獄中の窓の外に見える桜に将来の希望と勇気が湧いてきた 元大阪/東京地検特捜部検事・田中森一 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2013年10月
更新:2019年7月

地検特捜部に失望し、弁護士に転身したが

鎌田 そういう苦労に苦労を重ねて検事になった田中さんが、ときを経て検事から弁護士に転身し、バブル時代に「闇社会の守護神」と言われ、やがて刑務所の中で胃がんの手術を受けるわけです。なぜ刑務所に入ることになったんですか。

田中 私は検察を辞めてから、弁護士をやっていましたが、大企業の顧問弁護士は断り、世間から「成り上がり者」と見られているような新興企業とか、ヤクザのようなアウトローの顧問弁護士を引き受けていました。そして、東京地検が取り上げる多くの事件の弁護を担当し、潰してきたんです。だから、検察から「あの野郎!」と睨まれていたのは確かです。しかし、刑事事件のプロとして言わせてもらえば、私は「なぜこんなのが事件になるの」というような、言われなき罪で刑務所に入れられたわけです。人によっては、「冤罪だ」と言ってくれる人もいました。

鎌田 『反転――』を読みますと、検察上層部の人たちが、どうもヤメ検の田中さんのことが好きでなく、罪に陥れたような印象を受けますが、実際、そういうことはできるんですか。

田中 特捜部というのは、やろうと決めたら徹底してやりますからね。もちろん弁護士活動をしていた私にも、悪い部分がなかったわけではありません。特捜も真っ白な者をやるわけではない。その部分は私も受け入れてはいるんですけれどね。

鎌田 そもそも検察を辞めたのは?

田中 ある政権の大疑獄事件に関して、私たち若手の検事が「さあ、やるぞ!」と真剣に調べていたとき、総理秘書官が自殺したり、重要なメモが出てきたんです。そのとき特捜幹部が、「事件を潰して政権を守る」という判断をし、捜査を終わらせた。私たち若手は「そんなことは許されない!」と憤慨するんですが、上層部の判断ですから、もう覆らない。そういう未然に潰された事件がいくつかあったんです。それで私は失望して検察と決別したわけです。

鎌田 そういう辞め方をした人間は睨まれるんですかね。それで田中さんの罪状は何だったんですか。

田中 詐欺罪で3年です。その判決を受けて、小菅の東京拘置所に出頭した翌��の午前5時、有無を言わさず叩き起こされて、両手錠のまま大阪拘置所に移されました。そして翌日、4年前に私の顧客が私を詐欺罪で大阪地検に告訴していた案件を、4年間そのまま放置しておきながら、いきなり持ち出してきて、私を逮捕したんですよ。私も「なぜもっと早く調べないのか。ちょっとやり方が汚いんじゃないの」と、文句を言いましたよ。

刑務所でがんが見つかり、有無を言わさず手術へ

鎌田 それはちょっとひどいですね。

田中 そのときは腹が立って、血の小便と言いますか、小便が3カ月ぐらい濁ってましたよ。それががんの原因だったかどうか、わかりませんけどね(笑)。そういう状態で裁判を闘って、それが終わった頃に、刑務所で1年に1回の検診があり、バリウムを飲まされたんです。その直後に胃がんの宣告を受けました。

鎌田 それは何年前ですか。

田中 平成22年12月です。手術したのは平成23年2月8日です。刑務所には医療刑務所がありまして、バリウムを飲んだあと、その結果も教えられないまま、いきなり大阪医療刑務所に移され、番号で呼ばれて、直立不動で、医師から「胃がんだから手術する」と一方的に通告されました。私からがんの状態について訊くことは一切できません。

鎌田 検事や弁護士をしていた人でも訊けないの?

田中 訊けません。私も心配になって、念のために、「どんな状況でしょう」って訊いてはみたんです。「切ってみんとわからん!」の一言ですよ。医者なら予測ぐらいはつきますよね(笑)。

鎌田 それは伝えるべきですよね。

田中 言ってくれないんです。だから、さすがの私もそのとき、死を現実のものとして考えましたよ。

鎌田 田中さんにすら病状がはっきり伝えられていないということは、他の多くの人たちも伝えられていないんでしょうね。医療刑務所では人権が守られていないということですか。

田中 そんなもの、守ってくれないですよ。「手術してもらえるだけ、ありがたいと思え」という感じじゃないですか。

鎌田 医師に面会に来てもらうことはできないんですか。

田中 家族は面会できますが、「セカンドオピニオンを受けたいから、医師を呼んでくれ」と言ったって、ダメですよ(笑)。

鎌田 じゃあ、刑務所の中で私の『がんばらない』なんか読んでいると、患者さんに対する対応の違いに、口惜しい思いがしたでしょう。

田中 「なぜここに書いてあるような治療をしてくれないんだ」と、歯ぎしりしましたよ。

独房の窓から見た桜に「頑張れ」と励まされた

鎌田 「手術だ」と言われれば、「はい」と言うしかない。

田中 そうです。手術の日は、朝起床すると、風呂に入って手術着に着替えるんですが、その後手術までに3時間ほど時間があるんです。そのときは不安で、「ホントに生きて帰れるだろうか」などと、いろいろ考えましたね。手術室に入って、麻酔をかけられたら、あとはわからなかったですね。

鎌田 この先生で大丈夫かとは思わなかった?

田中 それは思いますよ。胃がんの手術の経験がどれくらいあるのかと。刑務所で胃がんの手術を受ける人は少ないでしょうしね(笑)。しかし、何も訊けない。もう「まな板の鯉」ですよ。

鎌田 手術後、どれくらい入院してたんですか。

田中 2カ月くらいですかね。手術が終わり、麻酔から覚めたときには独房の中で、ひとり寝かされていました。ちょっと動いたりすると、傷口がものすごく痛いんです。トイレも大変です。看護師は呼べば来てくれますが、独房の中に助けを求める人はいないわけですから。痛みをこらえて動くことが、いいリハビリにはなりましたけど(笑)。

鎌田 リハビリも、医師からちゃんと説明があってやるのと、不安の中でやるのとでは、効き目も違いますよね。

田中 手術してしばらくは大変でしたね。自暴自棄の絶望の中にいましたよ。まだ寒いとき、余分な毛布はくれないので、1枚の毛布にくるまって、じっと眺めていたのが、窓の外に見える桜でした。きざに聞こえるかも知れませんが、その桜が私に語りかけてくるんです。最初のうちは幻聴かと思ったんですが、それでも語りかけてくる。「俺だって寒さの中で苦しんできた。しかし、4月に花を咲かせ、みんなに喜んでもらうために、こうして頑張っているんだ。いま頑張らないと、4月に花を咲かせられないんだよ。おまえも頑張れよ」と。そのとき私は、「あぁ!」と思い直して、将来への希望と勇気が湧いてくるのを感じましたよ。それが生きる力になりました。

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