今日めげるのがもったいない。今日できることは、今日したいんです 「深見賞」受賞者 渡辺禎子さん・「佳作」受賞者 西山きよみさん × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成/江口 敏
発行:2014年1月
更新:2019年7月

「イザというときに読め」と主人から手渡された白い封筒

鎌田 西山さんは、2002年にご主人が先にB型肝炎から肝がんになった。サポートは大変でしたか。

西山 いえ、楽天的で面白い人だったので、そんなにつらい思いはしなかったです。つらかったのは最期のときだけです。

鎌田 「僕はカネ持ちじゃないけど、がん持ちだ」って言われたとか(笑)。

西山 それが自慢でした(笑)。

鎌田 オープンにしてがんと闘うご主人と一緒に、西山さんも共闘してたんだ。

西山 共闘なんて大層なことは、私はしてないと思います。塞栓療法をして1週間ほどはしんどいんです。子どもみたいに、「あそこさすれ」「ここさすれ」とうるさいんです。しかし、あとはケロッとしていました。

鎌田 ご主人は再発を繰り返し、2010年にいよいよ厳しくなった。そのとき、ご主人は遺言みたいなものを書いたんですね。

西山 はい。ちゃんとした白い封筒に入っていました。私、がん体験記のタイトルを「夫婦でがん」にしましたが、あとで「白い封筒」にすれば良かったかなと(笑)。

鎌田 「白い封筒」だったら最優秀賞だったかも(笑)。

西山 12回目の最後の入院の日の朝、白い封筒をくれました。「イザというとき読むんやぞ」ってくれたんです。すぐには読まなかったんですが、「イザ」がいつなのか、すごく迷いました。

鎌田 すぐには読まなかった。

西山 はい。まだ「イザ」じゃないですもの。このときも元気になって帰ってくると思ってましたから。最初、まだ読む必要はないと思いました。

鎌田 でも、ご主人がそれを書いたということは、何か覚悟をしてたんでしょうね。

西山 実は12回入院した中で、私が主人と一緒に主治医の先生のお話を聴いたのは、最初だけでした。2回目からは絶対に中に入れてくれなかった。だから、私は主人が先生とどういう話をしていたのか、まったく知らなかったんです。主人は覚悟していたんだと思います。

鎌田 奥さんをとても愛していて、絶対に心配をかけまいとしていたんでしょうね。

西山 愛していたかどうか、わかりませんよ(笑)。最後に「愛してる」って書いてくれたのは、最後のごまかしだったかも知れません。団塊世代で、そういう言葉を発するのは恥やと思っていた人ですから。愛なんてとんでもない。そんな言葉、一度も聞いたことはありません(笑)。

筆談の紙に小さな字で「きよみあいしてる」

鎌田 3人の子どもさんには、「お母さんを大切に」と書いてあったんでしょう。きよみさんには?

西山 何が書いてあるのかと思っていたんですが、私宛てには何もなかったんです。

鎌田 いつ読んだんですか。

西山 私が乳がんの手術をする直前、主人が亡くなる9日前です。私が手術をしたのが、2010年7月1日で、主人が亡くなったのが10日でした。

鎌田 それはご主人が「読んどけよ」と言ったんじゃなくて、ご自分がそろそろ読む時機かなと思った。

西山 そうです。私が手術入院をするとき、主人の先生から、「奥さんの入院は1週間ですね」って、何度も念を押されましたから。

鎌田 それで読んだ。どういうことが書かれていたんですか。

西山 まず最初に、「主治医の先生たちを信頼している」と書いてありました。それから、「ほかの患者さんに迷惑をかけるようなら個室に入れてくれ」とも。がんで亡くなる人が苦しむことを知っていましたからね。

鎌田 やさしい人だね。人のことを考えている。

西山 また、「延命はしないでほしい」とか、「葬式は家族葬でいい」とか、細かいことも書いてありました。そして、「携帯電話のメールアドレスに丸印が付けてある学生時代、会社時代の友人11名には、初七日ぐらいに連絡するように」と書き、さらに念の入ったことに、その連絡用の文章まで書いてありました(笑)。

鎌田 しかし、きよみさんにはひと言もなかった。

西山 それで私は、人工呼吸器を付けている主人に、「私には何もないの」って訊いたんです。その頃はもう筆談でしたが、渡された紙に弱々しい字で、「何も言わなくても、おまえはわかっているやろ」て書いてありました。そして、その紙をよく見ると、端っこにちっちゃな字で、「きよみあいしてる」って。私にはそれで十分でした。その紙は今もとってあります。私のこれからの一生のお守りです。

鎌田 西山さんの作品でもうひとつ感動したのは、結婚前の年賀状の話です。

西山 「これは僕からあなたに差し上げる最初で最後の年賀状です」と書いてありました。

鎌田 それは「結婚しよう」という意味なんだ。かっこいいね!

西山 もう黄色くなりましたが、今も持っています。

鎌田 いずれにしても、末期の肝がんと闘うご主人を支えながら、ご自身も乳がんの手術をされた。

西山 主人を見ていますから、私はがんの手術が少しも怖くなかったんです。全摘手術でしたが、「早くとって、とって」という感じでした。手術が終われば、主人の病床へ行けるわけですから。

鎌田 自分のことばかり考えているより、人のことを考えたほうが楽になれるってことは、ありますよね。その後の経過は?

西山 ホルモン阻害薬を飲むようになって3年になりますが、おかげさまで副作用もあまりなく、自分では大した乳がんではないと思っています。

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