こんなに望んでくれていたら、生きなきゃいけない 阿南里恵 × 鎌田 實
子宮全摘手術の直前に 家出して大阪から東京へ
鎌田 大阪の病院では、まず化学療法をやったんですね。抗がん薬はつらかった?
阿南 初めて味わった副作用、とくに吐き気、発熱、だるさがつらかったです。副作用のせいで、そのまま死んでいきそうな感じでした。マンション販売会社で頑張っていたとき、すごい成績上げて稼いで、自分の人生は自分のものだと、人間的に調子に乗っていたんです。それが病院で抗がん薬治療のとき、チャイムが鳴ると食事のお盆を取りに行くんですが、歩けないんですよ。「どうしよう」って思ったとき、看護師さんがパッと取って、「ここへ置いとくね」と持ってきたんです。そのとき、「ああ私はご飯さえ取りに行けなくなったんだ」、とものすごくショックでした。そういう期間が2カ月弱ありました。
鎌田 抗がん薬でがんを小さくして、全摘手術ですね。
阿南 最初は、「手術できるかどうかわかりません」という状況でした。
鎌田 手術前の説明ではステージはいくつでしたか。
阿南 「Ⅲ(III)かも知れない」と言われていたんですが、結果としてはⅡ(II)bでした。
鎌田 リンパ節への転移もあったけれど、全部取ったわけですね。「子宮全摘手術」と言われたときは、どんな気持ちでしたか。
阿南 言われたときは、それほどショックではなかったです。手術が近づいてくると急に怖くなって……。子宮を失うということは、人生が変わるということなんです。私は20代は思い切り仕事をして、30代は子育てをしようと考えていました。それが子育てができなくなれば、一生仕事しかなくなるわけです。それを納得して受け入れなきゃならない。そう考えたら、すごく怖くなって東京へ家出したんです。
鎌田 手術の直前に。
阿南 手術入院は決まり、あとは時間の連絡を待つだけの状況でした。連絡が来る前日ぐらいの家出でした。
「生きなさい!」 母のメールで手術に向かう
鎌田 阿南さんは高校時代まで、不良少女と言ってもいいぐらい、すごいやんちゃですよね。夜、家を抜け出して、朝まで遊ぶ。その頃から自由とか自立とかいった気持ちが強かっただろうか。
阿南 中学2年までは、ものすごく抑えつけられて育ったんです。その反動が強くて、自由になりたい、認められたいという気持ちがすごくありました。夜、仲間たちと一緒に遊んでいると、自分がありのままでいられたんです。中学3年生から、わが道を行くという感じでした。
鎌田 子宮全摘におののいて東京に家出したあと、がんとの闘いの戦線に戻ったきっかけは何だったの?
阿南 母親から届いたメールの���ッセージです。それまでは母とすごく仲が悪く、「親って何なんだろう。東京で成功して親と縁を切ろう」と勝手に考えていたんです。そして、子宮全摘手術を前に東京に家出をしたときは、「子宮を失うことは人間としての価値が減ることだ。そんな人間が手術をしてまで生きていく価値があるのだろうか。だったら、子宮を残して死んでしまうのも選択肢の1つだ」と、本当に思っていたんです。手術を受けることに対する答えが見つからなかったんです。
それに対して、母が「子宮を失うどうこうじゃない。他の誰よりも強くあなたは生きなさい!」というメッセージをくれたときに、「私は23年間、一体、何をしてきたんだろう」と、すごく後悔したんです。そこで、「こんなに望んでくれていたのなら、生きなきゃいけない。手術を受けよう」と覚悟が決まり、次の日の新幹線で大阪に帰りました。
闘病中に体力が落ち 復帰した会社を退職
鎌田 帰って良かった?
阿南 良かったです。母との関係ががらっと変わりましたから。
鎌田 病気とも真正面から向き合えるようになった。
阿南 そうですね。ただ、本当につらかったのは、治療が終わってからです。職場復帰が心の支えでしたから。
鎌田 あのマンション販売会社に戻ろうとしてたんだね。そのために、術後の放射線治療は東京の病院で受けた。放射線治療で苦しかったことは?
