「ナノマシン」はがん細胞にとって「トロイの木馬」のようなもの 片岡一則 × 鎌田 實 (前編)

撮影●板橋雄一
構成/江口 敏
発行:2015年6月
更新:2019年7月


「ナノマシン」は敵陣に入る「トロイの木馬」である

静脈注射で血管内に投与された「ナノマシン」が
がん細胞にたどり着くまで

鎌田 がんと触れ合うと高分子ミセルが解けて、抗がん薬が働き出すんですね。

片岡 そこから先は「トロイの木馬」のようなものです。がんの中には抗がん薬の効きにくいがんもあります。例えば耐性がんとか、最近話題になっているがん幹細胞。これらはみんな、薬が膜を通って入ってくると、その薬を壊してしまったり、汲み出してしまう機能を持っているんです。だから、いくら薬をかけても効かない。

高分子ミセルはウイルスみたいなものですから、膜を通って直接がん細胞の中に入っていけない。どうやって入るのかと言えば、まず細胞膜を陥没させ、全体を細胞膜に包まれるような小胞体にして入り込んでいく。小胞体は人間にとっての消化器なんです。何か変なものがあるので取り込んで、中で消化してしまおうとするわけです。そこで高分子ミセルのほうを上手く制御して、小胞体の中のpHが下がって来たところで、高分子ミセルが壊れるようにしてあるのです。だから「トロイの木馬」のようなものなんです。

鎌田 なるほど。敵陣深く入り込んだところで、「トロイの木馬」の扉が開く。

片岡 そういうことです。がん細胞の核の近くで薬がわぁっと出てきて、効率よくがん細胞に侵入できるわけです。

鎌田 そうか。正常細胞の周りでは何ら反応しない高分子ミセルが、がんの近くのpHが低いところへ来て反応し、運んできた抗がん薬を働かせる。

片岡 細かいことを言えば、pHの低いところへ来て、高分子の構造が変化するから「ナノマシン」と名づけているんです。

鎌田 高分子の構造を壊し、違うものに変化させるわけだから、たしかに「マシン」ですね。そうすると、これまで正常な組織にも作用し、副作用が多くて敬遠されてきた抗がん薬の場合でも、ピンポイントで投与できる「ナノマシン」なら使える。

片岡 その可能性は十分あります。ただ「ナノマシン」、高分子ミセルによる治療はまったく新しい治療なので、その中に新薬を搭載するのは、現段階では難しいですね。ですから今、臨床試験を行っているのは、すでに一般的に使われている抗がん薬を使用しています。これで認可を受けられれば、次は開発途中で副作用が強くてドロップしてしまった薬などを使って試験を行う、第2段階に入ります。

水中で高分子と薬が結合し 高分子同士���自己組織化

鎌田 副作用を誘発することなく、抗がん薬でがん細胞を叩くことができれば、がん医療は大きく進歩することになりますね。最初から、がんの周辺の組織の状態と正常な組織の状態との違いに着目して、高分子ミセルを活用しようと考えたんですか。

片岡 最初は、高分子ミセルができたときに、直感的にそのサイズを測ったんです。そうしたら、50nmだった。当時、私は東京女子医大で研究していたので、周りにバイオ関係の研究者が多く、身近に「絵で見る生物学」といった種類の本があって、時々それを見ていたんです。そうした中にウイルスのイラストがあり、サイズは80nmと書いてあったのを覚えていた。高分子ミセルができたとき、「ああ、ウイルスと同じぐらいだな。これを使えばウイルスのように活用できるな」と思ったんです。

鎌田 高分子ミセルは高分子の間に薬を塗り込むということですか。

片岡 これは自己組織化と言うんですが、高分子と薬を水の中に入れるだけで、薬が高分子の枝に結合して、それによって高分子同士が自己組織化するんです。ですから、外から力を加えてカプセルのようなものをつくるのではなく、水の中に置けば自動的に会合していきます。高分子は条件によって会合するから、薬に会合の駆動力を持たせればいいと考えたんです。つまり、薬が引き金になって高分子が集まるわけです。

鎌田 膵がんの場合、がんの周りが線維化しているので、高分子ミセルのサイズを30nmぐらいにしてやると、薬が膵がんに到達しやすいそうですね。

片岡 そうです。最初は漠然と、ウイルスサイズでいいと思っていましたが、がんによってサイズを変える必要があることがわかってきました。多くのがんはウイルスサイズでいいのですが、手強いがん、つまり膵がんやスキルス胃がんは間質が多く血管が少ないので、薬が届きにくい。それでサイズを小さくする必要が出てきます。自己組織化でつくるシステムの良い点は、元の高分子の構造を変えることで、できてくる高分子ミセルのサイズを、精密にコントロールできることです。がんの組織には20~30nmぐらいのサイズがいちばんいいようです。

「ナノマシン」で転移を見つけ がん死亡率は下げられる!

