がん哲学――それは人生をリセットさせる方法

取材・文●常蔭純一
発行:2013年11月
更新:2014年7月

「対話」を介して哲学する

がん哲学カフェの様子。お茶を飲みながら、思い思いに哲学する
がん哲学カフェの開設が全国に広がっている

「がん哲学外来」というと何のことかと思われるかもしれません。しかし、この外来ではがん患者さんとともに、人間や人生について大まじめで哲学します。がん患者さんが抱えるさまざまな悩みを突き詰めると、生に根ざした疑問に突き当たります。がん哲学外来では、患者さんとの「対話」で、疑問について、気づきを促しているのです。

当初、私はがん哲学外来を院内で行っていました。しかし院内は患者さんにとっては〝完全アウェイ〟ともいうべき環境で、思ったことをなかなか口にできない面もある。そこでお茶でも飲みながら、安心して対話をしたほうがいいと思ってカフェ形式にしたのが、「がん哲学カフェ」です。がん哲学外来を開設したのは2008年のこと。それから5年、急激に賛同の輪が広がり、現在全国32カ所で、このカフェが開設されるまでに至っています。

患者さんの心に届かないカウンセリング

私のような医療者ががん患者さんと話す場というと、がん相談やカウンセリングを思い浮かべる人もいるかもしれません。しかし、がん哲学はそれらとは性質をまったく異にしています。

がん相談というのは、治療方法や生活面での注意点など、現実的な問題について相談する場です。またカウンセリングは患者さんの心の問題について対処するという点では、がん哲学と同じような気もしますが、手法が違います。カウンセリングは傾聴が基本で、患者さんの内側に入り込むことがありません。これではなかなか患者さんには気づきは得られないでしょう。

一方、がん哲学では対話を基本にして、深い相互理解を試みます。ちなみに対話というのは、相手に寄り添いながら、心を通い合わせる営みです。

私自身は「偉大なるお節介」と呼んでいますが、必要とあらば、ズバリと問題の本質に切り込むこともある。もちろんこの場合でも患者さんを励ましこそすれ、否定することはありません。また状況によっては、言葉を発することなく、患者さんと沈黙を分かち合うこともある。がん哲学外来にはカウンセリングのような方法論やマニュアルは一切ありません。そのときどきの状況に応じて、心と心で対話が進められます。

私自身の場合で言えば、1人の患者さんに必ず、1時間は割くようにしています。最初の15分間は患者さん自身に話してもらい、中盤に差し掛ったあたりから本質的な問題に切り込み、これまでの人生で私自身が学んだ言葉を語っていく。そうするといつしか患者さんの表情には笑みが浮かび始める。患者さんに気づきが��じた証しです。

付け加えると、がん哲学では問題の解決を目的にはしていません。いくら話し合っても問題が解決することはありません。しかし生き方を変えることで、問題を解消することはできる。そうして人生そのものをリセットすることにがん哲学の目的があるのです。

ケース1 「無力感に苛まれ、死にたくなる」
(肺がんⅢ期、A・Yさん男性50代)
会社の健康診断で肺の異常が指摘され、病院で精密検査を受けると右肺にがんが発見されました。病期はすでにⅢ期に達しており、手術は適応されない状態です。
会社は私の病気について理解を示してくれ、無理をさせないようにと営業部門の管理職から、管理部門に異動が命じられました。今は資料整理に終始する毎日です。残された時間をゆったりと生きればいいではないか。自分にそう言い聞かせるのですが、頭では理解できても気持ちは落ち着きません。自分はもう終わったのではないか、と深夜になると死にたくなることも再三です。これからどう生きていけばいいのでしょうか。

「人間には『死』という大切な仕事が残されている」

人間には誰しも自分を人と比べる悲しい習性があります。隣の芝は青く見える、という言葉もあるように、人と比べた結果、自分は劣っているように感じるものです。サラリーマンの場合は同期入社した者が自分より上位の役職に就いたときなどは、悔しさと自分自身への歯がゆさに身を焦がすこともあるでしょう。A・Yさんの場合は、過去の自分と現在の自分を比較して、絶望に陥っているのかもしれません。
そこでA・Yさんに問いかけたいのは、果たして仕事があなた自身の本来の使命、役割なのかということです。働くことは確かに素晴らしいことです。しかし、それが人生の唯一無二の目的ではないでしょう。あなたにはもっと重要な使命や役割があるはずです。
あなたはいったい、何のために生まれてきたのでしょう。
会社や仕事は、生きていくうちに必要に応じてまとわりついた属性です。言葉を替えれば表層部分でのレッテルです。そのレッテルを取っ払った自分自身を想像してみて下さい。そのとき、貴方の眼前にはどんな風景があるのでしょうか。
人間には誰しも、その人を必要としている人がいます。その人のために生きることこそが人に与えられた使命、役割なのです。
私は生後1カ月で命を落とした赤ちゃんを解剖したこともありますが、そんな短い命でも両親にはかけがえのない役割を果たしていたものです。A・Yさんの場合は奥さんやお子さんの姿が脳裡に浮かんでいるのではないでしょうか。
人生で本当に大切なことはそう多くはありません。本来の使命、役割を全うできれば、後のことは人に譲ればいいのではないでしょうか。もちろん、仕事や会社もその例外ではありません。
あなたは、自分を必要としてくれる人のために生き、そして死んでいかなければなりません。人にとって死はとても大切な仕事なのです。誰のために死ぬべきなのか。そのことをよく考えて、新たな人生に踏み出されることを切に願います。

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