私の赤ちゃんが一緒になって子宮全摘手術を闘ってくれました エッセイスト・しえ × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2008年5月
更新:2018年9月

生理用品のCMや、赤ちゃんのCMはつらかった

写真:しえさんと鎌田さん

鎌田 放射線治療はつらかった?

しえ つらいときもありましたが、つらいと思わないようにしました。

鎌田 1日2グレイずつ、50グレイかけたんですね。ひどい下痢になったようですね。つらかったでしょう。

しえ つらかったですが、それよりも、地下の蔦の絡まる寒々しい病室に1人でいることのほうがつらかったです。

鎌田 副作用のつらさを我慢しながら、家から通ったんだ。

しえ はい。副作用としては、下痢と皮膚炎がありました。

鎌田 放射線治療が終わると、リンパ流の流れが悪くなり、足がパンパンに腫れたでしょう。

しえ 今も腫れます。7年経ちましたが、立ち仕事をしているとパンパンに腫れます。

鎌田 リンパ流のマッサージをしてもらってもダメですか。

しえ 一時的には治りますが、またすぐに腫れますね。それにプレマリンという薬を飲み続けてきたためか、一時すごく太りました。

鎌田 子宮全摘手術で卵巣も取っていますから、排卵を準備する女性ホルモンのエストロゲンが突然オフされる。それによる症状がつらかったですか。

しえ 肉体的なつらさもありますが、36年生きてきて、そのうち20年ほど生理があったわけです。それが突然なくなりました。それを精神的に受け入れることが大変でした。

鎌田 テレビで生理用品のCMを見るのがつらかった?

しえ つらかったですね。生理用品のCMが始まると、主人も黙ってしまうんです。

鎌田 パートナーもわかってくれているんだ。

しえ はい。でも、お互いの気持ちがわかるからこそ、そこでチャンネルは回せないんです。早く次のCMに変わってくれないかと思いながら見ていました。そういう時期がかなり長く続きました。ですから、術後のほうが苦しかったですね。

鎌田 たしかに36歳で生理がなくなるというのはつらいね。

しえ つらいですね。スーパーへ行っても、習慣のように生理用品を買い物カゴに入れていましたから。術後もふっと手にとってカゴに入れようとして、やめたことが何回かありました。生理用品のCMや、赤ちゃんの出るCMはつらかったです。

鎌田 突然の更年期障害の症状としては、どんなことが起きました?

しえ 身体にほてりが��ました。カァーッと熱くなったかと思えば、急に寒く感じたりして、体温の調節ができないような感じになりました。でも、そういう更年期障害のような症状が出るということは、前もって聞いていましたから、症状を言って、プレマリンを出してもらいました。それでだいぶ楽になりました。ただ、プレマリンは乳がんになりやすいということも聞いていましたから、最近になって、自己判断でプレマリンはやめました。今のところ、関節が少し痛いぐらいで、精神的には徐々に良くなってきています。

新たに再生する気持ちでがん体験記を書いた

鎌田 エストロゲンの治療については、日米の医者のスタンスに随分違いがあります。アメリカの場合は、閉経後、骨粗鬆症にしないために、エストロゲンを飲ませます。日本の場合は、我慢させる傾向があります。確かに、エストロゲンが長く入っていると、子宮がんも乳がんも起こしやすいんです。アメリカの場合は、そのリスクより、骨粗鬆症にならないで、快適に生き生きと暮らすことを重視しているのです。そこは生き方の問題です。しえさんもつらくなってきたら、またエストロゲンを飲めばいいと思います。

しえ プレマリンをもらうために、3カ月に1回、病院に行っていたんです。そのときに女性外来の先生に超音波で診てもらうと、乳がんの影らしきものが見えたことが2~3回あったんです。外科へ回されてよく調べてもらうと大丈夫でした。そんなことがあって、不安だったものですから、プレマリンをやめたんです。

鎌田 やめられればやめたほうがいい。しかし、やめていて、生活がしづらいようになれば、また飲めばいいと思います。乳がんになるリスクというのは、ほんのわずかなリスクですからね。下痢はコントロールできるようになりましたか。

しえ 下痢は治りましたが、尿意は今もありません。時間でするようにしていますが、忘れることもあります。そういうときは、漏らしはしませんが、トイレに行くと大量に出ます。

鎌田 意識して出すようにしないと、腎盂炎を起こしますよ。

しえ 排便のほうは下痢はなくなりましたが、最後までスムーズにできない状態です。皆さんが最後まで自動だとすれば、私は最後は手動です(笑)。

鎌田 子宮頸がんの手術をしてから5年経ちましたから、もう治ったと言っていいと思いますが、いろんなところに問題をかかえているわけだね。

しえ 本を出すまでは、がんであることを周囲の人に知られたくないと思っていましたし、私ががんだということがわからなかったと思います。術後も「調子が悪いから」と言って休むと、社内的には顰蹙を買っていたと思います。しかし、術後、徐々に仕事が忙しくなり、このまま続けていくにはつらいものがありました。1人ひとりに言い訳することもできず誤解を招くばかりだったので、それならいっそのこと公表しようと本を出す決心をしました。

鎌田 それが本を書くきっかけだったんだ。

しえ 自分の中で1つの限界が来ていたんです。せっかく子供に助けてもらったいのちだから、ムダにしてはならない。自ら再生するつもりで生きていこうと考えて、本を書きました。

鎌田 最後に、『がんだってルネッサンス』を読んで、グッと来たところは、お母さんが書いていらっしゃいますが、しえさんが手術を受けた日に、お母さんとあなたのパートナーがおでん屋さんへ行った場面です。彼は涙をこぼしながら、大根にひとくち手をつけただけで店を出たんですね。今は夫ですが、すごくやさしい人だね。

必死に支えてくれたひと回り年下の夫

写真:しえさんと鎌田さん

「がんの治療も映画と同じで、みんなで治していくものだと思います」としえさんは語った

しえ よく耐えてくれています。年齢は私よりひと回り下です。私が手術をした年には、まだ24歳です。私と知り合ったばかりに、青春時代を楽しむことができなかった人です。彼は家族の事情で早く自立したかったようです。私は彼のためにも、普通の幸せな家庭を築いてあげたかったのですが、それができなくなってしまいました。気の毒だと思います。本当によく耐えてくれています。偉いと思います。

鎌田 すごい人だと思いますよ。錠さんにしてみれば、大事な娘が、がんになったというだけで“青天の霹靂”なのに、そこへ付き合っている青年が現れた。ぼくが錠さんだったとしても、しえさんを必死で支えている若い青年のことなど、思いがいかないと思う。彼は身の置き場がないというか、いたたまれなかったと思いますよ。

しえ 芸能人の娘と付き合い、妊娠と聞いたら、がんだったと言われ、子供は失い、子宮は全摘、さらに更年期障害……。彼だって何が何だかわからなかったと思います。しかし、私にとっては、彼という存在が側にいるだけで良かったんです。あれをしてほしい、これをしてほしいではなく、いてくれるだけでいい……。

鎌田 彼の存在は大きいね、しえさんにとって。

しえ 死んでいった子供、彼、父や母、弟たち、周辺の人たち、先生方、多くの人たちに支えられて、ここまで来ることができました。映画は多くの人が力を合わせて作る総合芸術と言われています。がんの治療も映画と同じで、みんなで治していくものだと思います。私は今、多くの人たちに生かされているということを、痛切に感じています。

鎌田 いいお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。

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