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死を意識して生きると毎日がとても大切に感じられます 医師/作家・久坂部 羊 × 鎌田 實
外科医がいなくなれば医療は崩壊する

鎌田 財務省は、日本の医療費は高いと考え、抑制しようとしています。久坂部さんはどう思いますか。
久坂部 まだまだ医療費が必要な部分と、無駄に使われている部分と、両方あると思います。そこは個別に検討する必要がありますね。
鎌田 出来高払い制度のもとで、医療者はどんどん検査をする。患者さん側も安心を得るためにどんどん検査を受ける。そうすれば、医療費はどんどん増大します。しかし、一方には、先進国の中で日本の医療費は低いという見方もある。医療費を抑えるために、どこかで無理をさせられている部分もある。
久坂部 それは高度医療の分野でしょう。高度医療に対する報酬が、日本は低すぎますね。もう少し点数を上げ、その分野の医師にさらに技術を磨いてもらう必要があります。私の同僚の高度医療の専門医が、市民病院で長時間拘束された挙げ句、疲れ果てて開業医になってしまった。彼が20数年間、国費を使いつつ高めた技術が、今はまったく使われていない。そういう矛盾をなくすには、やはり優れた医師は時間的、経済的に優遇し、無駄な部分をカットしていくことが求められますね。
鎌田 最近、産婦人科医、小児科医が減少していることが話題になっていますが、実は外科医と産婦人科医の減少率は同じです。このまま推移すれば、早晩、市中の病院で外科医不足に陥ることは明らかです。
久坂部 外科の同級生が集まると、いつもその話になります。私は今53歳ですが、「われわれががんになる頃には、外科医がいなくなっているのではないか」と話し合っています(笑)。
鎌田 日本の医療の中で、外科医に対する評価が低いんですね。外科医がいなくなったら、医療崩壊です。
久坂部 今まで積み重ねてきた優秀な外科技術が活かされなくなりつつある。優秀な医師を酷使して辞めさせるような日本の医療は、本当におかしいですよ。優秀な医師を優遇して、1つの成功モデルとして示さないと、若い人たちは希望も持てないし、やる気も出てこない。
鎌田 テレビのニュースで、病院の偉い先生たちが頭を下げている映像ばかり見せられたのでは、若い医師たちのモラルは上がりませんよね。
久坂部 だから若い人たちが、楽で安全な方向ばかり目指すようになる。若いドクターといえども人間ですから、どうしても楽な道に進もうとする。
「死ぬ時節には死ぬがよく候」
鎌田 医療費削減だけが日本の医療改革の道ではない、ということですね。さて、この雑誌は死に関する話を載せることは滅多にありません。
しかし、がんから生還したとしても人間は必ず死ぬ。これは厳然たる事実です。久坂部さんには『人間の死に時』という著書もありますから、「人間はそれでも死ぬ」という話をさせていただきます。
『日本人の死に時』の最後に、大地震に遭った友人に対する良寛の見舞いの手紙の一節が出てきますね。「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」という1文です。何となく納得させられますね。
久坂部 途中までは、大地震に遭った人に対してひどいことを書いているという印象も受けます。しかし、良寛が言わんとしているのは最後の部分で、災難にしても死にしても、人間の力を超えてどうしようもない状況になったときには、それに抵抗するよりも受け入れて泰然としていたほうが、はるかに安らかな境地にいられる、ということです。つまり、死の苦しみを逃れるためには、死を受け入れたほうがいい。
鎌田 災難も起きてしまったものは受け入れて、そこから立ち上がったほうがいい、ということですね。「がんになった時節には、がんを受け入れるがよく候」ですか。
久坂部 そういうことです。
鎌田 末期の膵臓がんの女性のところに、親戚の人たちが見舞いに来て、「がんばれ」「がんばれ」と叱咤激励するのに対して、ご主人が「もうつらいのは十分や。がんばらんでいいで」と言ったという話があります。これは実際の話ですか。
久坂部 本当の話です。主張するでも反論するでもなく、直接奥さんの耳元に語りかけた言葉です。鎌田さんの『がんばらない』と同じ発想だと思いました。その患者さんは自宅で最後のときを迎えようとしていました。私はその看取りの場にいて、何もできないわけですが、その言葉を聞いて感動しました。1つの死のあるべき姿だと思いました。それで私は、夫婦だけの時間を作るために、その場にいた親族の人たちに隣の部屋に移ってもらい、ご主人の言葉の本当の意味を説明したわけです。
鎌田 感動的な場面ですね。大学病院や大きな病院だったら、そういう看取りはできなかったでしょうね。
久坂部 そう思います。医者もがんばるから、患者さんもがんばれ、という姿になる。それは良寛の言う災難から逃れる妙法ではなく、災難に飛び込んでいくようなものだと思います。
鎌田 人工呼吸器を付けたり、心臓マッサージをしたりするのは、結局、災難に飛び込んでいくようなものなんですね。助けることが大前提ですが、助けられないときもある。そのことを自覚しておく必要がある。
久坂部 助けられない患者さんに幻想に近い期待を抱かせたがために、残された時間を無駄にした例を、たくさん見てきました。医療が無力の場合もあることを、医療者側が認めなければならない。それが患者さんの利益につながるときがあるのです。
常に死に時を考え“末期の眼”を養う

「いや、また1ついい勉強になりました」と感嘆しきりの鎌田さん
鎌田 最近、いろんな形で“長生き幻想”がつくられているような気がします。たとえば“スーパー老人”といって、100歳になっても元気な人を採り上げたりしています。その場合、その人の生き方にスポットが当てられていますが、久坂部さんは長生きの人は生まれながら長生きの遺伝子を持っているのではないか、という意味のことを書かれていますね。
久坂部 長生きで元気な人の生き方を真似しても、長生きできるとは限らないと思います。たしかに“スーパー老人”の活躍は、若い人たちに希望を与えます。しかし、それが行き過ぎると幻想になってしまい、老いに対する備えがおろそかになってしまう心配があります。長生きの良い面ばかりが強調されると、危機管理がどんどん甘くなりますよ。現場を見ている立場から言えば、もう少し長寿社会の暗い部分も知らせる必要があるような気がしますね。
鎌田 人生をいいリズムで歩いてきて、元気に長生きをした人が、最後の死に時で右往左往することがありますね。
久坂部 常に死に時を視野に入れて、今を生きる。それに尽きるのではないでしょうか。
鎌田 元気なときから死に時を考える。
久坂部 死に時をイメージしながら生きていると、ものの見方が随分違ってきます。川端康成の“末期の眼”を若いときから持つことができます。死を意識して見ると、毎年見ている桜が特別美しく見える。それと同じで、死を意識して生きると、毎日がとても大切に感じられます。
また、たとえ余命1カ月の人であっても、死に時を考えながら生きれば、その1カ月は充実すると思います。在宅で最後のときを過ごす人は、家族に見守られながら、アルバムを見たりして充実した日々を送り、死を従容と受け入れる人が多い。
鎌田 なるほど。良寛の「死ぬ時節には死ぬがよく候」の境地に達した人が、最後に良き生を生きることができる。いいお話をありがとうございました。
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