不安や心配事は自分が作り出したもの いつでも自分に戻れるルーティンを見つけて落ち着くことから始めよう

監修●玉置妙憂 僧侶/看護師
取材・文●菊池亜希子
発行:2019年11月
更新:2019年11月

スピリチュアルペインにどう応える?

押し寄せる不安、恐怖、心配事。自ら作り出した事実ではない心配事を心から追い払い、落ち着いて目の前の事実に向き合っていくと、最終的に残るのが「死」への恐怖だと玉置さんは言う。このとき訪れるのがスピリチュアルペイン(魂の痛み)なのだ。

終末期に近づくほどに、死の恐怖だけはどうしようもなく立ち上がってきます。昔は痛みがコントロールできなくて、治療の後半になるほど痛みとの闘いでした。これは苦しい半面、痛みが和らいだときはホッとできたりもして、よくも悪くも痛みに左右されていたのです。ところが現在は痛みのコントロール技術が非常に上がり、痛みに苦しめられることが少なくなりました。これは素晴らしいのですが、一方で、真正面から「死」に向き合う時間がたっぷりある、ということでもあるのです。

スピリチュアルは「魂」と訳されたりもしますが、ピッタリ合う和訳がありません。心より確実に深いところにあって、普段は見ることができないのがスピリチュアル。心は日常的に見ることができます。今日は気分がいいとか、やる気が出ない、などと表現しますが、それが心のレベルです。ところが、スピリチュアルは見えない。そしてスピリチュアルから発せられた問いに答えは存在しないのです。つまり、スピリチュアルペインとは「問われても答えられないもの」と言えると思います(図2)。

「私が生まれてきた意味は何?」「なぜ死ななくてはならないの?」といった問いには誰も答えることができません。これがスピリチュアルペイン。「いつ退院できるの?」ならば「手術を終えて、リハビリしてこういう状態になったら退院できる」と答えられます。つまり解決策があるのでスピリチュアルペインではないのです。

答えられない問いがスピリチュアルペインならば、「スピリチュアルケアとは何か」と思われるでしょう。それはひと言で言うと「全力で邪魔しないこと」だと私は思っています。実は、終末期の患者さんに良かれと思って周りがしていることのほとんど全てが、スピリチュアルペインを通して何かを見つけようとしている人の邪魔をしているのです。科学も周囲も、明らかに邪魔しています。

例えば、「僕はなぜ生きているのだろう?」に「子どものためよ。あなたがいなかったらこの子たちはどうなるの!」とか、「僕の人生何だったのだろうか?」に「こうだったじゃない! あのときにはこんなこともしたでしょ」とか、「生きてる意味あるのかな?」に「あるわよ!」といったような言葉です。全部、その人が考え抜いて浄化しようとしていることを邪魔してしまっています。

���たちは、問われると答えたい、何か言わなくてはいけない、と思いがち。ところが、スピリチュアルペインに答えはない。もしあるとしたら、本人が自力で辿(たど)り着くしかないのです。そもそも本人がスピリチュアルペインを問いの形で口にしても、答えを求めているわけではなく、自身で考えているプロセスにおいて何か発したいだけだと思ってください。1人で考えるにはあまりに重い作業だから、近くにいる人に聞くのです。「俺はなぜこんな病気になったのか?」「俺はなぜ生きているんだ?」と。

答えはない。だから、いちばん良いのは聞きっぱなしにすることです。何も言わずにひたすらそばで聞くのです。何を聞いても黙って聞いていたら、「なぜ黙っているんだ! 俺のことだと思っていい加減に聞いているだろ!」などと激昂(げきこう)されることもあるでしょう。それも黙って聞くのです。本人にとっては、泣き言を言うプロセスも、怒り散らすプロセスもあって、それらのプロセスを経ることで何かを見つけていくのですから。だから、聞いている側がキレて、「あなたにそういうこと言われる私の気持ちになってよ!」などと言ってしまうと、明らかに邪魔してしまうことになるのです。

