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がんの知識を集めれば集めるほど、彼は「がん患者」に仕上がっていきました 作家/慶應義塾大学文学部教授・荻野アンナ × 鎌田 實
リアルな手術室の情景が書けた理由

鎌田 ところでこの本には手術室の情景が何ページにもわたって、実にリアルに出てくるんですけど、違う症例の手術のとき手術室に入れてもらって観察したんですか。
荻野 違う症例じゃなく、彼本人の手術のとき中に入れていただいたんです。
鎌田 そうだったんだ。よくドクターからオーケーが出ましたね。
荻野 手術は某大学病院で高名な先生の執刀で行われたんですが、私は書く職人だし、その先生は手術の名人なので、なんとなく職人同士相通じるものがあって意気投合したんですね。「取材」ということでお願いしたら最終的にはいいよということになったんです。
鎌田 緊張したんじゃないですか。
荻野 ええ。入る前はいろんなことが心配になって、いったん入るとトイレに行けないかもしれないからパンパースをしようとか、今思えば笑っちゃうようなことを真剣に考えました。当日は少し遅れてメモ帳を手に手術室に入ったんですが、そのときも本当に入っていいのかなあという気持ちでしたね。でも、いざ入ってしまうと、術野のほうには入るなと言われていたのに、近くに呼ばれて至近距離から見せていただいたのでリアルな描写をたっぷり書くことができたんです。それだけでなく先生はカメラも持ってくると思っていたようなんですよ。「写真は撮らなくていいの?」っておっしゃるんで、「エーッ、事前に言ってくださいよ」って声が出そうになりました。
でもまったく写真を撮らなかったわけではないんです。
手術が終わったとき、カメラを取ってきてもらい、みんなで記念撮影したんです。全員マスクをしたまま、彼が横たわる手術台のところに並んで、撮ったんですよ。
鎌田 もう完全に縫ったあとだったの?
荻野 覚えてないです(笑)。
鎌田 ハハハ。いいね、その話。ところで、すぐ近くから見ていたということだけど、立ちくらみするようなことはなかったの。
荻野 それは無いです。そこは一応物書きですから。それに、以前ゾンビと人間のハーフの話を書くので解剖自体は見ているんです。
鎌田 そうだったんですか。
荻野 ですから、切り開かれたおなかの中を見てもショックはまったくなく、逆に「私にも、リンパの1個ぐらい切らせて下さーい」って言いたくなったくらいです(笑)。
2度目の抗がん剤後、坂道を転げるように

鎌田 本には、手術は10時に始まって夕方の6時15分に終わったとあるので、手術は8時間以上かかった大手術だったわけですが、それ以外にも放射線とか抗がん剤治療を受けているんですよね。
荻野 はい。フルコースで受けています。手術は7月8日だったんですが、4月末から抗がん剤を開始して、5月6月は抗がん剤と放射線でがんを叩いてから手術でした。抗がん剤は本にもあるようにシスプラチン、タキソテール、5-FUの順番でした。
手術の2カ月後に肝臓に転移していることがわかったあとは、3カ月に1度入院して抗がん剤治療を受けることになったんですが、10月に入院したときは抗がん剤が効かなかったので、2005年の1月に入院したときはテガフールとアドリアシンを連続投与したんです。
このときは多少がんが縮小したんですが、副作用も出て2つ目の治療をやったときはゲーゲーという感じ。それからは坂を転げ落ちるように衰弱していきました。
鎌田 本に「最後の数カ月は、生命に弱音器がかかって、パタさんは弾いても音の出ないヴァイオリンだった」という記述がありますが、どんな状態かよくわかります。結局、食道がんが見つかってから亡くなるまで、どのくらいだったんですか。
荻野 1年2カ月です。最初、告知をしてくれたお医者さんは、半年とおっしゃっていました。
選択したことの迷いと不安
鎌田 この本を読んでいると、アンナさんの中に絶えずこの選択で良かったのかなという、心の揺れがあるように感じられるんですが。
荻野 そうなってしまうのは私の場合、正式に結婚していないので、間違った選択をしたら責任のとりようが無いという思いが常にあるからなんです。それでも、手術まではそう揺れることは無かったんですが、手術後はグラグラ揺れっ放しでした。手術に関しては受けてよかったと思っています。中に入って実際、がんがどんな状態なのか見ていますから、爪を揉んだり怪しげな水を飲んだりするくらいで治るようなものではないことはすぐわかりました。ですから手術をしないという選択肢もあったんじゃないかという気持ちはまったくありません。
ただ、最後に2連弾でやった抗がん剤はどうだったんだろうという思いはあります。今日は、その辺も先生に伺おうと思っていたんです。
鎌田 僕は『がんばらない』を書いたころは、どちらかというと抗がん剤、放射線が嫌いな医者だったんです。患者さんが苦しみぬいているのをいっぱい見てきたんで、最後までその人らしく生きるのがいいんじゃないかという思いが強かったんです。
でも、このところ、この『がんサポート』などの対談で、最先端の医療をやっている先生たちと会うようになって、考えが変わりました。
腫瘍内科で専門的に抗がん剤を使っている人たちや、放射線の分野で先端医療に携わっている人たちの仕事を見ていると、以前に比べると段違いに効果を発揮していることが多いんですよ。
だから、もしアンナさんから抗がん剤について相談を受けていたら、勧めたんじゃないかと思いますよ。手術を受けるか受けないかが一番むずかしい判断だと思う。
もし放射線が効くのなら、放射線治療と化学療法だけでQOL(生活の質)を保ちながら、いい仕事をしてもらうという選択もあったかなあとも思う。でも、年齢がまだ50代ですから、数パーセントでも手術で完治する可能性があるのなら、受けたほうがいいですよと言ったと思います。そうやって考えていくと、治療法はこれしかなかったんじゃないかなあ。
荻野 そう言っていただくと、ホッとします。たしかに放射線が効く人だったら苦しい思いをせずにいい時間をというのが正解になるんでしょうが、これは結果論ですが、放射線が効かなかったんですから。
鎌田 結局、彼の年齢を考えれば手術ということになりますよね。
荻野 手術を受けたことは、やはり正解だったと思うんですよ。大きな手術だったので、体が大きなダメージを受けたけれども、まだ年齢的に体力があったので、いったん回復して秋には、一緒に旅行に行くこともできましたから。私たちは、反対された仲でしたので、それまで1度も旅行なんかしたことがなかったんです。あのような時間を持てたことは本当に幸せでしたね。
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