鎌田 「ナノマシン」でがん患者さんを救うという研究は、世界的な競争になっているんですか。

片岡 「ナノマシン」の研究は薬の研究ではなく、薬は1つの部品です。新薬の開発といえば、新しい化合物、新しい分子を合成するという点に特化するわけですが、私たちにとっては薬は1つの部品であり、いろんな部品を積み上げて、1つのシステムをつくるわけです。そういう技術はもともと日本は得意です。「ナノマシン」の分野では、日本は世界のトップを走っていると思います。私たちはすでに臨床試験の最終段階・第Ⅲ相試験まで来ており、世界をリードしているのは間違いありません。

鎌田 動物実験は終わり、人間でも臨床試験をやってみて、現在、どんな結果が出ているんですか?

片岡 治験は第Ⅰ相試験から第Ⅲ相試験までありますが、最終段階の第Ⅲ相では、500人規模の患者さんで、既存の薬と「ガチンコ勝負」をしますから、この時点で企業側は100億円ぐらい使います。つまり、第Ⅲ相試験に行くかどうかは、企業にとって大きな決断なんです。ですから、見込みがないようなものについては、第Ⅲ相試験まで行きません。そういう点で、第Ⅲ相試験まで来ている「ナノマシン」は、かなり見込みがあるということです。第Ⅲ相試験も順調に進んでいます。

臨床試験が進んでいる 再発乳がん、膵がん

鎌田 具体例を挙げていただけますか。

片岡 例えば、転移・再発乳がんを対象疾患として、抗がん薬のパクリタキセル製剤群と高分子ミセルのパクリタキセルミセルの有効性・安全性を比較する第Ⅲ相試験が最終段階に入っています。

また、抗がん薬シスプラチンを内包したミセル化ナノ粒子製剤(NC-6004 ナノプラチン)の第Ⅰ相臨床試験も日本でスタートしています。このNC-6004は、すでに台湾・シンガポールで進行性膵がんに対する第Ⅱ相臨床試験が行われ、同試験の完了後に、膵がんの第Ⅲ相臨床試験が始まっています。さらに、他の適応症での第Ⅱb/Ⅲ相などのグローバル臨床試験に入る予定で、第Ⅰ相試験を行った日本も参画することになります。

鎌田 再発乳がんや膵がんの患者さんの期待は大きいでしょうね。いずれにしても、「ナノマシン」だと、抗がん薬の副作用もなく、よく効くわけですね。

片岡 そういうことです。動物実験では人為的につくったがんを抗がん薬だけで治療するケースがありますが、人間の患者さんの場合は、抗がん薬だけで治療することは少ないと思います。例えば手術をするとか、いろんな治療法を併用しますね。問題は転移です。転移があることがわかると、放射線とか重粒子線は使えません。手術も非常に難しくなります。というのは、転移があるとわかった時点で手術をすると、逆に転移を促進してしまうからです。

その一方で、もし転移がなくなれば、がんで亡くなる人はすごく減るわけです。「ナノマシン」のいいところは、実験でも明らかになっていますが、非常に小さな転移までも見つけてくれることです。見つけるだけでなく、転移しているがんのところまで行って、転移がんをやっつけてくれる。現在、転移を見つける方法としてイメージングがありますが、イメージングできないからといって、転移がないわけではない。

鎌田 MRIでもCTでも、映ってないから大丈夫ということではない。

片岡 「ナノマシン」は見えない小さな転移まで行く能力があり、あらかじめ転移を潰してくれる。その結果、5年生存率は伸び、がん死亡率も下げることができます。

鎌田 読者も「ナノマシン」に対する期待が膨らんできたと思います。「ナノマシン」によって医療の世界が変わるというお話は、次号で紹介します。

パクリタキセル=商品名タキソール シスプラチン=商品名ブリプラチン/ランダ

「『ナノマシン』は現在、臨床試験の最終段階・第Ⅲ相試験まで来ており、世界をリードしているのは間違いありません」と力強く語る片岡さんの話に聞き入る鎌田さん
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