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悪ガキは、排除するのではなく、眼差しを向けてあげると変わる 作家/僧侶・玄侑宗久 × 鎌田 實
人は病気では死なない。人は寿命によって死ぬ
鎌田 もう1つ、ぜひお聞きしたかったのですが、生きているものの常として、あるとき死が来るわけですよね。そのことをどう捉えたらいいのだろうかと。芥川賞を受賞された『中陰の花』を読ませていただいて、あらためて「死んだあとはどうなるのかな」と考えされられました。
たとえば、お話の中に、「成仏とは恨みも悲しみもほどけて、大きなところに溶け込んでいき、私というものがなくなるくらい広がって、みんな混ざってしまうこと」といった表現がありますね。しかも、主人公が亡くなったあとの意識まで書かれていて、とてもわかりやすかったです。成仏というとわかりにいんですが、主人公は光になっていく。光もひとつの物質ですから、消えてなくなるのではなく何かになっていく。本を読みながら、ずいぶんいろいろなことを考えさせられました。そこをぜひもう少しくわしく。
玄侑 インド人が考えたのは、拡散して膨張していくイメージで、シューニャという言葉でした。それはおそらく自然科学的な原理です、エントロピーの法則にも従っていますし。
でも、それを中国人は空と訳しました。その空という原理を踏まえて、日本人は仏という字を「ほどける」と読んだわけです。ほどけるから仏、という言葉を考え出した日本人はすごいと思います。
インドでも涅槃という言葉は、お悟りの境地と死後の静けさという、2つの意味をもっていますが、仏もそうです。亡くなると仏になるし、亡くならなくても仏様のような状態はありえる。その両方の意味に叶う日本語を見つけ出してきたわけですが、基本的に地、水、火、風が集まってきて、それがやがて微塵に分かれてほどけていくということです。
鎌田 ちょっと待って。それじゃ、生まれることは、集まってくること?
玄侑 そうです。発生することを仏教では集合の集と書きます。苦しみがある、それは発生したものである。発生したものはいずれなくなる。その方法もある。これが苦集滅道です。お釈迦様が発見したといわれますが、実はインドの古い医学書の論理です。病気にまつわる発生と消滅の原理を、お釈迦様は人生の苦しみに適用したのです。
鎌田 病気が生まれることだけでなく、人間がこの世に生まれることも集まることなんですか?
玄侑 そうです。縁が寄り集まったわけです。虹の発生と一緒です。いくつかの要素が網の目のように合わさったひとつの状況の中で、人は生まれてくるんですね。
鎌��� ……確かにそうです。
玄侑 で、その縁がほどけるのが、寿命が尽きるということです。仏教では、人は病気では死にません。人は寿命で死ぬのです。そして、寿命とはすべてを含んで考えます。病気になったのも縁だし、治ることができたのも縁だし、治らなかったのも縁。すべて寿命と考えますから、病気では死なないんです。
鎌田 うーん。最高におもしろいですね。そうですね、そうですね。病気では死なないんですよね。だから、病気に負けるってことも、ありえないんですよね。
目や耳が感じることは部分。その全体に合一するということ
玄侑 ええ。それでも、死を考えるとき、ある種のビジョンは必要でしょう。それは世界中の宗教がふれていることですが、お釈迦様は死後について一切語らない態度を貫いた方なので、はっきり言っていません。しかし、その後の大乗仏教の中で、「光に合一していく」というイメージが出てくるんですね。それが浄土教として発展するんですが、中国で浄土教が発展した背景には、間違いなく臨死体験があると思いますね。中国には、臨死体験の記録が5世紀くらいから存在します。そして、そういうことに乗って浄土教は大きく広がっていった。私の本のタイトルでもあるアミターバは、浄土教の光の本体、エネルギーの源のようなイメージです。
鎌田 「無量光明」と訳されていますね。
玄侑 はい。浄土教の「光になる」というのが、死後のイメージとしては最も強力です。たぶん、臨死の酸欠状態の中で、酸欠に強いといわれる網膜の円錐細胞(錐体細胞)だけが活発に働いて、それで光に包まれるような体験をするということなんでしょう。
でも、そればかりではないと思います。たとえば量子論のように、大きな波を想定する。それはまず色として見える。ある範囲を超えると見えなくなるけれど、今度は同じ波を耳が音として聞く。もうちょっと行くと、皮膚が熱として感じる。で、波の全体というものは、我々の感覚器の感覚を全部足しても、もっと超えているものですよね。それを我々の五感が部分的に感じ取っているだけなんです。
だから、感覚が感じている光はほんの一部で、もっと大きな波を想定する。そして、あなたはそこに帰っていくんだよといわれると、私は納得するんですね。
仏教に私が驚くのは、全体性を常に見据えてきたところです。我々の感覚は決して全体を把握できない、中途半端な器官しか我々は持ってないと認識していましたから、いわゆる六感も、すでに煩悩に染まっているという言い方で、信じるなというのです。
たしかに、目で見えるものは網膜の能力に限定されています。たとえば、犬のように赤外線を感じる細胞があれば、別な視野になるわけで、もって生まれた感覚器官の能力に限定されたものを見ているだけでしょう。
鎌田 なるほど、そうですね。
玄侑 そして、すべての感覚で感知できない全体性を、仏教は想定したわけです。それを中国では「空」という言葉で表現しました。
私より先にカオスの中で、みんなが賑わっている
鎌田 がんの患者さんたちは、死の恐怖に非常に苦しまれます。死に対する恐れが緩和されれば、がんに対する恐怖も薄らぐと思うのですが、そのためにできることはあるのでしょうか。
玄侑 鎌田先生も心がどれだけ体に影響を及ぼすかという例で、サイモントン療法について書かれていましたね。サイモントン療法は私も何人かの方に勧めて、それなりの効果があると思っています。ただ、イメージがあまりに西洋的すぎると思います。敵を取り囲んで白血球がやっつけるというイメージは、本当にアメリカ的ですね。
鎌田 がんばる姿勢ですよね。
玄侑 ええ。もっと和合のイメージで、ああいう療法ができないかと思いますね。がんは確かに、悪い現象を起こすやつではありますが、退治する以外に手はないのかと思います。
鎌田 たとえば、どういうふうに?