阿南 下痢が強くて、家から病院へ行くまでに、必ず2回はトイレに行くんです。そうなると、知らない場所のトイレには行きたくなく、場所がわかっているトイレにしか行かなくなるんです。それが当時はすごく困りました。
鎌田 放射線治療が終わったあと、その会社には戻れたの?
阿南 戻ったんですが、闘病中に体力が落ちていて、朝9 時から終電まで働くという、以前のようなハードワークはできなくなっていました。
鎌田 復帰を歓迎されたけれど、体力的に辞めざるを得なかったんだ。その後勤めた企業でも、社員全員にメールで自分のがんを告白するなど、悲しい思いをしたとか。
阿南 時々身体がむくんだり、熱が出たり、体調が悪くて休むと、白い目で見られるんです。ですから、がんであることを伝えたんです。
鎌田 納得してくれた人もいたけど、嘘じゃないかと疑う人もいたんだね。
阿南 私は普段は元気に見えますので、がん患者に思われないんですね。いちばん身近な先輩から、「忙しい時期に休むね」と言われたときに、その会社でやっていく自信を失ったんです。誰が悪いわけではないけれど、悲しかったですね。静岡県立静岡がんセンターの調査では、会社を辞めたがん患者さんの理由の1位、2位は「自信を失った」「迷惑をかける」でした。私と全く同じで、私は救われた気がしました。
妊娠・出産能力を失わない妊孕性温存療法の普及を
鎌田 阿南さんは7年ほど前に、知人から資金を借りて、グローバルメッセージというイベント会社を設立し、イベント派遣やパーティの企画運営を手掛けていましたが、現在は?
阿南 開店休業中です。恵まれていたのは、資金を貸してくれた人がすごく良い人で、「返せるときに返せば良い」と言ってくれてます。現在は、不動産会社でアルバイトをしながら、特定非営利活動法人・日本がん・生殖医療学会の患者ネットワーク担当をボランティアで行っていますが、この4月から、完全に建築の業界に行こうと考えています。
鎌田 平成24年頃から一時、日本対がん協会の広報を担当していましたが、それもボランティアだったの?
阿南 いえ、それは契約職員でした。でも、一生がんの仕事に関わるつもりはなく、手術から10年経ったら、違う業界でもう一度自分の人生をやり直したいと思っていたんです。
鎌田 潔いねぇ、かっこいい。
阿南 ですから、今、就職活動中なんです。建築の業界は全く未経験ですから、そんな34歳の女性を採ってもらうというのは、すごい大変です。
鎌田 そうかぁ、面白い人だね。いいなぁ。でも、この10年、阿南さんが半ばボランティアとして取り組んできた、がん患者さんが仕事とどう共生していくかという問題、そして女性が主ですが、がん治療によって妊娠・出産能力を失わないようにする妊孕性温存療法の普及の問題などは、とても重要なテーマだと思うね。
阿南 妊孕性温存療法は日本では、まだお医者さんにも十分知られていないのが現実です。しかし、患者さんがそのことを知っている、知らないが、その人の人生を左右します。妊孕性の問題は子宮や卵巣を失うことで起きるだけでなく、乳がんや白血病の患者さんも、抗がん薬の影響で妊孕性を失うこともあります。そのことが患者さんによく伝えられていないケースがあるんです。妊孕性温存の問題は、患者さん側とお医者さん側が協力して周知していくことが大事だと思います。
ただ、それは実は私たちの2番目の目的なんです。どんなに妊孕性温存の医療が進み、情報が広がったとしても、多分、妊孕性を温存できない患者さんのほうが多いと思います。ですから、私たちの1番の目的は、その人たちには心の苦しみがあるということを、医療者の皆さんに知ってもらうことなんです。現在のがん医療ではそこのケアが何も行われていないんです。そこで私たちの学会では、そこに医療心理士を介在させることを考えています。
鎌田 阿南さんには、そこにも関わっていってほしいね。いずれにしても、一度だけの人生だから、自分を大事に、納得できる道を突き進んでほしいと思います。

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