生きるすばらしさに灯を点す「一粒の種」 それぞれの思い、それぞれの物語
ある女性のために、同じ悩みをもつすべての人に、種を撒きたい
河村裕美さん

河村裕美さん
「一粒の種」を聴いたとき、率直に言って私はちょっと怖かった。その言葉に、私はがんが見つかった後のもっとも苦しかった時期を思い出してしまったから……。
ちょうど10年前。ちょっと腰が痛いし、生理も重いので、結婚もしたことだし、念のために診察を受けてみようか、と近所の産婦人科医院を訪ね、検査を受けました。検査後に返ってきたのは、思いもかけない「子宮頸がん」という言葉でした。
その言葉を聞いたとき、自分の中で「ひょっとしたら死んでしまうのかも」と、不安が頭をもたげました。と同時に、自分の短い半生について考えざるを得ませんでした。
私は、これまでに何を残してきたのか。社会にどんな足跡を刻んできたのか。それまで自分は何となく大学に行き、県庁に勤め、結婚しました。しかし、それはただ流されてきた結果に過ぎないのではないか。私がいなくなっても、2週間もすれば周囲の人たちはすっかり忘れてしまうのではないか。そんな不安がこみ上げてきたのです。
がん治療後も、不安な状態が続いていました。まつばらけいさん主宰の子宮・卵巣がんのサポートグループ「あいあい」の新聞記事を読んだのは、そんな頃でした。そして「わかちあいのミーティング」を訪ねました。
「尿漏れ対策はどうしてるの?」「抗がん剤治療の費用は?」など、若い参加者からは、セックスに関する質問も投げかけられます。現実的な問いかけに明快な答えが返されることで、それまで不安に押しつぶされそうだった気持ちがとても軽くなっていたのです。そして静岡県でも同じような患者会をつくりたいと考えるようになったのです。
患者会の立ち上げを考え始めてから、同じ子宮頸がんに悩むある女性から連絡がありました。
話を聞いて、驚きました。彼女は10年前にがんが見つかった後、そのことについて誰ともまったく話していないというのです。私は彼女のためにも、何としても患者会を立ち上げなくては、と心に誓いました。そうして私と彼女との二人三脚で、自分たちの一粒の種をつくるための活動が始まったのです。
それから8年――。私たちが立ち上げたがん患者会「オレンジティ」には多くの女性たちが訪れ、活動の幅も広がり続けています。苦しかったあの時期に、私たちが撒いた一粒の種は、順調に成長しています。
がんになって知った人の優しさや思いやり
川本敏郎さん

川本敏郎さん
語りかけるように「ありがとう」を伝えるこの曲を聴いたとき、聖書の「ヨハネ伝」第12章の「一粒の種もし地に落ちて死なずば…」の一節を思い浮かべました。「この世で自分の命を惜しむ人は、それに保って永遠の命に至る」というキリストの言葉はこの曲のメッセージと相通じるように感じたからです。
がんが見つかってから、自分が多くの人たちと繋がっていて、支えてくれていることを改めて実感したからかもしれません。
私ががんを患っていることがわかったのは、09年2月のことでした。病院で内視鏡検査を受けると、下咽頭がんであることがわかったのです。その検査で組織を抽出されたときには、痛みとがんであることのショックで気を失ったほどでした。さらに大腸がんが重複していることも判明しました。手術、抗がん剤、放射線による治療を受けながら考えたのは、そんな私を周囲の人たちが支えてくれていることでした。長年、文句もいわず連れ添ってくれている妻や子どもたち、友人たちが見舞いに来てくれたり連絡してくれたりするたびに、もっと「生きろ」とメッセージを伝えてくれるように感じました。
わたしにとっては、そうした周囲の人たちとの関係が、かけがえのない一粒の種なのかもしれません。普段はバカを言い合っているけれど、いざというときには頼りになる家族や友人との関係を大きく育てていければと思っています。
「がんなんてオデキ」と笑って言ってのけた妻の言葉が一粒の種
中村謙孝さん

中村謙孝さん
「一粒の種」を聞いて、私の脳裏にはすぐに08年2月、子宮にできた小細胞がんで病死した妻の明るい笑顔がよみがえりました。
妻が細胞自体ががん化する、日本ではそれまで数例しかない特殊ながんになり、入院中に肺、心臓とどんどん転移が進んだ結果、抗がん剤などの治療を行う余裕もないままに1カ月で、63年の生涯を閉じました。
生前の妻は家族や周囲の人たちにとっては燦々と耀く太陽のような存在でした。自治会や盆踊りなど、地域の催しでは笑顔を振りまきながら進んで協力する。でも、そのことをまったくひけらかさない慎み深さをも合わせ持っていました。
残された私と2人の子どもたちはそんな妻の生き方を尊重したいと考えました。だから病院から珍しい症例だから、研究対象にしたいと申し入れを受けたときには、すぐに献体を受諾しました。そのことで同じ病気を患った人が、1人でも2人でも助かるかもしれない。それを妻はとても嬉しく思うはずですから……。死んでしまっても、伝えていけることがあるのだと、「一粒の種」に妻を思いました。
私自身も17年前に直腸がんを患っています。半年間、出血を続けていたのに病院に行かず、そのため診察を受けたときにはすぐに手術を受けなくてはならない深刻な状態でした。そのときも妻は「がんなんてオデキのようなもの、とっちゃえば治るから」と、明るく笑ってくれたのです。その笑顔に私や子どもたちがどれだけ力づけられたことか……。そんな妻の言葉で私は、がんになったからといって落ち込んだりせず、がんになる前と変わらずに明るく過ごすことができています。
近所の人たちは今も何くれとなく私を気遣ってくれる。妻が撒き続けた笑顔は私の中に、そして妻と接し続けてきた人たちの心に根づいています。また、妻の症例研究がこれから妻と同じがんを患う人の助けになればと思っています。
CD「一粒の種」に寄せられた感想
★テレビで知りました。姉ががんの闘病中なので、治って、ずっとそばにいてほしい。
★彼ががんで亡くなりました。私たちは結婚する予定でした。彼の死後、前に進めないでいました。でもこの曲を聴いて、彼はすぐそばで見守ってくれていると感じることができ、少しずつ私も前に進もうと思いました。
★最愛の人ががんで若くして逝きました。最後まで「生きたい」と望んでいました。毎日夢に出てきます。一粒の種でもいいからそばにいて欲しい。
★兄をがんで亡くした僕にはつらい歌でした。兄の痩せた顔に浮かんだ笑顔が蘇ってくるからです。でもこの歌から命の尊さ、健康の有難さ、大切な人を思う気持ちを考えさせられました。
★母もがんで闘っています。この曲を聞いて涙が溢れました。頑張って母を支えていきます。
★この曲を聞き、精一杯生きた人はいつまでも心に生きている。亡くなった人を可哀そうと思う事を止めて、受け継いだ命のバトンを次に繋げるために、自分が変わろうと思いました。
★母をがんで亡くしました。曲の内容に感動しました。死んだ後も一粒の種となってどこかで咲いていてくれる気がしました。