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死を意識して生きると毎日がとても大切に感じられます 医師/作家・久坂部 羊 × 鎌田 實
作家のインスピレーションを刺激するもの

鎌田 久坂部さんのインスピレーションを刺激する具体的事例が、何かあったのですか。
久坂部 ありました。お年寄りを介護しているスタッフを横で見ていると、腰痛に悩むなど、とても負担がかかっていることがわかります。その原因は何かといえば、お年寄りの手足が麻痺して動かないことです。手足が硬直していると、着替えのときに大変時間がかかりますし、手伝うほうも大変です。また、お年寄り自身は手足は動かないけれども、痛みだけは感じるのです。麻痺した手足を切り落とせば、痛みも無くなるし、着替えの手間も軽くなる。体重も軽くなりますから、体位変換も容易になる。
鎌田 メリットは多そうでも、現実にはやらない。
久坂部 ある種の畏れがあるからです。天から与えられた手足を、要らなくなったから切るというような発想は恐ろしいと、普通の人は考えるのです。それは一種霊的な恐怖です。しかし、そこをドライに割り切れば、負担をやわらげる選択肢として考えられるわけです。それに、私が小説的に発想して加えたのは、手足を切断することによって、それまで手足に流れていた血液が、少しは脳のほうに流れるようになって、脳の血液の循環が良くなれば、血管障害型の認知症が改善される可能性がある、ということです。結局、機能的には効果はあったけれども、精神上の暴発が起き、その治療は否定されるという話です。
鎌田 久坂部さんは外科医だったけれども、安易に切ることは良くない場合がある、というメッセージが込められているような感じを受けますね。
久坂部 がんの治療についても、見つければすぐ切るという原則で、外科医はどんどん切ってきました。なおかつ、以前は転移を恐れるあまり、できるだけ大きく切るのが主流でした。だから、がんは取れたが、患者さんは手術から回復せずに亡くなるケースが少なくなかった。
2作目『破裂』で「ピンピンコロリ」に警鐘
鎌田 私が久坂部羊という作家の名前を知ったのは、『破裂』という作品を読んだときです。10万部を超えるベストセラーとなり、「現代の『白い巨塔』」と話題になった作品です。
久坂部 あの作品は2つのストーリーからできています。心臓外科の教授を目指すエリート助教授に手術をしてもらった患者さんが亡くなります。手術中に誤って飛ばした針が出血を招いたことが原因で、被害者の家族が訴訟を起こすわけです。その訴訟を手伝うのが、主人公の麻酔科医です。この医療ミス絡みの訴訟の話が1つ。
鎌田 そこに日本の高齢者医療の話が絡んでくる(笑)。
久坂部 はい。日本の高齢者医療の方向を示す標語に「ピンピンコロリ」(PPK)という言葉があります。ピンピン元気に長生きして、コロリと死ぬのが理想的だというわけです。しかし、元気に長生きする点についてはいろいろ論じられていますが、コロリと死ぬことについてはあまり論じられていません。
『破裂』に登場する厚生労働省の役人は、政府のほうでコロリと死ねる方法を考えて、「ピンピンコロリ」を実現しようと考えています。小説の中では「ピンピンポックリ」にしています。そして役人は、医療事故を起こした心臓外科医が研究している未完成の再生医療を、ポックリ死なせる方法に利用しようとしているわけです。主人公の麻酔科医が、役人が画策するポックリ死なせるプロジェクトを暴き、その計画は未然に防がれるというストーリーです。
厚労省は「コロリ」のほうに意識が行っている

鎌田 最近の厚生労働省の動きを見ていますと、後期高齢者にはあまり長生きしてもらいたくない、という考え方があるようにも思えます。久坂部さんは『破裂』でその点に言及された。
久坂部 はい。「ピンピンコロリ」という言葉を造った人は、「コロリ」を元気なまま大往生を遂げるという良いイメージで使ったと思いますが、それを国の政策として実行しようとすると、危ない面があるんじゃないか、と考えたのです。
鎌田 たしか「ピンピンコロリ」は、健康長寿体操を考案した長野県の人が最初に使った言葉だと思います。だから長野県ではよく使われてきました。この言葉を言うと、お年寄りは喜びますね。ただ、「ピンピンコロリ」は健康な人の発想だという批判もあります。久坂部さんはそれを「ピンピンポックリ」にし、そのウラに潜む危険性を指摘した。
久坂部 「PPK」より「PPP」のほうがピッタリくる場面があり、意図的に「ピンピンポックリ」にしました。意味は同じですが、この言葉には恐ろしい面もあることに警鐘を鳴らしたつもりです。
鎌田 実はある大学の先生に、「鎌田さんがPPKと言っている分には良いけれども、厚労省がそれを言うと怖いですね」と言われたことがありますよ。
久坂部 先ほど指摘されたように、最近の厚労省は暗黙のうちに「コロリ」のほうに意識が行ってますよね(笑)。
鎌田 ピンピンのほうに意識を向けたいですね。そして3冊目が『無痛』。
久坂部 これは現代医療に対する批判がテーマです。最近は検査が進歩していて、何でも検査、検査になっていますが、この作品では、検査はしないで、患者さんの外見を見ただけで病気がわかる名医を主人公に設定しました。
外見を見ただけで病気がわかるとは、患者さんを一見して、病気が治るか治らないかまでわかるということです。多くの医師は、治るか治らないかわからないけれども、治ると思うから一生懸命治療します。その名医にとっては、治る病気は放っておいても治るし、治らない病気はどんなに治療しても治らない。そこまで見抜いてしまう名医は、治療に対して虚無的にならざるを得ない。そのような名医が持つ、あるいは優れた医療が持つ“両刃の剣”的な部分を、悲惨な殺人事件を通して描いたわけです。
医療者がしっかり情報提供する必要がある
鎌田 ところで、1人の医師として、現在の日本の医療制度をどう思いますか。
久坂部 問題はたくさんあると思います。しかし、すぐに解決することも難しい。その最大の原因は、医学・医療が進歩しているのに、制度は昔のままだという点です。そのヒズミが耐えきれない状況になっている。そういう意味では、日本の医療は大きな変革のとば口に立っている。少しずつ解決していくしかありません。
鎌田 どうしたらいいですか。
久坂部 元気なサラリーマンの多くは、医療費を削減してでも、できるだけ負担を減らしてほしい、と考えているでしょう。この雑誌の読者は、海外で行われているがん治療が、日本では認められていないことなど、医療の不十分さに辟易しているかもしれません。しかし、安易に海外の治療法を導入して、深刻な副作用禍を招いてはならない。医療にはそういう二面性があることは認識しておかなければなりません。
作家の村上龍さんが、「ある方法を選ぶということは、その他の方法をあきらめることである」と言っています。ある1つの方法を選んでおいて、その他の方法も試したいという患者さんの意向に振り回されていたのでは、医療は迷走します。やはり医療者がしっかり情報提供する必要があると思います。
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