鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 弁護士・日隅一雄さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:板橋雄一
発行:2012年5月
更新:2013年8月

東電の隠蔽体質を知り退くに退けなくなった

鎌田  昨年の4月頃に下痢症状が出たということですが、3・11の時点でも、決して体調は万全ではなかったと思うんです。しかし、弁護士の仕事を持ちながら、原発事故の問題に食らいついていった。なぜなんですか。

日隅  最初、インターネットで東電の記者会見の様子を見ていて、これは何なんだと思ったんです。記者のほうからの追及的な質問はなく、まるでレクチャーを受けているような感じでしたから。それで東電の社長に、「ちゃんとした記者会見をやれ」という、内容証明付の手紙を出しました。その日、記者会見場へ行ってみたら、記者でもないのにすんなり入ることができ、質問までできました。それで、自分が質問したほうが早いと思って、毎日、会見場に顔を出すようになったわけです。

それで毎日、いろんなことを聞き始めたら、重要なことは何も答えないし、誤魔化して嘘をつく。それがわかったものですから、退くに退けなくなってしまった。マスメディアは次から次へと新しい事象が発生するものですから、前に質問して回答がペンディングされている大事なものも、どんどんこぼしていくんですね。私たちは大事なことをしつこく聞けるわけです。歴史的に重大なことが起きているのに、まともな情報が出てこない。そのことを知った以上、フリーな立場で聞ける私たちが会見場では本当の情報を引き出す役割を果たさざるを得ないと思いました。マスメディアは会見場の外で情報を取る努力をしていたと思いますが……。

鎌田  記者会見場でオレンジのジャンパーを着て厳しい質問をする日隅さんは、「オレンジ」と呼ばれて、注目を浴びたようですね(笑)。

日隅  最初は東電の担当者がニックネームで呼ばれて、彼らが主役でした。私たちフリーや大手メディアの一部記者が批判的な質問をすることによって会見をインターネットで生視聴している人たちの見方が変わってきたように思います。

鎌田  弁護士の仕事をしていれば、食べるのは何とかなると思いますが、そんな一銭の得にもならないことに突き進んでいったのは、義憤ですか。

日隅  政府・東電側のいい加減さ、隠蔽体質を知ってしまったら、退くに退けないですよ。例えば、100ミリシーベルトは健康的に安全だという議論がありましたが、あの席で私が原子力安全委員会の人に厳しく質問し、食い下がらなかったら、100ミリシーベルトで安全だという論理が今でもまかり通っていたかも知れません。

「大丈夫だ」と言い続けた政府・東電の責任は重い

鎌田  原発については、もともと反対する哲学のようなものを持っていたんですか。

日隅  私は原発について、まったくの素人でした。ただ、2005年にイギリスのセラフィールドで起きた放射性物質漏れ事故などは、日本ではほとんど報道されていないわけです。海外のことでさえ報道されないという隠蔽体質は問題だと思っていました。また、私たちが払っている電気料金を使って、原発推進広告を行っているのはおかしいとも思っていました。それを差し止める訴訟はどこかの時点でやりたいと考えていました。

鎌田  日隅さんが記者会見を見ていて、いちばん最初におかしいと思ったことは?

日隅  従業員の健康被害のことです。きちんと対応ができていない感じがしました。現場の放射線量を出せと言っても、全然出てこない。東電は真剣に長期的な事故対策を考えているのかと疑問に思いました。

鎌田  全電源が喪失してベントができない状況下で、手動でベントするために6人の決死隊が、自ら志願して乗り込んで行きましたね。マスコミは、決死隊が行かなければ、もっと大きな事故になっていたと、浪花節的な報道をしましたが、私は、決死隊の職員がきちんとリスクを承知して行ったのか、あやふやなまま行かされたとしたら、非常にまずいことだと思いましたね。

日隅  私たちに十分な情報が提供されなかったように、現場の職員にもちゃんとした情報が提供されなかったかも知れませんね。ひどかったのは、「放管(現場で放射線量の測定や防護の指導を行う放射線管理員のこと)を明日から現場に行かせない」と発表したこともあるくらいです。私たちが「それは規則違反ではないか」と指摘したため、その次の会見で訂正されましたが、東電の当初の対応はひどかったですね。

鎌田  菅首相が早朝、東電に怒鳴り込んだり、マスコミの人間が東電の関係者からメルトダウンの情報をいち早く聞き、家族を関西方面に移動させたという噂話が出たりしましたが、メルトダウンらしきことが起きたことは、政府や東電の一部はわかっていたはずです。それを「大丈夫だ」と言い続けた責任は重い。

