がん治療も自分で選ぶ時代に~菅原文太の膀胱がん治療体験に学ぶ~ 菅原文太(映画俳優) × 中川恵一(東京大学医学部放射線教室准教授)

撮影●板橋雄一
構成●髙橋良典
発行:2012年12月
更新:2019年7月

トイレで血の塊がポタッと落ちて気付いた

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「手術の他にも選択肢があるんだと学習しておくことが大切」
と中川さん
「医師は患者に『大丈夫』と言わなければ駄目だよ」と菅原さん

中川 ところで、文太さんが最初に体の異変に気付いたのはどんなきっかけからですか?

菅原 あるとき、トイレで便器を見たら赤くなっていたので最初は痔かな、と。若いとき飲み過ぎると痔が出ることがよくあったからね。

だから、そのときはそんなに深刻に考えてはいなかった。それから少し経って新幹線の男性用トイレで用を足していたら、血の塊がポタッと落ちた。

それでこれは痔じゃないな、と。そこで知り合いの泌尿器科の先生に連絡をして内視鏡で診てもらったんだ。そしたら「これは自分では手に負えない」とがん研有明病院を紹介された。

中川 文太さんの膀胱がんはがん細胞が膀胱の筋層の半分以上まで入りこんでいる浸潤性のものだったのでがん研有明病院を紹介されたんですよね。膀胱がんと分かったときの気持ちはどうでした?

菅原 大きいショックというのは、かえって鈍感になるものなんだね。最初はキョトン! だよ。年も年だったから、74ぐらいのときだからね。まぁしょうがないか、それと昔と違って今なら何とかなるだろうという気持ちだったね。でも、膀胱を取って人工膀胱を着けなくてはいけないとなるとねぇ。暗くなるよね(笑)。

中川 文太さんが逡巡された人工膀胱を始め、人工肛門にしてもがんのサポート的な役割を果たす日常の身の回りのものがみんな荒々しいですよね。がんになった人にはきめ細やかなものがいらないとでも思っているんですかねぇ。

菅原 そうだねぇ。どうしてかね。日本だけでなく?

中川 日本が1番だと思いますよ。それは結局、こころのつらさと身体の痛みを取り除く「緩和ケア」ができてないことと関係がありますね。日本ではともかく治癒が第一で、みすぼらしい袋が着いていようが寝たきりになろうが、極端なことをいえば生きてればいいじゃないかという考えですか���ね。

菅原 人工膀胱がもう少し納得いくような仕組みだったら手術を受けていたかも知れないな。トイレに行ってオシッコしたら全部外して新しい袋に入れ替えなければいけない。

それじゃ外出するのに替えの袋を3つも4つも持っていかなければいけないなんて考えるとますますガックリくるよ。なんか患者側の気持ちに立つという大事な点が抜け落ちているよね。

だから膀胱を全摘すると言った先生に他の方法はないのと聞いたんだ。そしたら小腸を使って尿道につないでいくことは出来ますという。それなら袋を着けるよりいいかなと思ったんだが「その代わりこらえ性がなくなりますよ」って言われた。尿が出るという意識がなくなるから、ただダラダラ出て行く。「なんだそれじゃ駄目じゃないか」とね。

あまりにもデリカシーの無い話で、病巣部だけ取り除けばあとは知らないというのでは医療に従事する人の役所も含めてだけど、センスを疑うよ。

中川 患者さんの気持ちに寄り添わないといけませんよね。たとえば転移がある肺がんの患者さんに対して抗がん剤だけやるグループと抗がん剤と同時にこころのケアを行ったグループを比較すると、こころのケアを行ったグループのほうが3カ月長生きしているデータがあります。しかも抗がん剤の使用量も減っているんです。だからこころの持ちようって大きいんですよ。

中川 文太さんはいま東京と山梨の生活が半々ぐらいですよね。いつからですか?

菅原 3年ぐらい前からだけど。

中川 ご自身の病気と関係ありますか?

菅原 どうだろう。あるのかなぁ。

自然と触れ合うことで死を受け入れやすくなる

中川 文太さんの暮らしぶりは理想的ですね。私の先生は養老孟司先生なんですけど、人間は自然と触れ合うことで死を受け入れやすくなると教えていただきました。

四季を感じられない都会にいると死を受け入れるという感覚が失われますね。だから養老先生は都会の人間は都会と田舎を参勤交代すべしとおっしゃっています。

菅原 まぁ、俺だって実際、農業やってるわけじゃなくて、やっているのは若い者だけどね。でも田舎に暮らしていると、南アルプスに富士山が見えるし、雲の様子や山の様子は365日、1日として同じ表情をしていなくて日々変化してるからね。それを見ているだけでも気持ちが癒やされるね。

中川 でも、その暮らしは体にすごくいいですよ。私は福島第一原発事故の後、飯館村を中心にボランィアで行っているんですが、緑一杯のところで、ものすごく良いところなんですよ。ただ、皆さん不安を抱えて生きていらっしゃるからお気の毒なんですけど。

菅原 福島の人は気の毒という一言ではすませられないけど、国も国民も福島を忘れてはいけない。

中川 福島の人たちは福島で暮らしたいんですよ。本当につらいですよね。被災地にいくと理不尽な災害に直面しながらでも無心に復興していこうとする姿に感銘を覚えますね。

菅原 日本人は焼け野原から復興してきている。でも戦後の復興と震災からの復興は違うような気がする。とくに原発事故からどのように立ち上がるか世界が見ているよ。戦後は家でも大工さんがトンカチで造っていた時代から機械でバァーと造るようになって、なんか日本人の価値観が変わってきたような気がするよ。医療も教育もそうじゃないかねぇ。

「大丈夫」って言わない医者が増えている

中川 赤座先生はそういう意味で昔の先生なんですよ。

菅原 そうだねぇ。

中川 たぶん赤座先生は患者さんに「大丈夫」っていう先生なんです。

菅原 そうだよ。赤座先生はカルテとCTを見ながら「これなら大丈夫だよ」って言葉が第一声だったからね。その言葉を聞いてこっちは「ほっと」したよ。

中川 その「大丈夫」って言葉が患者さんにとって大切なんですよ。ところが今の若い医者は口が裂けても患者さんに「大丈夫」とは言わない。

菅原 ほぉー。どうして?

中川 それは大丈夫と言って、もし駄目だったら患者さんから訴えられるからですよ。昔のお医者さんは「大丈夫、大丈夫」って言ってくれた。でも、大丈夫じゃないのに患者さんを気遣って「大丈夫」と言ってあげようと思う医者は本当はつらいんですよ。

菅原 でも「大丈夫」って言わないと駄目だよ。患者側から言わせてもらえば「大丈夫」と言われて大丈夫じゃなくてもこっちは恨まない。

中川 でも、そうじゃない患者さんも少数ですが、いるにはいるんですよ。

菅原 昔は恨むとか訴えるとか、なかったよ。

中川 ただ患者さんによっては医者に対する暴力というのも増えているんです。

菅原 医者に対する暴力? それはけしからんねぇ。学校の先生たちもそうだよねぇ。社会全体が荒廃しているのかな。それはモノとカネがすべての世の中の行き着く果てかも知れないね。

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