間違った情報・考え方に対応できる批判的手法を持つことが大切 大場 大 × 鎌田 實 (前編)

撮影●板橋雄一
構成/江口 敏
発行:2015年10月
更新:2018年8月


近藤氏の乳房温存療法の問題点 腋窩リンパ節郭清の省略

鎌田 近藤さんは乳がんについて、できるだけ乳房を温存できる小さな手術を提唱されてきました。しかし、その件について、近藤さん自身が直接データを取って、英文の論文を書かれたわけではない。そこで大場さんはその元になる論文を追跡され、近藤さんの仲間である神奈川県O病院のA医師の論文に辿り着いたんですね。

その論文では、1,530例の乳がん手術に対して、536例が断端プラス(断端陽性=切除した乳腺組織の端にがん細胞が残る状態)だった。断端にがん細胞が残れば再発・転移を心配しますが、近藤さんの乳房温存療法の理論にしたがって、そのまま手術を終えても局所での再発は命に関係ないから大丈夫だという結論になっているんでしょうか?

大場 近藤氏は、「私の外来で乳房温存療法を選んだ乳がん患者さんは延べ3,000人おり、自分は乳房温存療法のパイオニアだ」と言っていますが、じゃあその3,000人の治療後の転帰はどうなっているのかを調べてみると、彼が乳がん患者さんを紹介していたO病院では、今、ご指摘になったような実態があったわけです。断端陽性の定義は当時と今とでは異なるので陽性の患者さんが多いことの善し悪しはひとまずおくとしても、患者さんの長期的な生存利益を考えた場合、いろんな問題がありますね。ただし、局所での再発に関してはO病院と近藤氏との間に考え方の違いがあるように思えます。

鎌田 インフォームド・コンセントをきちんとやり、患者さんが納得しているうえで、断端プラスの部分の追加手術も、腋窩のリンパ節郭清も行わないというのならいいんですが、どうもそうではなさそうだと。

大場 おっしゃるとおりです。近藤氏はインフォームド・コンセントに関する教育を、率先して熱心にやってこられたようです。にもかかわらず、乳房温存療法の選択については、「はじめにそれありき」で突っ走っている印象です。いわゆる「医療従事者の興味」だけを押し付けている感じがします。

鎌田 がん細胞がリンパ節に転移したり、乳管内進展があるような状態でも、術前の検査ではわからないケースもありますよね。そういう場合、現在のオーソドックスな乳がん治療では、前もって患者さんにどういう説明をされるんですか。

大場 私は現在、乳がん治療の現場から離れていますが、診断学の目覚ましい進歩がありますから、手術前にある程度、画像や組織検査で乳がんの進行状態が正確に診断できると思います。ただ、近藤氏が採用した温存療法にあまりにもこだわると、切除断端にがん細胞を残したり、腋窩のリンパ節への転移を見逃すことになります。

���田 乳房温存にこだわりすぎるとこういう結果になるという例として、O病院のA医師の論文を取り上げられたわけですね。近藤さんは慶応大学病院に勤務されていた当時、同病院で乳がんの手術を担当している外科チームと上手くいっていなかったため、相談に来た乳がん患者さんをO病院のA医師に紹介していたということですね。だから、O病院にものすごい数の症例が集まったわけですが、ほぼすべてが温存療法だったので、約3分の1ほどの断端プラスが生じていた。手術後に断端プラスとわかった場合、一般的に医師は患者さんにどう対応するんですか。

大場 やはり患者さんは局所での再発自体にもショックを受けますが、そこからの2次的な臓器転移も一番気にされますから、再発しないように、術後に放射線治療を行うわけです。断端にがん細胞が露出してるとわかった場合、可能であればもう一度手術を試みるとなどのいろんな情報を提供します。

鎌田 術中の病理診断によって、全摘手術に切り替えることはありますか。

大場 あくまでも私の個人的見解ですが、いきなり全摘に切り替えるのではなく、整容性を加味しながらもうひと回り大きく追加切除し、それでもどうしても断端にがん細胞が残る場合、次は全摘なのかなと思います。もちろん、手術前にはそのリスクについても充分な説明をしておきます。言いたいのは患者さんが温存療法を希望したからといって、全員に温存手術が成り立つわけではないということです。

