がんは絶望すると悪くなり、気力が充実すれば克服できる、そう信じています 漫画家/詩人・やなせたかし × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2009年7月
更新:2018年9月

本当の正義の味方なら飢えた子を助けに行く

鎌田 ところで、やなせさんは50歳を過ぎてから有名になられたようですが、随分遅咲きですね。

やなせ 才能がなかったんです(笑)。漫画家は手塚治虫にしても、石ノ森章太郎、里中満智子にしても、みんな10代で世の中に出ています。私は兵隊から帰ってきたときが26歳で、その後、新聞社や三越の宣伝部に勤め、漫画家になったのは32~33歳のときです。しかし、なかなか世に出られない。そこでラジオやテレビの本を書いたり、作詞をしたりしていました。NHKの「みんなの歌」から生まれた「手のひらを太陽に」という歌は、作曲がいずみたく、作詞は私です。

鎌田 あの有名な「……みみずだって おけらだって あめんぼだって みんなみんな 生きているんだ 友達なんだ」という歌ですね。そう言われてみると、いかにもやなせさんらしい作詞ですね。

やなせ 当時、マルチタレントと言われました。食うに困るようなことはなかったのですが、生活は安定しないし、本業の漫画が売れないのではしょうがない、と思っていました。いろんなことをやる人だが、アイデンティティがない、と言われました。たしかに私にはアトム、ドラえもんがなかった。54歳のとき、「キンダーおはなしえほん」(フレーベル館)にアンパンマンを掲載し始め、雑誌「詩とメルヘン」(サンリオ)を創刊して編集長になった頃から、やっと生活が安定しました。

鎌田 アンパンマンを思いついたのは?

やなせ ウルトラマンにしても、スーパーマンにしても、怪獣や悪者をやっつけて正義ということになっています。私はそれに納得できなかったのです。怪獣や悪者にも理屈があるはずです。最近の例で言えば、アメリカにとってはフセインのイラクを倒すのが正義の戦いです。しかし、フセイン側から言わせれば、アメリカと戦うことがジハード、聖戦なのです。つまり、A国にはA国の正義があり、B国にはB国の正義がある。では本当の正義とは何か。世界中に飢えて死ぬ子どもたちがいっぱいいる。正義の味方なら国境を越えて、その子たちを助けに行くべきだ。私はそう考えたわけです。

鎌田 世界の飢えた子どもたちにアンパンを与える、という発想ですね。

やなせ 最初は、実際にアンパンを持って飢えた子どもたちを助けに行く普通のおじさんを描いていました。しかし、普通のおじさんでは未確認飛行物体として撃ち落とされる可能性があります。それだったら、アンパンそのものが空を飛んだほうが面白い。メーテルリンクの『青い鳥』には、パンからパンの精が出てくる場面があります。アンパンマンが空を飛んで人を助けに行ってもおかしくはない。

アンパンマンが訴えた正義に伴う犠牲

鎌田 アンパンを擬人化し、正義の味方アンパンマンとして空を飛ばせたところに、やなせさんの漫画家としての本領がありますね。

やなせ ただ、正義を行うということは、本人も傷つきます。禁煙の電車の中でタバコを喫っている人を注意すると、逆に絡まれるかも知れません。また、ホームから線路に落ちた人や踏み切りに入った人を助けようとした人が、かえって犠牲になる場合もあります。正義を行うには犠牲が伴うのです。私はそういうことも踏まえながら、アンパンマンを作りました。アンパンマンが飢えた人に自分の顔を食べさせるシーンを描いたのは、そういうことも訴えたかったからです。

鎌田 やなせさんのそういう訴えは、幼児にも通じるんですね。

やなせ 私は最初、子どもには受けないと思っていました。しかし、アンパンマンは2歳ぐらいのまだ訳のわからない子どもたちに猛烈に受けたのです。本当に不思議です。私のオペを担当した医師から、「アンパンマンが自分の顔を食べさせた場面は、私のこころに強烈に残っています」と言われたときには、運命の不思議を感じました(笑)。

鎌田 幼児はまだ汚れのない純真なこころを持っていますから、本当の正義が通じるのでしょうね。

幼児の集まる展覧会は珍しい

やなせ アンデルセンもグリムも、やなせたかしも何も知らないのに、アンパンマンが好きになる。ありがたいような、怖いような、不思議な気持ちですね。幼児は1つのテレパシーを持っているような気がします。それから、幼児はまだ母親とつながっている部分があります。母親が喜ぶと子どもも喜びますね。デパートなどで私の展覧会を開くと、母親と一緒に、ベビーカーに乗せられた幼児がいっぱい来ます。幼児が集まる展覧会は珍しいと思います(笑)。

