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「人間は暗いところから生まれ、死ねばまたそこに帰って行く」という空海の哲学を知り、死の恐怖が消えた 小説家/脚本家・早坂 暁 × 鎌田 實
リンパの手術後にリンパ浮腫に悩まされる

鎌田 3分の1を残して切除されたわけですが、排尿のとき不便ではありませんか。
早坂 大変ですよ。両脇を押すようにして、排尿するわけです。それが不便といえば不便です。
鎌田 手術されたのは、いつ頃ですか。
早坂 3年前です。「おしっこをするぐらいは残してくれ」と言って、3分の1ぐらい残してもらいました。最初、「切るのはしんどいなぁ」と言ったら、主治医から「もういいでしょう」と言われました(笑)。それはそうだけど、抵抗はありましたよ。でも、赤ん坊のように小さくなったコック(蛇口)を見て、空海さんは、人間は死ぬとまた冥い胎内の赤ん坊の世界に戻っていく、とおっしゃっているのだから、そうか、赤ちゃんのコックになったんだと、笑ってやったんです。アハハ、強がりですけどね。
鎌田 切ってからは順調ですか。
早坂 転移を心配して、2回ほど、骨盤の周囲を精査しました。一種の手術を伴う検査ですね。その後、がんが左のリンパに広がっていることがわかり、その部分を切除したわけです。1年半ぐらいの間に、合計4回手術をしたことになります。ところが、リンパを切ると、リンパ浮腫の症状が出ますね。
鎌田 長く歩くと、足が丸太のように腫れてきますね。
早坂 結構きついですね。激痛はきませんが、何かどよーんとした重みがあります。リンパが流れずに溜まるんですね。手術をした病院では、リンパ浮腫の治療はやっていないので、いま東京・大森の後藤学園付属リンパ浮腫研究所にときどき通っています。包帯をぐるぐる巻きに巻かれて、ドイツ式のマッサージを受けています。そのために特別大きなサイズの靴も買いました。
鎌田 そこで治療を受けると、違いますか。
早坂 とても良くなります。僕はそこの優等生と言われています。治療効果がいいのです。
鎌田 がんの手術のあと、リンパ浮腫に悩まされている患者さんは多いですよ。
早坂 僕が通っているところは、乳がんの手術をした女性が多いですね。そこに佐藤佳代子というセラピストがいます。最初、彼女のしゃべる言葉を聞いて、「関西ですか」と尋ねたら��徳島でした。私は今治にリンパ浮腫の有名な先生がいることを知っていたので、その先生の名前を挙げると、佐藤先生もよくご存じでした。同じ四国の出身ですし、いまは佐藤先生にお世話になっています。ただ、最近は調子がいいので、頻繁には行ってませんね。足をぐうーっと引き締めるタイツがあり、長時間の講演に行くときは、それを着用しています。
50歳代のがん誤診がリハーサルになった
鎌田 抗がん剤などは使っていませんか。
早坂 使いません。治療はすべて主治医にお任せですが、今のところ手術だけです。
鎌田 放射線治療もやらない。
早坂 こういう治療法もあるという話の中で、放射線治療の話も出ましたが、手術できれいに取れたから、やる必要がなかったということです。広島の原爆の関係で、僕が放射線を拒否したということではありません。
鎌田 そうすると、現在はリンパ浮腫の治療で大森に通っているほかは、がんそのものの治療としては、3カ月に1度の検査だけですか。
早坂 そういうことです。最近の検査では「この状態が続くといいですね」と言われています。最初の手術から3年になりますが、5年過ぎれば大丈夫だと言われていますから、あと2年、いまの状態が続いてくれればと願っています。
鎌田 先ほどは、胆嚢がんと宣告されたとき、死と直面された心境を詳しくお話いただきました。今回の泌尿器系がんを宣告されたときの気持ちはいかがでしたか。
早坂 胆嚢がんのときにリハーサルを済ませておきましたから、冷静でしたよ。結果的に、胆嚢がんは誤診でしたが、いいリハーサルになりましたね(笑)。それと年齢の違いもありますね。胆嚢がんのときは50歳代に入った直後ですから、仕事もいっぱいかかえていたし、かなり動揺しました。今回は78歳になっていましたから、手術に向かない年齢という点はありましたが、前回ほどの動揺はなかったですね。
実は僕は73歳のときに心臓のバイパス手術をやっています。その前に、長年循環器内科の僕の主治医だった教授が、もう退官していましたが、こっそり私の病室に来て、「手術はしないほうがいいですよ」と言われたのです。「どうしてですか」と尋ねると、「静かに暮らしていれば、手術の必要はありません」と。
「仕事はどうしたらいいのでしょう」と訊くと、「すべてやめて、静かに暮らすことです」と言われました。僕はまだやりたい仕事がありますから、その先生の助言に背く形でバイパス手術を受け、80歳の現在も仕事を続けているのです。
2、3時間の講演は平気若々しい身体を保つ秘訣