炉心溶融を認識していた記者会見場の記者たち

日隅  記者会見の現場では、メルトダウンを前提にして話していましたよ。現場の記者は分かっていたはずです。

鎌田  マスコミは最初、溶融という言葉を使いましたね。しかも、溶融まではいかず損傷だという詭弁を使っていた。メルトダウンという言葉は、崩壊していくイメージがあるためか、意図的に使わなかった感じを受けますね。

日隅  東電は、保安院が溶融を否定したあとも、ある時点まで溶融を認めていました。しかしその後、保安院と方向性を揃える形で損傷という表現をするようになりました。メディアもそれに引きずられていったわけです。記者会見の現場にいたメディアの人間は、みんな溶融していると思っていたのに、それが記事に反映されないところが、日本のメディアの限界ですね。

鎌田  3月14日の時点で、福島第一原発の正面ゲートで、約8000ミリシーベルト/時の放射能を感知していたんですが、溶融して洩れていないかぎり、そんな数値は出ないんです。しかし、メルトダウンを認めようとしない。それを認めていたら、子どもたちだけでも、20キロ圏外に避難させる対応ができたはずです。さらに言えば、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の1回目のデータが11日の夕方ぐらいには出て、12日にはファックスで何カ所かに流されていたんです。ちゃんとオープンにして、注意を喚起するとともに、子どもたちだけでもできるだけ圏外に離しておくというのが、国の危機管理だと思うんです。

日隅  そういう意味では、国は犯罪的ですし、メディアも共犯ですよ。結果がわかっているのに、なぜできなかったか。原子力村の人たちが、原発を存続させるために、そんなに大変な事故ではないと思わせたかった、としか思えませんね。

原発事故の情報の出し方は、がんの告知に似ていると思うんです。余命が3カ月しかないのに、余命1年と言われたら、患者さんは対応できませんよ。今回はこの地域は危険だという、がんの情報と比べたら非常にわかりやすい情報ですから、なぜ開示できなかったのか、不思議ですね。

日本を良い国にする原発事故の真相究明

「福島の人たちの声を一緒に聞きにきましょう」と日隅さんを誘う鎌田さん

「福島の人たちの声を一緒に聞きにきましょう」と日隅さんを誘う鎌田さん

鎌田  飯舘村ではいちばん多く放射能が降った3月15日頃、20キロゾーンから避難してきた人が大勢いて、飯舘の人たちは避難してきた人たちのために、屋外で一生懸命炊き出しをやっていたそうです。たくさんの放射能を浴びた可能性がある。SPEEDIのデータを開示していれば、そういうことにはならなかったはずですよね。

日隅  政府はミスで発表できなかったと言っていますが、そんなことはあり得ない。

鎌田  やはり、原発を残すために、オブラートに包んで甘い情報を開示したんでしょうね。最後に、日隅さんはなぜ『検証福島原発事故・記者会見』を書こうとしたのですか。

日隅  昨年、原発事故関連のあるフォーラムの席上、ジャーナリストを目指している学生が、「いくら何でも東電は嘘をつかないでしょう」と言ったらしいんです。「いや、大きな事故だからこそ嘘をつくんです」と思うんですが、そういう感覚の人にジャーナリストになってもらっては困ると思い、記者会見を記録にとどめておく必要があると考えたのです。

鎌田  昨年末に原子炉冷却が完了したとして、事故収束宣言が行われ、東電での記者会見も行われなくなりましたね。

日隅  これで追及を終わりにしたら、政府・東電の筋書きどおりになります。私たちは、これからも隠されている正確な情報を出させ、なんでこんなことになったのか、また2度と事故を起こさせないよう、真実を追及していく必要があります。

鎌田  それをきちっと行えば、この国は変われますか。

日隅  変わるチャンスだと思います。現在の日本は、大事な情報を国民は知らされていないし、メディアも伝えない。日本の民主主義はむしろ退化しています。原発事故の真実を厳しく追及し、明らかにすること、そして原因を解明し、その改善策を検討することによって日本を良くすることができるはずです。

鎌田  今、福島の人たちは震災の被害のみならず、目に見えない放射能と、風評被害に直撃されて、二重苦、三重苦に苦しんでいます。何を信じていいのか、わからない状況ですよ。放射能については絶対的な正解はないのかも知れませんが、少なくとも政府は、より正しい情報を示し、議論のプロセスをオープンにして、きちんとした指針を示す必要がありますね。

日隅  私も福島の人たちのお話を聞きたいと思っています。

鎌田  そうですか。こんど私がそういう場をつくりますから、ぜひご一緒しましょう。

(構成/江口敏)

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