がん緩和ケアのコンセプトが未だに理解されていないのが問題です 特別対談・岸本葉子(エッセイスト) × 向山雄人(癌研有明病院緩和ケア科部長)

撮影:板橋雄一
構成/常蔭純一
発行:2007年7月
更新:2018年10月

外来から始まる痛みのケア

写真:岸本さんと向山さん

「緩和医療がなぜ、一般の医療と並行して行われないのか。患者の視点からすると、ちょっと不思議な気もします」と岸本さん

岸本 緩和医療はすべてのがん患者にとって不可欠な医療です。しかし、それを現実に行うには、マンパワーや費用など、難しい側面もあるのでしょうね。先生のところでは、具体的にどのような治療、ケアを行っておられるのでしょうか。

向山 緩和ケア病棟ですから、入退院を繰り返し、終末期、つまりラスト・ステージになった患者さんも入院されています。その場合には、苦痛がない、尊厳ある看取りやご家族の支援、さらにご遺族の悲嘆にケア(グリーフ・ケア)も行っています。
ただ一般の緩和ケア病棟とは基本的な位置づけが異なります。一般の病院でも、患者さんの容態が重篤な場合、ICU(集中治療室)へ入院したり、心筋梗塞などの冠動脈疾患ではCCUに入っていただいたり、集中的な治療を行いますよね。緩和ケア病棟はPCUと呼ばれますが、時期に関わらず、がんに伴う苦痛が、緩和ケア外来で十分できない病態の場合に入院して頂き、集学的、集中的な苦痛の治療・ケアを行います。例えば抗がん剤治療などを受ける前に痛みが強い時、緩和ケア病棟に入って、集中的に治療する。そうして痛みが和らげば、また化学療法病棟に戻っていただくわけです。

岸本 一般的に緩和ケア病棟からは他の診療科目や外来に移りにくいと考えられていますが、こちらではまったく状況が違っているようですね。

向山 そうですね。私自身のことをいうと、毎週、月、火、水曜日の3日間、緩和ケア外来でそれぞれ30人前後の患者さんを診察していますが、その9割は、同じ日に乳腺科、消化器科、泌尿器科など他科の治療も受けておられます。外来の段階から早期に緩和ケアを開始しているので、患者さんの苦痛に迅速に対応できますし、当科に関して正しく理解してもらえます。

チームで取り組む緩和医療

岸本 緩和ケアチームの編成はどのようになっているのですか?

向山 当院の緩和ケア病棟は、この5月から包括医療体制をとっています。また、それとは別に他病棟に入院している患者さんに対応する緩和ケアチームもあり、月曜日~木曜日に依頼を受けて往診、回診をしています。ホスピスケア認定看護師の師長と副師長が月ごとに交代でチームに入り、後は私と薬剤師の3人体制が基本構成メンバーです。癌研有明病院では電子カルテを導入していますが、他科の医師や看護師さんが、患者さんに緩和ケアが必要と判断すれば、その電子カルテを通して私たちに診察を依頼できます。さらに患者さんの苦しむ姿を目の当たりにしている看護師さんからも依頼できるシステムにしています。私たちは依頼があると、朝、集まって互いに意見を出し合って対処の仕方を決定し、夕方再び集まって方向性を確認し合って継続的な診療を続けます。

岸本 スタッフの人数といい、院内で活動するしくみといい、意外に身軽なんですね。

向山 大所帯のチームよりも少数のチームのほうが効率的に仕事を進められる利点もあります。私のチームは師長、副師長はもちろん、薬剤師さんも患者さんをアセスメント(評価)する優れた能力を持っていますから、この体制で十二分に役割をこなせています。

岸本 チームの形も従来のイメージとはだいぶ違っていますね。電子カルテという情報ツールを用いて、看護師さんからも診察が依頼できるということも斬新ですね。こうしたチームなら、患者は自分が緩和ケアを受けているという意識を持つことなく、その恩恵に預かれるような気もします。従来の、緩和ケア科に「移行」するといった心理的な障壁なしに、気がつけば「この病院では、ずいぶん楽に治療を受けられるな」と感じているような。

向山 そういっていただけると嬉しいですね。医療がボーダーレス、シームレスに変わっていけば、患者さんは当然そう感じるでしょう。緩和ケアという言葉は、後からついてきてもかまわないと思っています。ただ、私の病棟でも、まだまだ乗り越えるべきハードルは残されています。医療界全体を見ると、緩和ケアがきちんとした形で定着するかどうかは、がん対策基本法が出された今年から、3~5年間が勝負だと思っています。ちなみに全国のがん診療連携拠点病院の中で、当院が緩和ケア病棟と緩和ケアチームで診療した患者数が断トツに多く、他病院とは件数が1桁違います。非常に忙しいですが、1人でも多くの患者さんの苦痛を緩和しなければというモチベーションが活動の原動力となっています。