近藤氏がデータを活用したO病院の不誠実さ

鎌田 O病院では手術前に、腋窩のリンパ節にがん細胞がプラスと出ても、結局、リンパ節をしっかり郭清しないで手術は終わっていたようですね。

大場 私は断端プラスの状態を軽視していたことより、臨床的に腋窩リンパ節転移陽性の患者さんに対して郭清を勝手に省略していたことのほうが問題だと思います。当時はまだエビデンスがほとんどなかった時代ですから、多分、個人の主観で郭清が省略されていたと思うんです。ですから、今、学会で発表される報告を聞いても、O病院から出て来るデータに違和感を抱いている医師は少なくないのではないでしょうか。つまり、O病院はもともと、患者さんの納得を軽視して実験的な治療を押しつけてきた歴史があるように思えます。そうでないと当時わからないことばかりであったのに腋窩リンパ節郭清を勝手に省略することは臨床医の倫理観としてはできないと思うんですが。

鎌田 よく追跡されていますね。

大場 問題はそれだけではありません。なぜ私がそこまで調べていったのかと言えば、近藤氏の本の中にも書いてありますが、O病院が患者団体に訴えられたのでO病院への紹介を別の病院に切り替えたようなのです。それがまた外科医たちへのさらなる不信を生んだ、ということが書いてあるんです。そこで、何があったのか、詳しく調べてみると、腋窩リンパ節郭清を省略しているにもかかわらず、郭清を含めた手術点数で患者さんに治療費を請求していた。また、患者さんへのインフォームド・コンセントなしに、保険適用外の治療を勝手に行い、患者さんに二重請求していた。全体で億単位の水増し請求が行われていたようなのです。

鎌田 それはひどいですね。

大場 その不誠実な実態が発覚して告訴されたようですが、その先の詳細は不明です。結局、近藤氏が診てきた3,000人の乳がん患者さんの大半がO病院のA医師の手術を受け、その長期フォローがデータとして近藤氏から示されてないにもかかわらず、治療数だけを以って彼は乳房温存療法のパイオニアと名乗っているわけです。私の臨床医としての常識からすると、この状況を看過することはできないと思いました。

自分の人生観で治療の選択をすることがあっていい

鎌田 私は15年前に『がんばらない』という本を出していますが、その「がんばらない」というニュアンスは、どちらかと言えば、「がんと闘うな」といった近藤さんの考え方に近いと思います。

日本のがん治療の歴史の中で、「何でも切ればいい」という時代があったのは事実です。乳がんでも、肋骨まで剥き出しにして手術をするとか、腋窩リンパ節郭清をやり過ぎて腕が太腿のようにパンパンに腫れるとか、そういうひどい症例を何例も見てきました。今にして思えば、それはやはり間違っていたんじゃないかと思うんです。大場さんが腋窩リンパ節郭清を省略するのは問題だとおっしゃるのは、今の時代も、腋窩リンパ節にがん細胞があれば郭清するのが常識だということですか。

大場 エビデンスの積み重ねによって、腋窩リンパ節郭清も場合によっては省略できるのではというトピックが出始めており、何でも拡大して切除する時代は終焉を迎えつつあることは確かです。また、振り返ってみれば、郭清を省略できた多くの患者さんもおられたと思います。ただ、腋窩リンパ節にがん細胞があるかもしれないのに、郭清を省略してもよいということに関してはまだ明確なコンセンサスは得られていないのが実情です。

鎌田 がん治療の大事なところは、そのあたりの考え方だと思いますね。リンパ節に転移があったら郭清したほうがいいという理論が一方にあり、他方には郭清しなくてもある程度再発しないという理論がある。自分の人生観によって、いろんな選択をする患者さんがいてもいいと思う。次号では「がんとの賢い闘い方」について伺いたいと思います。

「近藤氏のようなセンセーショナルな言論活動は一般の方のがんリテラシーを停滞させ、がん患者さんを誤った方向に導く危険性がある」と話す大場さん
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