あるがままを受け入れて、今一瞬を精一杯生きるだけ 杉原美津子 × 鎌田 實
犯人は法廷で土下座し 傍聴席に頭を下げた
鎌田 九州から山口、広島あたりを転々とし、その間に結婚しますが、協議離婚。長男mさんは妻が引き取るが、間もなく妻が精神疾患で入院。Mさんはmさんを養護施設に預けて、兵庫、大阪から静岡、神奈川を経て東京に出てきて事件を起こした。
杉原 事件当時は一見浮浪者まがいの格好をしていて、周りから唾をかけられるようなこともあったそうです。私も、浮浪者まがいの人に唾をかけるようなことはしないまでも、避けてどこかで軽蔑していたと思えば、私もそうした蔑みに耐えられなかった彼を事件に追い詰めた1人じゃないか、と思ったんです。私は彼を「加害者」呼ばわりできなくなった。バスの車内にともった灯りが家庭の灯りに見えたと語ったと聞いています。Mさんに対して憎しみが消えたのはそのときでした。
鎌田 それで実際、Mさんに会うために東京拘置所へ行ったんですね。
杉原 Mさんてどんな人なんだろう、本当に私は彼を憎んでいないのだろうか、それを確かめたかったんです。ただ、そのときはMさんに面会を拒否されました。でも、そのあとですぐ、Mさんからハガキが届きました。稚拙な文字で詫びる言葉が書かれていました。その後、私は公判の傍聴に行き、最前列に座るようになりました。極悪非道な顔をしてたら、私の気持ちも変わったでしょうが、Mさんは小さなしょぼんとした身体の、気の弱そうな人でした。
何回か傍聴するうちに、Mさんも私の存在に気づきました。あるとき、手錠をはずされたMさんは、突然床に土下座し、傍聴席に向かって「ごめんなさい」と頭を下げました。その後、閉廷になると、Mさんと私がお互いに無言で頭を下げてということが繰り返されました。「無期懲役」の刑が確定した後、私は弁護士とともに千葉刑務所にMさんを訪ねました。Mさんはぽつりと、「申し訳ありませんでした。痛かったでしょう」と言って、頭を下げました。やっぱりMさんは悪い人じゃなかった。
鎌田 ピュアな感じの人ですよね。事件を起こす前は、長男mさんを預かる養護施設に、何回も送金していたようですね。しかし、最後は刑務所で自殺されている。
杉原 今から17年前、彼は55歳でした。息子のmさんに会いたかったろうと思います。私はmさんが入所していた養護施設の当時の職員にもに会いましたが、消息はわかりませんでした。「もう結婚されているんでしょうね」と言うと、その方は「生きていればね」と言われました。息子にはなんの罪もなかった。だが、Mさんの息子という運命を背負って彼は苦しい人生を生きているのではないか���、私は息子のmさんに宛て手紙を書いたのが、この『炎を越えて』のそもそもの始まりでした。
いのちは生きようとして 生まれてくるのです

撮影:イシイヨシハル
鎌田 事件からの34年間は、杉原さんにとってどんな時間でしたか。
杉原 新宿西口バス放火事件当日、まったく偶然に西口を通りかかって炎に包まれるバスを撮ったカメラマンの兄との確執と和解、事件当時、恋人であった人と、事件後、結婚した彼との嵐のような日々、老年離婚した父母との葛藤等々、いろんなことがありました。NHKスペシャル『聞いてほしい 心の叫びを~バス放火事件 被害者の34年~』が2月に放映され、『炎を越えて』が7月に刊行されて、兄とも思いがけない再会をして、兄が撮った事件の写真が、炎を一気に越える力になりました。人を責めたことも、人から責められたことも、全部肯定できました。どんな苦しみも受け止められ、苛立ちがなくなりました。
鎌田 この雑誌の読者はがん患者さんとその家族です。がん患者さんにとっても、生きようとすることが大事ですか。
杉原 この34年間は無駄じゃなかった。生きてきたから私は変わることができた。その意味でもMさんも死んではならなかった。死を免罪符にしてはならない。いのちは生きようとして生まれてくるのですから。「がん」と宣告された時には予測していても、頭を殴られたような感じがしました。でも事件で死をすでに体験したようなものだったからか、死ぬことに怖さはないのです。人間にとって一生のいちばんの仕事は、次に生きる人たちに託すに値するものを探していくことだと思います。生きていくなかで、未知のことがあるということは、怖いことでもあるけれど、私はやはりどこかでワクワクしている。その先が死であって、死に至る苦しみであっても、それは私がまだ知らない世界です。何が待ち受けているかわからない。怖いことだけれど、私は今も未知の世界にワクワクしています。
「今一瞬」を精一杯生きたい
杉原 多くの人は死を深刻に考えているけど、私はなんとも思っていない。死までたどり着けば身体的な苦しみから解放されるし、心の葛藤もなくなる。事件後の34年は、死と背中合わせの人生が続いてきました。私には今一瞬から先はなにも保証されていない「未知」です。その現実のなかでのがん宣告でした。今あらためてまた、あと何日生きるか、どんな苦しみ方をして死んでいくのかわからない。でも怖くはない。私にできることはあるがままを受け入れて、今一瞬を精一杯生きることだけです。それだけでいい。
鎌田 それが杉原流の夢なんだ。そこからどんな作品が生まれるか、楽しみですね。
杉原 余命を宣告されると、もう死ぬのだから「買い物はしない」とか、「オシャレはしない」とか、「旅行には行かない」とか言う人が少なくないけれど、私は「生きているときしか買い物はできない、オシャレはできない、旅行に行けない」と考える。1度しか腕を通さない洋服があってもいい。私は死ぬぎりぎりまで輝いていたい(笑)。死がすぐそこに来ていても、夢がいっぱい。その夢の1つは、大阪から札幌まで、「トワイライトエクスプレス」という寝台特急に乗ってみたい。所要時間22時間、その豪華な寝台特急に乗って、いろんな風景を眺めてみたい。車窓に流れていく風景を追いかけて、私はなにを感じなにを考え、どんな原稿を書くのか知りたい。病院で終わるのだけではイヤです。お医者さんから、「あなたは生きてる間に、やりたいことやったからね」と言われ、素直に頷けました。
鎌田 愚痴ってる暇はない。
杉原 はい。
鎌田 なるほど、何か潔さを感じます。壮絶な人生に見えるけど、本人は1日、1日を大事に、丁寧に生きてきたんだ。炎を越えてきた人から、こんな前向きな話を聴くとは思いませんでした。ありがとうございました。

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