がんの知識を集めれば集めるほど、彼は「がん患者」に仕上がっていきました 作家/慶應義塾大学文学部教授・荻野アンナ × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●吉田健城
発行:2007年11月
更新:2018年9月

頼りのアドバイスを受けられなくなって

鎌田 逆に精神的に一番きつかったことはなんですか。

荻野 やはり、私の下手な取材が原因で、彼が頼りにしていた先生のアドバイスを受けられなくなったときですね。
2004年4月に彼が食道がんを告知されたあと、私は抗がん剤のエキスパートとして知られる先生と小説もお書きになる東大の先生にいろいろ相談し、お医者さんを紹介していただいていたんですね。こちらとしてはその抗がん剤のエキスパートの先生をたいへん頼りにしていたので、肝臓への転移が確認されたあと、すぐに連絡をとったんです。そしたら、ひどく不機嫌で、それまでとはまったく違う対応をされたんです。
原因はある月刊誌でその先生と私が対談した際、私がした質問が気に入らなかったんです。そのときは編集サイドから素人代表ということで質問するよう要望されていたので、素朴な疑問や、一般の患者さんが知りたいようなことを次々に質問したんですが、その先生はそれに腹を立てていたようなんです。 こちらはそんなことになっているなんて思ってもみませんでしたから、肝臓に転移していることがわかったあと、電話を入れて、相談に乗ってもらおうと思ったんです。
そしたら先生から「大学教授ともあろうものが、本来医学書をしっかり読んでくるべきところを、くだらない本を読んでくるとは」という感じで、お叱りを受けたんです。相談についても「本来なら引き受けないところだけど、今回だけは相談に乗るから」という言い方で時間をとってくれたんです。
そのときは彼が1人で伺ったんですが、その先生は機嫌が悪く、彼に「治るということはありえないです」と言ったそうです。彼は強い人だったので「治らなくても、がんと共存していけばいいんだ」と言っていましたが、私はつらかったですね。下手な取材をしたためにその先生のアドバイスを受けられなくなったわけですから。

鎌田 名医という人にそこまで言われちゃ、つらいよね。対談のときは素人の代表ということで、通俗的な本をたくさん読んでいったんでしょう。

荻野 そうなんです。実はその対談のときは専門書も読んでいたんですが、素人代表だから、あえてそれから得た知識をベースにした質問はしなかったんです。あれは、本当に痛い思い出です。精神面でちょっとおかしくなりましたから。

親の介護疲れが元で鬱に

鎌田 『蟹と彼と私』の中に、お父さんの看病疲れがきっかけで、軽い鬱が数年来続いているという記述があるんですが、介護鬱になったんですね。

荻野 私の場合、40代のとき両親が交互に悪くなったんですが、父は日本語ができないんで介護も大変なんです。
仕事をいろいろ抱えた中でそれをこなすわけですから、いろいろ影響が出て精神的に不安定になったんです。

鎌田 それで軽い鬱になって以来、ずっと安定剤と入眠剤がオトモダチなわけですね。

荻野 はい。私の場合リーゼから始めて今はデパス、レンドルミン、マイスリーなどを適当にカクテルしながらやっています。

鎌田 今はうまくコントロールできているということですね。

荻野 まだ、そう言える状態ではないですね。
この6月7月には、ちょっと鬱が来ました。彼が亡くなったあと親の介護でフル回転でしたから。
2005年の6月に彼を送ったあと、10月に父が脱水症状を起こして倒れたんです。父はアルツハイマーではないんですが90歳を過ぎてもお酒が好きなものですから、際限なく飲んで急性アルコール中毒になっちゃったんですね。脱水症状はそれによるものです。このときは酒が抜けるまで1週間くらいかかりました。
最初のころ、父は私の腕をとって凄い力で捻るようになったんです。「アイ・キャント・オープン、アイ・キャント・オープン」と言いながら。私をお酒のビンだと思っているんです(笑)。
それから2日くらいたったとき、今度は私の顔をしげしげと眺めながら「外人みたいな方ですねえ」って言うんですよ。私が「あなたの娘ですから」って言ったら、シマッタという顔をしていました(笑)。

鎌田 2、3年前にお母さんを病院に連れていく話が新聞に出ていましたが、たいへんですね。

荻野 今は、病院に連れて行くのはほかの方にお願いしていますが、基本的に母はヘルパー拒否なんで食事は私が作るしかないんですよ。おかげさまで、この1年で、煮物がたいへんうまくなりました。

サプリが隠れた巨大産業になった理由

荻野アンナさんと鎌田實さん

鎌田 サプリメントのことも本に出てきますが、実際に試されたんですか。それとも調べるだけ調べてみただけですか。

荻野 もちろん実際に試しました。ただし、何か試すときは主治医の先生のところに行って判断を仰ぐようにしていました。そうすると「アガリクスは抗がん剤をやっている間は肝障害の危険性があるからダメ」とか「アシタバの丸薬は無害だからOK」と明確な答えを出してくれるので、それに従っていました。

鎌田 『蟹と彼と私』に、医者からダメだと言われたサプリを「私」が「1万5000円もしたのに!」「2瓶で3万8000円もしたのに!」と言いながら、プロポリスと乾燥スッポンをお母さんに押し付け、自分は海蛇を食べる場面がありますが、これは一般のがん患者のお金がどこへ流れているかを示す格好の戯画になっているんですよ。抗がんサプリと称するよく実態のわからない食品の総売上は1兆3000億円くらいだといわれているんだけど、怪しげな水なども入れると売上は年間3兆円くらいになるという試算もあるんです。
それが事実とすれば、抗がん剤や放射線治療に支払われる金額より大きくなるので、「怪し系」の市場のほうが「まとも系」の市場より規模が大きいことになります。

荻野 冗談のような話ですが、なんとなくわかる気がしますね。

鎌田 しかも、こんな現象を作り出しているのは我々医師の側なんですね。荻野さんが抗がん剤のエキスパートとして知られる先生に「大学教授ともあろうものが、下らない本ばかり読んで」と批難されて精神的にちょっとおかしくなったという話をされましたけど、こうした患者を見下した姿勢が、患者をサプリに走らせているんです。

荻野 同感です。「いわしの頭も信心から」じゃないけど、がんという病気があまりにも手強いために、患者は何かすがるものが欲しくなるんです。

鎌田 それが人情なんですよ。それをバカなやつだと怒っても何も解決しません。

荻野 人間なんてそんなもんだと思わないと。

鎌田 そういう発想ができないうちは、ますますサプリ業界ばかり太ることになるでしょう。この本にあるように、お祈りの回数券が本当に登場するかもしれませんよ。

荻野 フィクションがノンフィクションになったら洒落になりませんよ。

鎌田 同感です。フィクションだと思って読むから笑えるんですものね。

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