鎌田 私は今日、やなせさんに会うまで、やなせさんという人はなぜアンパンマンのような子どもたちに受けるキャラクターを作ることができたのか、ずっと考えてきました。1つ思い当たったのは、もしかして、やなせさんは子どもの頃、ご苦労をされたのではないかということです。

やなせ たしかに苦労しました。父は新聞記者でほとんど家に帰ってこなかったことに加えて、32歳の若さで死んでいますから、私は父のことをほとんど憶えていません。だから相当なファーザーコンプレックスでした。子どもの頃は叔父の家に預けられて育ちました。叔父は内科・小児科の医者で、とても善い人でしたが、田舎の医者の内情は大変ですから、私はどうしても遠慮がちにならざるを得ませんでした。「自転車を買ってほしい」という一言がどうしても言えなかったことや、「体調が悪い」と言って修学旅行にも行かなかったことを思い出します。
両親に甘えることができず、少し苦労しましたが、今になってみれば、子どもの頃に苦労してよかったかな、という気はしています。

「詩とメルヘン」で知った人を育てる喜び

写真:やなせたかしさんと鎌田實さん

アンパンマンを抱えるやなせさんとばいきんまんを抱える鎌田さん

鎌田 やなせさんは今、季刊で「詩とファンタジー」(かまくら春秋社)という雑誌を出されていますね。この雑誌を出すことによって、詩やイラストの分野の若い人たちを育てていらっしゃる。

やなせ この雑誌の前に、先ほどの「詩とメルヘン」という雑誌をやっていました。私は自分が世に出るまでに大変苦労しましたから、若い人が世に出るお手伝いをしようと思って、「詩とメルヘン」に約30年間関わってきました。この雑誌から育った詩人は5~6人ですが、イラストレーターは200人ぐらいになります。人を育てる喜びの大きさを実感しました。
私はほとんどボランティアで、「詩とメルヘン」の編集長として、表紙を描き、選者をやり、ルポを書いてきましたが、私自身がさすがに歳で疲れたことと、雑誌そのものが売れなくなってきたことで、6年前、スポンサーのサンリオが休刊としました。私は正直、ホッとしました。しかし、「詩とメルヘンの会」をやっている読者の間から、もう1度やろうという声が上がり、2年前に創刊したのが「詩とファンタジー」です。私はもう体力・気力的に無理がきかないので、表紙と中の詩だけを担当していますが、やり始めるとどうしても熱中して、いろいろやりたくなりますね。

鎌田 「詩とファンタジー」の2009年春野号に、やなせさんの「ジタバタ」という詩が載っています。この詩はがん患者さんにとても大事なことを示唆する詩だと思いますので、対談の誌面で是非紹介させていただきたいと思います。

ジタバタ
やなせたかし

海はジタバタ
さわいでいた
ぼくはドタバタ
走っていた
これが記憶の
いちぺーじ

そしてジタバタ
年が過ぎ
ドタバタ未熟な
若い日は
愚かなことの
くりかえし

気づいてみれば
たそがれて
もう人生のターミナル
それでもジタバタ
まだ生きる

やなせ どうぞ、どうぞ。ただ、私の詩を認める人はほとんどいませんよ(笑)。

鎌田 私は5月にPHP出版から、『へこたれない』というエッセイ集を出します。5章あるのですが「おそれない」「悩まない」「欲ばらない」「へこたれない」ともう1つが「おたおたしない」です。その中で私も「ジタバタ」という言葉を取り上げています。「ジタバタしない」というのは、今の日本人のキーワードになる言葉ではないかと思います。

やなせ 「ジタバタ」もそうですが、日本語には面白い言葉がありますね。「ジグザグ」とか。

鎌田 「おろおろ」「ハラハラ」とか。

やなせ 「しどろもどろ」とか「やきもき」とか。「しどろもどろ」は、いずみたくの作曲で歌も作っていますよ(笑)。詩は音の面白さがあり、リズムがよくないとダメです。そういう意味では、私には現代詩はよくわかりませんね。中学生のときに愛唱したような昔の歌はいいです。つい口ずさんでみたい詩、相手にわかりやすい詩、それが大事なことですね。

鎌田 アンパンマンが2歳児に通じるというお話と通底する話ですね。本日は大変楽しいお話をありがとうございました。

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