スピリチュアルケアを日本でも受けられるように

ただ、これは家族にはかなり難しいことです。無理だと言っていいでしょう。家族には一緒に歩んだ歴史があり、濃い愛情がある。家族も患者本人とは違う苦しみを抱えているのです。

台湾では、医療チームとスピリチュアルケアチームが両輪となって患者を診る体制が整っています。スピリチュアルケアの対象は本人と家族。スピリチュアルケアチームが患者本人と家族の話を別々に聞き、医療チームは体を診て、心と体のケアという両輪がしっかり連携をとって、すべてを丸く包み込むように治療が進みます。2000年に台湾大学医学部付属病院緩和ケアチームが先頭に立って「大悲学苑(だいひがくえん)」というスピリチュアルケア施設を立ち上げました。ここから始まったスピリチュアルケアは、少しずつ確実に、台湾に根づいています。

「大悲学苑」の存在を知った玉置さんは、2015年から5年間、台湾に通い詰め、スピリチュアルペインへの対応とスピリチュアルケアのノウハウを学んだ。そして今年(2019年)4月、「大悲学苑」に準ずるスピリチュアルケアを日本で実現させ、将来的にスピリチュアルケアを全国どこでも受けられるようにするために「大慈学苑(だいじがくえん)」を創設した。日本版「大悲学苑」を目指しているという。

がん治療は本来、医療(科学)と心のケア、両輪で成り立つものです。科学の車輪と心の車輪、両輪揃って初めて、行きたい方向に安心して向かうことができると思うのです。ところが、医療だけが進化し続けた現在の日本では、心の問題はほぼ置き去りにされているのが現状でしょう。これは言うなれば、自転車で走るべきところを一輪車で走っているようなものかもしれません。

このままではいけないと思い、台湾の「大悲学苑」が行っているスピリチュアルケアを日本で実現するために「大慈学苑」を立ち上げました。とはいえ、私1人では到底できないので、来年(2020年)1月から台湾と同じカリキュラムで「訪問スピリチュアルケア専門講座」を開講し、ともにスピリチュアルケアを行っていける「訪問スピリチュアルケア師」を育てていきたいと思っています。

スピリチュアルケアを志そうとするとき、宗教や心理学に精通しているといったバックボーンは必要ないと私は考えています。さらに、何百時間、座学で学ぼうともできることではないと言い添えます。いちばん大事なのは、どれだけスピリチュアルケアを必要とする患者さんに寄り添い、ともに時間を過ごしてきたか。その中で学ぶことのほうがずっと大きいのです。もちろん知識として座学も必要ですが、座学終了後は私と一緒に患者さんの元に通い、何度も繰り返し経験を重ねてもらいながら、じっくり育てたいと思っています。

がんの経験ある方が訪問スピリチュアルケア師になりたいと思われるなら、それは素晴らしいと思います。ただ、ご自身も大きなスピリチュアルペインを抱えておられます。他人のスピリチュアルペインに触れると、自身のスピリチュアルペインが生々しく蘇ってきて揺れるのです。ですから、よほど上手に自身のスピリチュアルペインを消化して、自分の中に落とし込むことに成功していないと、返ってつらくなるかもしれません。でも、もしそれができていたなら、素晴らしい訪問スピリチュアルケア師になれると思います。経験値に優るものはないですから。

『死にゆく人の心に寄り添う~医療と宗教の間のケア~』玉置妙憂

「大慈学苑」はまだ船出したばかり。今はできることから始めています。スピリチュアルケアの要望があれば、1万円の年会費と交通費のみで、全国どこでもご自宅まで伺っています。現時点では訪問スピリチュアルケア師は私1人なので、要望に答えられる数も限られていますが、体が許す限りどこへでも行きます。

目指すは台湾の「大悲学苑」。スピリチュアルケアはできれば各地域、住んでいるエリアで完結するのが理想です。つらいときは、事前予約なんてしている場合ではない。そのときすぐ助けが必要なのです。そこに手を差し出せてこそ意味があると思うので、目指すところは、各地域のニーズに応えられるスピリチュアルケアチームが各地域に立ち上がること。その動きを根っこから支えていきたいと思っています。

1 2

同じカテゴリーの最新記事