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私の赤ちゃんが一緒になって子宮全摘手術を闘ってくれました エッセイスト・しえ × 鎌田 實
妊娠継続は不可能 手術することに

鎌田 36歳で子供ができ、これで結婚もできるという、幸せの歯車が動き始めたとき、突然、子宮頸がんと言われて、動転しますよね。出産をあきらめなくてはならないとわかったのは、いつですか。
しえ 最初の診断は近所の病院でしたが、がんとわかってから、国立がん研究センターを紹介してもらい、改めて診察を受けました。その時点では、まだ妊娠継続は50パーセントと言われましたが、出席はNOということでした。
産科がないということで、東大病院を紹介されそこでも同様な結果でした。
鎌田 がんセンターはがんの専門病院で、出産は担当しませんから、東大病院を紹介したんですね。東大病院へ行くまでは、産めるという淡い期待は持っていたんですね。
しえ ありました。「どんなに痛くても産もう。絶対に勝つんだ!」と思っていました。
鎌田 お父さんから植えつけられた「立つんだ、ジョー」の精神で、自分はがんに克ち、子供も産むつもりだったんですね。
しえ はい。ただ、がんという病気を冷静に判断できる精神状態ではなかったことは確かです。がんに関しては、私はデビューしたばかりの新人タレントと同じで、右も左もわからない状態です。むしろ母のほうが積極的に動いてくれました。
鎌田 『がんだってルネッサンス』を読んでもよくわかりますが、お母さんがすごく大事にしてくれていますね。
しえ 母は旧満州の生まれですが、小さい頃に母親を亡くし、つらい思いをしたようです。ですから、自分の娘が子供と暮らせないという状況になって、とても複雑な思いだったんでしょうね。何とか産ませたいと思ったんでしょうが……。
鎌田 しかし、最終的に産むことが無理だとわかった。そのときの気持ちはどうでした? しようがないという、あきらめの気持ちでしたか。
しえ あきらめるというより、たとえ自分が死んでも産めるものなら産みたい、と思いました。ただ、私は未婚でしたから、産んだとしても、自分が死んでしまったら、子供を守ってあげられないし、なぜ産み落としたのか、子供から怨まれるのではないかとも思いました。
鎌田 だから、最終的には、自分が死んでも産むという方向にはいかなかったわけだ。
しえ 難しかったですね。自分の産みたいという気持ちだけで産んだとしても、そ���子の人生を見届けられない。私が生まれてくる子供の立場だったら、どう思うでしょうか。いろんなことを考えると、難しいと思いました。
子宮全摘手術と同時に嬰児も摘出

鎌田 そして子宮全摘手術を受けた。子宮頸がんでも1aぐらいだったら、全摘しなくてもよかったかもしれません。進んでいたから全摘しかなかったわけです。手術に入るとき、どんな気持ちでしたか。
しえ 手術の前に、全摘することはわかっていました。子供がダメなこともわかっていました。そういうことをすべて自分の中で消化して、手術に挑みました。ですから、手術室に入るときには、とにかく「手術に勝つ!」という気持ちだけでした。
鎌田 手術までに悩むだけ悩んで、あとは「手術に勝つ!」ですか。でも、つらい決断だったと思うなぁ。
しえ がんと診断されてから、手術を行うまで、かなりの日数があったのですが、実感としては、2~3日のうちに起きたような印象で、ほとんど考える暇もなかったという感じです。
鎌田 子宮全摘手術をしたとき、骨盤のリンパ節に転移があったんですよね。全摘手術で「がんに克つ!」が終わったわけではなかった。それを聞いたとき、どうでした?
しえ 思ってもいなかったことで、とてもショックでした。実は、最初、中絶手術だけを行う予定だったのですが、カテーテルが入らない状態になっていたために、手術することができなかったんです。その後、子宮全摘手術を行いましたが、子供と一緒にリングに上がり、子供の力を借りて闘ったような気持ちで、がんばることができたんです。
鎌田 子供に救われたんだ。
しえ そう思ってます。
鎌田 もともと子供ができたおかげで、がんが発見できたわけですからね。子供が最後まで付き合ってくれたんだ。
しえ 親は賢くないけれど、賢い子供だったんだと思います。自分が先に逝ったら、この親は手術に耐えられないと判断したんじゃないでしょうか。
私まだ人間なんだ 患者じゃなく人間なんだ
鎌田 子供が犠牲になって生かしてくれたんだから、骨盤のリンパ節に転移が見つかっても、逃げるわけにはいかないよね。
しえ 転移を知ったときは、1人で闘わなければ、と思ったんですが、エネルギーを使い果たしたばかりですから、少し充電期間がほしい、という感じでした。しかし、そんな時間は与えられず、次の治療に入りました。
鎌田 放射線治療ですね。
しえ 最初、放射線治療と言われたときに、反射的に原爆を思い浮かべました。大丈夫かなぁ、放射線に立ち向かっていけるのかなぁ、というのが正直な気持ちでしたね。
鎌田 2000年1月ですよね。まだ東大病院の放射線治療室が汚い時代ですね(笑)。
しえ ホラー映画に出てきそうな、蔦が絡まる地下の寒々しい病室でした。いろんな部分のがんを患っている、お年寄りの患者さんが多かったのですが、当時の私にはそういう人たちの話を聞いてあげるだけの余裕はありません。周りを見回すと、こちらの病気がますます悪くなるのではと思ったくらいです。
鎌田 当時はまだ、放射線治療を受けるのは末期の患者さんか、再発・転移の患者さんが多かったからね。しえさんにとっては、放射線治療室で中川恵一先生と出会ったことが大きかったね。
しえ そうですね。ただ、最初は中川先生にやさしい言葉をかけてもらうと、もう末期がんで死が近いから、やさしい言葉をかけられるんじゃないか、騙しに入っているんじゃないかとか思いましたね(笑)。
鎌田 末期がんだと思ったことがあった?
しえ ありました。ドラマだとここまでは言わないな。ここまで言うということは、その先にまだ隠していることがあるんじゃないか。ここからががんと闘う本番なのか。いろいろ揺れ動きましたね。でも、時間が経つにつれて、中川先生への信頼が深まりました。
鎌田 中川先生の何が良かったんだろう?
しえ がんと関係のない話をよくされました。洋服の話とか、旅行の話とか。どこそこはいいよ、という話をされるときの中川先生は、まるで旅行代理店の人のようでした(笑)。
鎌田 中川先生はがん患者に対して、「楽しいことをやりなさい」とアドバイスしていますね。また、「今日の洋服はいいですね」とか、「春らしい陽気ですね」といった、何気ない日常会話も大切にしている。そういう言葉をかけられると、話しやすくなるんでしょうね。
しえ それと、先生からそういう言葉をかけていただくと、私まだ人間なんだ、患者じゃなく人間なんだ、と思えるんです。
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