玄侑 私はやっぱり八百万という言葉が好きです。カオスの中でみんなが咲き賑わっているあり方といいましょうか。あるいは、『華厳経』というお経では、雑華厳飾といって、命の多様性を讃美します。いろいろな華が世界を飾っていて、全体が和合してると考えるんです。そういうのをイメージ化できたらと思いますね。
鎌田 排除するのではなく、取り込んでしまうという感じ?
玄侑 ええ、みんなが花となって咲くという感じです。
そんなことやってられるかいと、苦しい人は思われるでしょうが、うちのお寺の檀家さんにも「自分は瞑想で治した」と言い切る方がいます。直腸がんの末期でしたが、病院で残り時間を聞いたあと取引先へ行って、「お医者さんはこういいましたが、私は死にません」と挨拶して回ったというんですよ。で、それから何をやったかというと、瞑想とキチンキトサンだけだと。今でも元気に社長をやっていますが、瞑想は続けているようです。
瞑想とは頭から言葉をなくす技術ですが、言葉をなくすだけだとむずかしいんです。かわりに、別なものをあふれさせればいいんです。ビジュアルでもいいし、音でもいい。それで言葉も居場所がなくなります。
鎌田 私も瞑想のような形で、患者さんが安楽になれるものを取り入れたほうがいいと思います。でも、実際に何をどうやったらいいのか、患者さんはわからないと思いますよ。
玄侑 私は『実践!「元気禅」のすすめ』という本を、漢方のお医者さんと一緒に書いたんですが、『思いには4種類ある』と書きました。まず、記憶の憶。これが最初で、過去の特定の場面がよみがえります。それを材料に思考する「思い」が次に始まる。ここまでは瞑想ではなく、左脳的な概念の世界です。
たとえば、川を流れている桃を思い描きましょうと聞くと、最初はどうしても桃太郎を思い浮かべるわけです。過去のある場面の記憶が、固定的な画像でパッと浮ぶ。それについてあれこれ考えても、それは概念。まだ瞑想ではありません。
そこで、今度は水が実際に動いて、桃に光が当たって表面の毛がきらきらしているところを想い描いてくださいというと、これは過去ではなく、現在になるんです。ここからが瞑想です。ですから、元になるのは過去の画面でいい。我々は日常的にそうしているんですが、そこからリアルな現在の映像で頭の中をいっぱいにして、過去をなくすんです。そして最後にいたるのが、懐くという懐いです。これを私は「全体性をそのまま抱きしめる」ことだと思っています。そこまで行くと、瞑想は完成します。
鎌田 実際に、たとえば膵臓がんの患者さんが瞑想するとなったら、どういう瞑想をするといいでしょうね。
玄侑 がんの部門別に考えたことはありませんが、体を動かす瞑想が簡単だと思います。たとえば、目を閉じて、首が自然に左右に動き出したと思うんです。意識は、動きによって生じる筋肉の伸びや縮みや歪みだけを追いかけます。首を振っているうち、だんだん右手が上がってきた。やがて左手が追いかけてきた。首も手も動きが連動している。
右手がこうする、左手がこうするというのは、普通は個別な働きです。しかしそうではなく、連動しているひとつのうねりの中に入る。その動きをイメージすれば、瞑想状態に入れます。
鎌田 そう聞くと、瞑想の技術の必要性を感じますね。
玄侑 というか、瞑想はだれでも練習すればできる技術なんだと思います。
私たちが幸せだなあとか、安らかだなあとか感じている脳の状態は、決して左脳が働いている状態ではないと思います。あくまで、全体とつながっているという感覚が、安らぎなんだと思います。その全体とつながっているという感覚を得るのに、瞑想以上のものはないと思いますね。
鎌田 現代人はその全体性を失っていますね。
玄侑 科学的な知識に自分の実感をゆずりわたしてしまったのだと思います。地球は太陽のまわりをまわっているといいますが、私のまわりを太陽がまわっているに決まっている。この実感を重視しないで、太陽の周りを回っているなんてことを本気にしたって、生命体としては何のメリットもありません。実感は私が宇宙の中心です。だから、その実感を大事にすること。それが、全体性を取り戻す、最も早い道ではないかと思いますね。

鎌田 今日はありがとうございました。
玄侑 こちらこそ。楽しかったです。
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