患者個々を尊重するオーダーメードの緩和ケア

写真:家族の生活に必要な設備が整っている個室で

冷蔵・冷凍庫や電子レンジなど患者さんと家族の生活に必要な設備が整っている個室を案内する向山さん

岸本 先生のお話を聞いていると、他の病院でも同じようなチームをつくることは、そんなに難しいことではないようにも感じたのですが……。そう考えると緩和医療というのは、もっともっと多くの病院で行われていもいいように思うのですが……。

向山 おっしゃるとおりですね。緩和ケアに精通している医師と看護師、それに薬剤師がいればいいのですから、がん専門病院でなくてもチームはつくれます。ただ現実には、それがなかなか難しい……。

岸本 前におっしゃった意識の問題がネックになっているのでしょうか。

向山 そうですね。医師の間では、緩和ケアをがん医療の付属物のように受け止められている傾向がまだありますからね。たとえば抗がん剤が効かなくなった患者さんが相談にいくと、なかには「緩和ケアにでも行けば」という医師もいるくらいです。そうした緩和ケアを一段下に見る意識が払拭されない限り、この医療の普及は難しいのかもしれません。

岸本 一段下に見る意識とは、情けないことですね。

向山 私がとくに腹立たしく感じるのは、私と同じ腫瘍内科医の意識の低さですね。彼らが行っている抗がん剤治療にも、もちろんそれなりの難しさがあります。しかし、緩和ケアの難しさはその比ではありません。緩和ケアというのは100パーセントオーダーメードの治療です。同じモルヒネを使うのでも、ある患者さんには20ミリグラムでいいのが、別の患者さんには200ミリグラム必要なこともあります。薬剤の使い方ひとつをとってみても、症状によって、種類も用量もまったく違ってきます。それにそのときどきで、患者さんの病態が大きく変化することも理解しなければなりません。体表面積から抗がん剤の用量を割り出して、後は画像とにらめっこしている状況とはまったく違うことを認識してもらいたいですね。もちろん腫瘍内科医にも素晴らしい先生はたくさんいます。しかし抗がん剤治療を行うだけでよしとする医師には違和感を覚えます。

岸本 抗がん剤治療は外科の先生もなさっていますね。

向山 そのとおりです。ただ外科医の場合、検査、手術、術後管理などがあるので、緩和ケアに意識が向かない、時間を割けられないのもある程度は仕方ないと思います。しかし内科医、とくに腫瘍内科医はもっと真摯に緩和ケアに向き合うべきだと思います。腫瘍内科医は薬物全般を扱うのが本来の仕事です。とすれば、患者さん主体の医療を実現させるには、苦痛の治療に薬物を扱う緩和ケアも本来は彼らが行うべき仕事でもあると思います。
患者さんに目を転じると、そうした意識の問題に加えて、医療コストという問題がのしかかっています。鎮痛剤のなかには1回の投与で数万円の費用がかかることも少なくありません。保険によって後で返還されることがわかっていても、その場の支払いに窮することもあるでしょう。となると、痛みのほうはこらえて抗がん剤治療だけをやってもらうということになりがちなのです。

岸本 なるほど。ところで先生のおっしゃる積極的医療と緩和医療の乖離は、日本特有の現象なのでしょうか。医療先進国といわれるアメリカなどでは、やはり状況は違っているのでしょうか。

向山 そうとは限りません。アメリカでも、緩和ケアのスキルを知らない腫瘍内科医は少なくないようです。私自身、一昨年、アメリカで行われた腫瘍内科医に緩和ケアを指導する緩和ケア医を対象にしたセミナーに参加したのですが、そのときも「鎮痛剤の使い方がわからない」、「患者さんにバッドニュースをどう伝えればいいのかわからない」という腫瘍内科医が多いことが明らかにされています。それに加えて、アメリカの場合は、医療費が非常に高額ですからね。そのことも考え合わせると、むしろ日本のほうが、緩和ケアがよりよい形で浸透していく可能性があるようにも思いますね。

岸本 そうですか。先生のお話を聞いていると、日本の現行の医療制度の中でも、保険の点数制度を見直し、院内の連携を強化することで、ある程度は緩和医療を広げていくことができるようにも感じました。 ところで、先生のところでは、本格的に緩和ケアを始められて3年が経過していますが、その成果はいかがでしょうか。ケアを行うことで患者さんはどう変わっているのでしょうか。


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