さんはまだ無名のストリップ小屋の芸人でしょう。
早坂 そうです。ストリップ劇場へ連れて行かれ、「いい女の子がいたら、言え」と言われたので、「あの子がいい」と言うと、「あれはヤクザがついているからダメだ」。
何のことはない、渥美ちゃんの彼女だったんです(笑)。女性に関して好みが一緒でしたね(笑)。
「寅さんから抜け出せ」と渥美ちゃんに進言したが…

渥美さんとよく泊った宿のある愛媛県・鹿島で。
NHK追悼番組の撮影
鎌田 そうすると、渥美さんがどんどん有名になっていくのを、どういうふうにご覧になっていたのですか。
早坂 僕はしばらくして玉乃井を離れ、日大演劇科の学生に戻りましたから、渥美ちゃんとはそれっきりでした。ですから、渥美さんは僕が脚本家・早坂暁になったことを知らなかった。僕は渥美さんが有名になって、テレビに出ているのを見て、良かった、良かったと思っていました。ストリップ小屋の芸人さんといえば、俳優としては最底辺です。そこからよく這い上がってこれたなと感心していました。その後、NHKで仕事をしているとき、廊下でばったり渥美ちゃんと再会し、また付き合いが始まったわけです。
鎌田 渥美さんのためのシナリオは何本書かれましたか。
早坂 10本ぐらいですかね。
鎌田 渥美さんの最後はがんですか。
早坂 がんですね。病院で肝硬変と言われたという話は聞いていましたが、肝臓がんですね。渥美ちゃんは若いときに結核で片肺を取っていましたから、「丈夫で長持ち」みたいに思われていましたが、裸になると、手術の跡はあるし、少年のような細い腕をしていましたよ。寅さんに扮するときは、肩の張ったブレザーを着て、がっちりと見せていましたが、体力的に強くはなかったですね。
渥美ちゃんには、『男はつらいよ』シリーズが10本ぐらいになった頃、「もう寅さんはやめたほうがいいよ。このまま続けるのは、ある意味では地獄だよ。早く抜け出したほうがいい」と言ったことがあります。他のいろんな役ができる役者ですよ、渥美ちゃんは。しかし、結局、寅さんから抜け出せなかった。僕は渥美ちゃんに、ジャン・レノが演じた、「殺し屋レオン」のような役をやれと勧めていたんですが……。
鎌田 いいですね。ぴったりです。
早坂 彼もやりたがっていました。末期の頃ですけれどね。小豆島出身の俳人、尾崎放哉もやりたがっていましたね。放哉は結核で死んでいますが、渥美ちゃんは結核を体験していますから、自信があったんでしょう。実際、渥美ちゃんは結核患者の咳が上手いんですよ。「結核患者の咳は音叉のように響かなければダメだ」と言ってましたね。
鎌田 渥美さんの尾崎放哉、見たかったですね。
早坂 「種田山頭火もやりたい」などと言っているうちに亡くなってしまった。かわいそうで残念でしたね。
70歳代になって現れた? 広島原爆の後遺症
鎌田 さて、そろそろ早坂さんの現在のがんとの闘いについて、うかがいたいと思います。いまのがんは?
早坂 泌尿器のがんです。
鎌田 泌尿器系がんが見つかったのはどういう経緯でしたか。
早坂 50歳代の胆嚢がんは幸い誤診で済みましたが、前号でお話したように、僕は広島の原爆の放射能を浴びていますから、いつかはその後遺症が出るのではないかと思っていました。しかし、70歳を過ぎても出ない。もう出ないのかと思っていたら、78歳になって下半身に出たわけです。
鎌田 診断ですぐがんとわかったのですか。
早坂 はい。それはすぐにわかりました。すぐ手術によってがんの部分を切除することになりましたね。僕は前立腺がんかなと思って診てもらったのですが、前立腺がんではない泌尿器のがんとわかって、こりゃちょっと厄介かなと感じました。
鎌田 手術の時間はどれくらいでしたか。
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