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第3回(最終回)/全3回 夫が命をかけて私に残してくれたもの

取材・文●菊池亜希子
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2018年3月
更新:2018年3月


そのときは突然やってきた

再び仕事にのめり込んでいく夫は、水を得た魚そのものでした。そんな夫を、毎朝、流動食弁当を手渡し、「いってらっしゃい」と見送る日々がいつまでも続くことだけを、私は願っていたように思います。

仕事復帰からわずか1カ月後のある日、アキオさんは体調不良を訴え、病院へ。再発だった。残された時間は4カ月という余命宣告。夫婦は生きる望みを、免疫細胞療法に託した。治療を続ける一方、アキオさんは会社に行くことをやめなかったという。通常なら10分程度の駅までの道のりを、何度も立ち止まりながら1時間以上かけて歩く。タクシーに乗るよう勧めても、あくまでも自らの力で歩こうとするアキオさんを、クリコさんは静かに見守っていた。

苦しいのに、どうしてそこまでするのだろう……と思いました。でも、今ならなんとなくわかります。夫は、毎日の普通の暮らしを、日常の風景を、少しでも長く感じていたかったのだと思います。いつもと同じ道を、朝の清々しい空気を吸いながら、木々の息吹きを感じながら、歩きたかったのだ、と。

それからの夫は、以前にもまして精力的だったように思います。友人たちとのお別れの会を自ら計画し、幼馴染み、学生時代の友人、会社仲間、それぞれの仲間と食事のテーブルを囲み、必ずその席に私を連れていきました。友人たちも、夫が何を望んでいるのか何も言わなくてもわかってくれていたのでしょう、終始笑顔で語らい、料理を愉しみ、そしてサラリと別れの挨拶を交わしていました。ただ1つ、最後に「僕がいなくなった後は、妻をよろしく頼む」と、夫は必ず友人たちに伝えていました。

仲間とともに。真ん中がアキオさんとクリコさん

カメラも好きだったアキオさん

その後も、新しい携帯電話を買ったり、デジタルスピーカーを買ったり、余命宣告より先のコンサートチケットを買い求めたり、夫は生きることを決して諦めませんでした。というより、「生きられるところまで生きるのだ」という希望と強い意思を持ち続けていたように思います。そして、やがて訪れるそのときを覚悟しながら、私にできる限りの愛を残そうとしてくれていた、と今も感じています。

この時期がつらくなかったかと問われたら、とてつもなくつらかったと答えます。現実を突きつけられているけれど、覚悟なんて全くできず、オロオロするしかない。でもその日は確実に近づいてくるのです。怖くて、不安で、どうしようもない毎日でした。

「外に出られなくてもいいから、このままダラダラ生きていけたらいいのになぁ……」

ある日、ポツリとつ���やいた夫の言葉に、私もまったく同じ思いを重ねました。働けなくてもいい。体が動かなくてもいい。ただ、一緒にいられるこの時間がダラダラと流れてくれたらいいのに……と。途切れずに、ただただ、流れ続けてほしかったのです。

夫が旅立って、5年経ちました。自分の生活を立て直すのに必死な歳月でしたが、同時に夫が私に残してくれたものの大きさを知った5年でもありました。夫の「おいしい!」の一言が聞きたくて作り続けてきた介護食ですが、気づくと、1つひとつのメニューすべてが、わが家の家庭料理になっていました。

そして夫とともに積み上げてきた家庭料理レシピが、私の手元には山のようにありました。これは、夫と私がともに過ごしてきた大切な時間そのものです。と同時に、きっとこのレシピを必要としている人がたくさんいるに違いない、と思い至ったのです。

私自身がそうでした。夫の介護食を作ることになったとき、お手本なし、助言なし、レシピ本なし、で手探りで始めたあのころ。切羽詰まって1日中キッチンに籠って調理道具と格闘していたあの時間、夫は1人、不安な気持ちでベッドに横たわっていたのです。私に時間と心のゆとりがあれば、もっと夫と一緒に過ごせたのに。もっと彼の不安な気持ちに寄り添うことができたのに。もし、当時の私にこのレシピと今の知識があったなら、夫を1人きりで待たせることなく、もっと一緒にゆったりと過ごすことができたでしょう。

だからこそ、届けたいと思います。今、介護食を作っている方、作ろうとしている方に、1人でも多く、私がたどり着いたレシピを届けます。知ることで時間のゆとりができます。時間のゆとりは心のゆとりを生み出します。私たちのレシピがそのきっかけになるのだとしたら、こんなに嬉しいことはありません。

料理写真:クリコ著『希望のごはん』より アキオさんの写真:クリコさん提供

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