第1回/全3回 ある日突然、夫が普通のごはんを食べられなくなった――
クリコさんの心が折れていく
お手本なし。助言なし。レシピ本なし。そんな中、夫は手術から40日目に退院し、私の手探りでの介護食作りがスタートしました。
最初に作ったのは、やわらかいうどんと、ほぐした魚にとろみをつけたものに、ほうれん草をクタクタに茹でてピュレ状にしてお出汁のとろみで包んだソースをかけたもの。退院した日の遅い昼食に作りました。
といっても、うどんを茹でるにも、いったい何分茹でたら舌でつぶせるやわらかさになるかがわからないのです。鍋を菜箸でかき混ぜながら、ときどき口に入れて確かめるのですが、いつまでたっても舌でつぶせる状態にならず、このまま溶けてなくなってしまうのではないかと思ったほどです。結局、27分かかって茹で上がり、さて、今度はこれをどれくらいの大きさに切ったらいいのか……。すべてが試行錯誤なので、恐ろしく時間がかかりました。
その日から、私は1日のほぼすべてをキッチンで過ごすことになりました。何を作るにも、まず、素材1つひとつに火を通し、ミキサーやハンディープロセッサーにかけてピュレ状に。まず、ここまでに四苦八苦でした。ミキサーのほうが粉砕しやすい素材、ハンディープロセッサーに合う素材、あるいはマッシャーのほうがいい素材など、素材ごとに癖があって、道具との相性があるのです。かぼちゃやじゃがいもはマッシャー、ほうれん草や人参はミキサー、ブロッコリーやミックスキノコはフードプロセッサーなど。それを間違えて、キッチン中に素材が飛び散ったことも、1度や2度ではありません。



主人は食べるのに時間がかかるので、分量が多いと飽きてしまいます。だから、少しずつの分量で多品種作ろうと思うわけです。夫は喜んでくれるけど、とにかく時間がかかるのです。朝食の片付けを終えたら、昼食を準備し始め、昼食を食べ終えたら、またすぐ夕食の支度にとりかかる日々。いつしか、いつもイライラ……ストレスの塊になっていきました。
あれは、退院して10日目ぐらいだったでしょうか。夫がお粥の入った茶碗を持ってキッチンにやってきて、ハンディープロセッサー片手に奮闘中の私に「お粥の水分を減らしてくれないかな?」と言ったんです。その瞬間、パンパンに膨らんでいたストレスが一気に破裂しました。
「水の量ぐらいで、なんでそんなこと言うの? 昨日は食べられたじゃない! 私は1日中キッチンで流動食作って、ハンディプロセッサーのせいで、手がドリルみたいに震えてるのよ!」
気付いたら、そう怒鳴ってました。そしたら、夫が申し訳なさそうな表情で言うんです。
「手術の傷が治る過程で、口の中の形が毎日少しずつ変わるみたいなんだよ。だから、昨日は食べられたけど、今日は食べられないんだ……」
口の中の形が変わる? 衝撃でした。そんなこと、考えもしなかった。彼のことを考えていたつもりだったけれど、私はただ、おいしそうに見えるやわらかい食事を作っていただけだったのです。彼の口の中を想像しようともしていなかった……。
1人で格闘して、イライラしていたことを猛烈に反省した私は、まず、歯を使わずに、ごはんを食べてみることにしました。
驚きました。ものを食べるとき、人は、歯だけではなくて、頬の筋肉や首や肩の筋肉も使っているのだとわかりました。歯を使えないだけでも、とてつもなく大変なことなのに、下顎が麻痺している彼には、使えない筋肉ばかり。そのとき初めて、本当の意味で、彼の失った機能の大きさを理解した気がしました。
このことがあって、私自身の介護食に取り組む気持ち変わりました。食材とにらめっこばかりしてきた私の目線が、スッと上がって、景色が広がったと言えばいいでしょうか。なので、この出来事を、私は「お粥事件」と呼んでいます(笑)。
突破口はクリームシチュー
新たな気持ちで介護食を作るようになってから、ふと思ったんです。夫の好物を出そう、と。
彼は昔からクリームシチューが大好き。けれど、出来上がりをミキサーにかけたのでは、もはやクリームシチューではない。人参や玉ねぎやじゃがいもが、ちゃんと入ったクリームシチューを出したいと思いました。
まず、野菜を形がわかるギリギリの大きさに切って(7ミリくらい)、舌でつぶせるやわらかさになるまでクタクタに茹でてホワイトソースに混ぜました。肉の代わりに、シャケのハラスを7割ほど炒めて、最後に熱々のクリームシチューに入れれば、余熱で最後の火が通り、しっとりした触感が残ります。このクリームシチューを食べたときの、夫の表情を私は決して忘れません。
「おいしい!」と嬉しそうに笑い、
「今日のごはんは90点!」
「どうして100点じゃないの?」
「もっとおいしいときのために満点はとっておくね」
そんな会話も生まれました。

~ホワイトソースの作り方~
材料★小麦粉20g、無塩バター20g、牛乳200ml、塩2g
作り方★小麦粉とバターを粉っぽさがなくなるまで炒める。そこに牛乳を注ぎ、沸騰しないようヘラでゆっくりかきまぜる。トロンとしたら出来上がり
このクリームシチューこそが、私の介護食作りの原点になったのです。ミキサーにかけなくても、小さく刻んでやわらかく茹でれば、食材の形が残っていても夫は食べることができる、とわかりました。舌ですりつぶせるやわらかさの加減をつかむきっかけにもなりました。
クリームシチューの成功から、私の介護食作りは一転。次から次へと食材の組み合わせと料理方法のアイデアが浮かび、新しい料理が誕生していったのです。
ちなみに、このクリームシチュー、ハラスの代わりに、ホタテ貝やタラなど、メイン素材を変えて、バリエーションを楽しんだことは、いうまでもありません。(続く。第2回では、アイデア料理の数々を紹介します)
料理写真:クリコ著『希望のごはん』より
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