鎌田 早坂さんは80歳とはとても思えないお元気さですが、病院で処方される薬のほかに、健康のために何かのんでいらっしゃいますか。
早坂 以前から霊芝をのんでいます。それと最近は、少し高いですが、フコイダン。ニンジンジュースとフコイダンを併せてのんでいます。それが効いているのかどうか、おかげさまで顔色も良く、元気ですよ。
霊芝を送ってくれる会社の人には、「新陳代謝が良くなりますから、ものすごくふけが出ますよ」と言われました。本当にふけが多いですね。それと関係があるのか、以前髪の毛はもっと白かったのですが、いま残っている髪の毛は黒いです。
鎌田 本当だ。黒いですね。
早坂 徐々に黒くなっているのはたしかです。人間の生命力を活性化する物質が入っているんでしょうね。どれがどう効いているということは語れませんが(笑)。僕はよく講演を頼まれて各地に行きますが、僕が病気持ちだとわかっていて、皆さん、椅子を出してくださるのです。しかし、僕は椅子に座ると、力が入らず、長時間しゃべることができない。だから、立ったまま2時間でも3時間でもしゃべります。
「平気で生きることのすごさ」先輩・子規の思いを受け継ぐ

鎌田 いやぁ、まいりました。早坂さんは朝日新聞の書評で正岡子規の『仰臥漫録』を読んで『眼から鱗を剥ぎ取ってくれた本だ』と書かれていますが。
早坂 明治時代に高知出身の民権家に中江兆民という人がいます。兆民は喉頭がんにかかり、医者から1年半の命だと言われて、『一年有半』という本を出します。これが福沢諭吉の『学問のすゝめ』以来の大ベストセラーになります。兆民はそこで、「人間は物質であり、自分は虚無の上に漂う小舟のようなものだ。死ねば無くなる。俺は平気で死んでやる」という意味のことを書いたのです。
私は『一年有半』を杖がわりにして、死に対決し、突破する算段をしていたのですが、郷里の大先輩の正岡子規によってバッサリ切って捨てられたのです。当時、脊椎カリエスに苦しんでいた正岡子規は、それを読んで、「平気で死ぬのがそんなに偉いのか。平気で生きている方がもっと大事だ」と、日記『仰臥漫録』で反論したのです。
鎌田 うーん、すごい。
早坂 僕も最初にこれを読んだとき、目から鱗が落ちる思いでした。子規は人間の死がゼロとは考えていない。命の連鎖を考えている。ですから、子規は大病をかかえながら、弟子たちを集め、議論し、激痛には遠慮なく咆哮したのです。子規の咆吼は最寄りの鶯谷駅まで聞こえたと言います。
しかし、その凄さは命のつなぎ、志のつなぎあってのことです。僕は海兵からの帰り道、広島の惨状を目にしました。しょぼ降る雨に、何千という燐光が廃墟のヒロシマに燃えていたことを、次の、次の世代につなげていきたい。日本人にしか撮れない映画はただ1つ。原爆は人間を人間でなくする絶滅兵器だと、映像で訴えたい。僕のたぶん、5年の末期で、その映画を完成させたいのです。題名は『春子の人形』。すでにシナリオに取りかかっています。私の「平気で生きることのすごさ」ということは、そういうことだと思うんです。
鎌田 「平気で生きることのすごさ」ですか。「がんサポート」の読者全員が噛み締めたい言葉です。生きる勇気のでる言葉です。早坂さんのシナリオが完成され1日も早く映画が公開されることをお祈りいたします。本日は長時間ありがとうございました。
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