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- 医師ががん患者になったとき
患者の視点を持った医師が語る「これだけは言いたい」
がんになったらただの患者だった
だれにとってもがんの発見は衝撃的だが、東北地方の中規模都市に住む大橋真理さん(仮名、53歳)にとっては、まったく青天の霹靂といっていい出来事だった。何しろ、自身が内科のがん専門医。しかも、定期検診はきちんと受け、取り柄は健康で、たまに風邪をひいたって風邪薬も飲みたくないと思うほど、私生活では病気に縁遠い人間だった。
02年2月頃。身の周りに膵臓がんの人が3人も出て、中のひとりは乳児を残して亡くなってしまったことから、何気なく勤務する総合病院で膵臓の超音波を撮ってみた。すると、膵臓は実にきれいだったのに、卵巣にあやしい影が。定期検診では一切引っかからなかったただけに、考えたのは「あれ、卵巣嚢腫?」という程度だった。仕事も休みたくなかったため、友人の医師に電話で相談し、土曜日に診療している開業医を紹介してもらった。
ところが、診察した医師が、できるだけ早急に精密検査が必要だと言う。電話相談した友人の医師に結果を伝えると、2人の出身母校である大学病院の受診を勧められた。一度行ってみたが、手術まで時間がかかることがわかり、近所の公立病院での手術を決めた。最初の受診から手術まで1週間。受け持ちの患者さんの引き継ぎに忙殺され、病気のことなど何も考えないうちに過ぎていた。
「がんになったとき、私の場合は患者でしたね。とにかく、ただの患者。ぼうっとしているうち、あれよあれよと人まかせで全部終わってしまった感じです」
大橋さんは振り返る。開腹して組織検査をすると、右の卵巣からがん細胞が見つかった。2c期の卵巣がんだった。術後は6クールの抗がん剤投与を受け、約半年後に治療終了。まもなく職場にも復帰した。それにしても、早い。後悔はなかったのだろうか。
「私が担当の医師を信頼してまかせたことは間違いないんですよ。しかも、世界スタンダードで『この状態ならこの治療』と認められているファースト・チョイスだったから、まったく後悔していません。ただ、はじめて患者の立場に置かれて思ったのは、『インフォームド・コンセントも何もないよなあ』ということでした。急げ急げと言われて入院して、手術直前に『組織検査の結果が悪かったら、全部とりますよ』でしょう。治療法を調べるといったって、時間も手段もありませんから。
こんなときに説明を受けても、実は何も頭に残らない。医師の私にしてそうなんですから、普通の患者さんはもっととまどうだろうと思います。私の場合は治療法に納得していますが、納得できなかったという患者さんにとって、『さあ、インフォームド・コンセントしましたよ。同意して手術を受けるのはあなたですよ』と言われるのはけっこうむごいことだし、医師の責任回避という意味合いもあるかなと感じました」
デパート、スーパー、専門店全部使ってがん治療を

しかし、大手術を受けたにもかかわらず、復帰から2カ月後の03年10月には、再び腫瘍マーカーが動き始めた。おそれていた再発である。大橋さんは動揺する。一生懸命調べたが、自分の症例に見合う納得できる治療を見つけられなかった。論文を読み、複数の病院に当たり、最後に主治医と決めたのが、東京築地にある国立がん研究センター中央病院医師の勝俣範之さんだった。
勝俣さんのもとで、世界スタンダードであるにもかかわらず、日本で認可されていない抗がん剤の治験に入り、現在で約1年。6週に一度点滴注射を受け、毎週そのデータをとるため、頻繁にがんセンターに通う生活が続いている。婦人科がんの権威として、患者の心のケアにまで深くかかわる勝俣さんの姿勢に共感し、治療にも納得している大橋さんだが、自身のがん体験を通じて、声を大きくして言いたいことがある。
「買い物のとき、人は○○ならデパート、○○は専門店、食材はスーパーというように、お店を使い分けるでしょう。医療機関もそんなふうに利用したほうがいいと思う」
たとえば、国立がん研究センター。
「患者さんは『ここは最後まで診てくれる病院ではない』ということを肝に命じて通ったほうがいいですね。何しろ、未認可の薬のデータを集めて認可薬にしていく使命をもつ国立病院ですから、病院側はその使命にマッチする患者を集め、効率よく治験を進めたい。ところが、病院や医師がそれをきちんと広報しないから、患者は治癒や救済を求めてやってくる。双方の求めるもののギャップが、大きすぎます。
そして、治療の道がなくなると、寝たきりの患者でも退院しなければならない。治癒の希望をもってやってきた患者さんにとって、それは過酷ですよ。中には、『あなたをここに置いておくことは、税金のむだ遣いです』なんて言う非常識な医師もいますからね。受診する側もそういう病院と知って利用しないと、最後に傷つくのは自分ということになってしまいます。
それでも、専門治療という意味で、国立がん研究センターは患者にメリットが大きいんです。だからこそ、全国から患者さんがやって来て、『もう来るなと言われないから、私は治る』と信じて治療を受けているんですよ」
では、デパート、スーパー、小売店を全部使うように病院を利用するには、いったいどうすればいいのだろうか。
「国立がん研究センターの愚痴が言えるような近しいホーム・ドクターを、確保しておくことじゃないかと思います。昔のようにホーム・ドクターに全幅の信頼をおき、その人に相談しながら、必要に応じて国立がん研究センターに通ったり、地域の総合病院にかかったりする。そういう治療生活もあっていいと思うんです。もちろん、今の時代は患者も情報を確保することは大切ですし、ホーム・ドクターも昔のように『文句を言わずにまかせておけ』というのでは困りますが、がんのような病気では、今後こうしたシステムができていいと思う」
そう語る背景には、先ほどの「インフォームド・コンセントって、案外むごいかも」という思いがある。
もっと婦人科患者の声を拾ってほしい
実は今回の取材は、当然だが記名での登場をお願いした。大橋さんも最初はそのつもりだったが、話の内容にひるんだ。なぜなら、国立がん研究センターにかかることを決めた理由のひとつは、「地元じゃない」ことだったから。どこの病院に行っても出身母校の医師に出会ってしまうような中規模地方都市に住む身としては、病気と治療の詳細は出したくなかった。それは、自分が婦人科がんだということとも、やっぱり関係がある。
「患者さんが積極的に発言していく乳がんの場合、患者会などのネットワークも多く、情報も集積して、結果として治療もQOLも急激に改善しました。それに比べて、婦人科がんは患者数としては増えているのに、情報が足りないし、患者のネットワークも少ない。それは、一人ひとりがなかなか声を上げないからだと思います。
たとえば、婦人科がんの手術でリンパ節を郭清したり、そのあと放射線を照射したりすると、リンパ浮腫で足が腫れ、たいへんつらい思いをする人が少なくありません。
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だからこそ、医師であるあなたが記名で顔も出して話をしてほしい、ということは十分に理解しています。それでもなお、婦人科がんを再発して治療中の今、プライバシーを公開することにためらいがあります。その意味では、婦人科がんの患者さんの気持ちがよくわかる。われながら弱いなと思いますが」
生活的には、この10月から「病欠」になった。、少しさびしく感じている印象を受ける。でも、自身、体の無理が効かなくなってきていると感じている。
「そろそろ心身も生活もギア・チェンジしないと」
そう言うと、大橋さんは気持ちのギアも入れ替えるように笑顔を見せ、あっというまに去っていった。