化学療法治療前からの口腔管理で 口腔内の合併症を防ぐ

監修●上野尚雄 国立がん研究センター中央病院歯科医長
取材・文●池内加寿子
発行:2015年10月
更新:2016年5月


口内炎、口腔感染症の予防は 抗がん薬治療前から

このように、抗がん薬などのがん治療による口腔内への影響は深刻であるにもかかわらず、以前は「命を助けるためだからやむを得ない」「吐き気や下痢などと異なり、とくに有効な対策がないのだから仕方がない」などと、軽視されがちだった。この状況を何とかしようと、当時の上司であった静岡県立静岡がんセンター歯科口腔外科部長の大田洋二郎さんとともに、上野さんは治療前からの口腔管理の大切さを医師やスタッフ、患者さんらに呼び掛けてきた。

現在、国立がん研究センター中央病院では、主治医からの依頼のもと、抗がん薬治療前に患者さんに歯科を受診してもらい、口内炎や口腔感染などの口腔合併症のリスクを減らす取り組みが積極的に行われている。

「私が当院に赴任した2008年には、予防的に歯科を受診する人と口腔合併症がひどくなってから歯科を受診する人が約半々でしたが、2013年には予防的に受診する患者さんが8割近くになり、現在ではさらに増えています」(図3)

図3 国立がん研究センター中央病院 歯科初診患者の動向

理想的には、治療開始の2週間前には歯科を受診してもらい、口の中を点検して、口腔内のクリーニング、グラグラした歯の抜歯、虫歯の治療、入れ歯の調整などが行えればベストだが、がん治療の状況によっては、そうはいかないこともある。

「明日から抗がん薬治療が始まるという時間がない場合でも、少しでもリスクを減らすために、今できる処置を考えるようにしています」

歯科を受診する方の中には、「なぜ歯科が抗がん薬治療と関係があるのか?」と疑問を呈する患者さんもいるが、歯科が介入する理由を説明するとほとんどの方が納得され、ケアを受けられるという。

現在では、抗がん薬治療前から口腔ケアを始めることで、口内炎や感染症などの口腔合併症の発症頻度や重症度が下がるという報告や、予防的な歯科の介入が薬剤性顎骨壊死のリスクを減らすといった報告がエビデンス(科学的根拠)レベルの高い研究スタイルでなされており、「がん治療を支える口腔管理」は、がん医療に関わる人々の共通認識になりつつある。

口腔内のクリーニングと 歯や入れ歯の調整で感染制御

では、口腔内のダメージを防ぐには、どうしたらよいのだろうか。

「口腔合併症には、口の中の細菌が少なからず関与しています。細菌感染が発症頻度や重症度を上��たり、症状を長期化させたりするのです。そこで、口腔内の細菌を減らし、合併症のリスクを下げることが大切です。しかし抗がん薬治療が始まって免疫力が低下してからでは歯科の治療が難しいこともあるので、がん治療の前に行っておくことが重要です」

がん治療が始まる前に口腔内のリスクを減らし、少しでも良い状態で治療を開始するのだ。

「歯に付着している歯石や歯垢(プラーク)は細菌の塊です。まず、歯科で歯石を治療器具で取り除いてもらうこと、そして、患者さん自身が歯ブラシで歯垢を落とし、口腔内の清潔を保つことが基本になります。細菌の巣である歯石や歯垢をそのままにして、消毒作用のあるうがい薬で口をすすいだり、抗菌薬を使っても、口腔内の細菌は減らせません。歯石を取ってから歯ブラシで歯垢や汚れを物理的に落とすことが、一番効率的で有効です」(図4)

図4 基本のブラッシング法

この他、歯科では、患者さんの歯や歯肉の状態を点検し、がん治療中に問題になりそうな歯の応急処置を行う。

「抗がん薬治療までに時間がないときでも、できる範囲で汚れを落とし、適切な歯ブラシ方法を指導して、少しでも感染リスクを減らせる工夫をします。口腔管理で困ったことがあったら、いつでも歯科が相談に乗り、サポートすることも伝えます。歯の状態を100点満点にすることが目的ではなく、がん治療を安全・円滑に行って頂くことが歯科の目的です」

抗がん薬治療開始後の口腔ケアは 症状に合わせて

予防的に口腔ケアをしても、合併症がゼロになるわけではない。抗がん薬治療が始まると、口の中が荒れたり、痛みが出ることがある。

「治療中も、できる範囲で口の中をきれいにしなければならないのですが、痛くて通常の歯ブラシでは磨けないこともあります。その場合は、ごく小さなヘッドの毛の軟らかい歯ブラシで、歯を1本ずつ丁寧に磨くとよいでしょう」

歯ブラシが使えないほど痛みが強い場合は、歯科で痛みを和らげる処置を行いながら口腔清掃をお手伝いすることもある。

患者さん自身が実行できる大事な口腔ケアがこまめなうがいだ。食事の前後や起床時、就寝時などにうがいをするだけでも効果が期待できる。

「口腔内にトラブルがある場合、刺激の強いイソジンなどのうがい薬は避け、炎症を抑えるアズレン(アズノール)や生理食塩水(水1Lに塩9gを溶かす)、アルコールを含まないマウスウォッシュなどマイルドなものをお勧めします」

口内炎が悪化して、強い痛みが出た場合は、軟膏、うがい、内服など様々な形態の鎮痛薬を処方してもらうとよい。また、口腔乾燥には、スプレータイプやゼリータイプの保湿剤も有効だ。

「がんとの長い闘いにあたり、治療前から口腔を通して患者さんをサポートし、治療の副作用をできるだけ減らし、がん治療中でも食べる幸せを支えていくのが私たちの務めです」

全国的に見て、がんの専門病院やがん診療拠点病院でも、歯科が設置されているところはまだ少ない。一方でそれを埋めるように、がん専門病院と全国の開業歯科医院との連携が進んでいる。厚生労働省が委託した所定の研修を受け、がん患者さんの口腔ケアを行える地域の歯科医は、全国で1万4,000人を越えた。これから抗がん薬治療を受ける方や、口腔内のトラブルに悩む方は、国立がん研究センターのホームページから地元の連携歯科医を検索し、相談してみるとよいだろう。

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