鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 龍谷大学社会学部教授・池田省三さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實
人間の欲求を理論化したマズローの欲求段階説
池田 山口市と防府市にあるデイサービスセンター「夢のみずうみ村」では、そこでしか通用しない「ユーメ」という地域通貨をつくっています。それがないと、お茶1杯、飲めません。つまり擬似的な経済活動を組み込んでいる。これは認知症のリハビリにすごく役立ちます。
鎌田 そこでボランティア活動をしたり、働いたりすると、ユーメがもらえるわけ?
池田 そうです。ユーメの預金通帳も銀行もあります。それどころか、カジノもあります。カジノは午後3時から始まりますが、ユーメを賭けたルーレットやおいちょかぶなど、ものすごく盛り上がり、施設内がいちばん活性化するときです。
鎌田 面白そうですね。やはり、ケアプランをつくるケアマネージャーが、人間味のあるプランをつくらないとダメですね。実際は、1日1回訪問介護に来てもらい、週2回デイケアに出て、月に5日間ショートステイに入って、といった画一的なプランをつくっている。
池田 人間の欲求を理論化した「マズローの欲求段階説」では、まず①食べる・寝る・排泄するなどの「生理的欲求」があり、次に②「安全の欲求」、③「所属と愛の欲求」、④「承認(尊重)の欲求」があり、いちばん上に⑤「自己実現の欲求」があると定義されています。
福祉系のケアマネージャーはケアプランをつくる際、③④あたりは考えますが、最低限の欲求である①②をほとんど考えない。在宅介護では①②あたりは家族がやるものと考えて、家族に押しつけているか、本人に我慢させている。人間の基本的な欲求を満たさないで、高度な欲求が満たされるわけがない。
矜持と誇りがなくなれば人間お仕舞い
池田 私がよく使うのは、「自助・互助・共助・公助」という言葉です。自助は自分ががんばること。互助は家族・隣人・友人が助け合うこと。共助は昔の日本で言えば「ムラ」、ヨーロッパで言えば「教会」、システム化したコミュニティの助け合いです。社会保険はこれに相当します。公助は社会扶助で、福祉の措置や生活保護など社会福祉政策です。介護保険は共助の部分を担うもので、自助、互助はもちろん、公助でやるべきことは公助で担わなくちゃいけない。
鎌田 4つの助けはそれぞれ大事で、それが上手くかみ合って、人間の尊厳が守られる社会を築いていくことができる。しかし、共助の介護保険をあれだけ苦労してつくったのに、それによって自助、互助、公助が薄くなっている。それが池田さんを苛立たせているんだ。
池田 自分で選択し、自分で責任を取るからこそ、人間の矜持、誇りがある。それを捨てたら、人間お仕舞いです。自助は自助で、互助は互助で、公助は公助でやらなくてはならない。それを全部介護保険に背負わせ、介護保険もブラックホールのように全部受け入れてしまった。
鎌田 池田さんが進行がんの患者さんになって医療の世界と介護の世界を見たとき、日本では、介護の世界よりがん医療の世界のほうが、現段階では少し形が進んでいますか。
池田 月とスッポン、提灯に釣り鐘です。医聖ヒポクラテスから2500年と、特別養護老人ホーム創設から50年の違いは、ものすごく大きい。
鎌田 私は36年間、地域医療に携わってきましたが、医師として介護にも関心を持ってやってきました。その立場から言うと、地域の医療・介護において、1つのピラミッド型の構造ができていて、頂点に医師を中心とした医療があり、その下の第2層に看護があり、最下層にいちばん人数が多い介護がある。しかし、患者さんの家族がどの分野にいちばん感謝しているかといえば、やっぱり介護なんです。
超高齢化社会を前に、このピラミッドをどうにかして逆三角形にして、介護に携わる人たちがもっと生き生きと仕事ができる態勢にしなければならない。介護の人たちが生き生きと働く中で、患者さんに熱が出たとか、具合が悪いとか、床ずれができたというときに、第2層の看護が出て行き、緊急の場合には夜中であろうと医師が出て行く。そういう構造ができれば、地域のいのちを守る態勢が整う。
おばあちゃんを再起させたケアマネジャーの感性
池田 介護はチームワークで行う仕事です。そこには指揮者が必要ですが、それが医師である必要はまったくない。医師はどちらかといえば、ティンパニーを叩くようなもので、本来、それほど出番は必要ない。しかし、指揮者になるべき人がいない。ヨーロッパの場合、指揮者は看護師です。日本では看護師に代わるケアマネージャーをつくったわけですが、その役割を果たすまでにいっていない。
鎌田 私の患者さんで、慢性呼吸不全で在宅酸素療法をしていた元気なおばあちゃんが、ある日、玄関で転んで大腿骨頸部骨折になった。私は往診に行って、明るい話をしたり、笑わせたりして、元気づけていたのですが、「もう死にたい、死にたい」と言うようになっていた。そこへ、若いケアマネージャーがケアプランをつくるためにやってきて、おばあちゃんと話をし、私に電話してきました。「おばあちゃんは酸素ボンベを転がしながら、家族とラーメンを食べに出かけようとしていて、玄関で転んで骨折した。もしかしたら、ラーメンを食べさせたら、元気になるかも知れない。先生の病院の食堂で、おばあちゃんにラーメンを食べさせるというケアプランをつくったから、先生も協力して、一緒にラーメンを食べてください」と言うのです。
その予定の前の日に大雪が降りましたが、その日は快晴でした。病院の食堂から見ると、新雪を戴いた八ヶ岳がパノラマのように広がっていました。しかし、道路には雪が残っていますから、もしかすると、おばあちゃんを連れてくるのは無理かな、と思っていたのですが、ケアマネージャーの青年はおばあちゃんを背負ってやって来ました。3人で八ヶ岳のパノラマを眺めながら、ラーメンを食べました。すると、その後、おばあちゃんは立ち直り、ヘルパーが訪問看護をする回数がどんどん減っていったのです。ケアマネージャーにきちっとした感性があって、能力が高いと、こういう好結果を生むんだなと感動しました。
池田 素晴らしいケアマネージャーですね。まず、おばあちゃんが「死にたい」と言った原因をつかむことが大事だ、ということがわかっている。そして、その原因からちゃんとした解決策を導き出したという点がすごい。ただ、背負ってきたのは、あまりにもクライアントを抱え込みすぎ(笑)。しかし、そういうケアマネージャーが増えてくれば、日本の介護はコペルニクス的転換が起こりますよ。
鎌田 そういう意味では、池田さんが10数年前に全力投球してつくられた日本の介護保険は、まだ魂が入っていない?
池田 日本の官僚は非常に優秀で、とてもいい制度や法律をつくるのですが、「仏つくって魂入れず」みたいなところがある。
「クーラの神話」とは
池田 古代ローマに「クーラの神話」という話があります。ある日、女神クーラが川を歩いていて泥を見つけ、その泥をこねて人間の形を造った。そこにゼウスがやってきたから、クーラは「これに魂を吹き込んでくれ」と頼みます。ゼウスに魂を吹き込まれ、人間が生まれた。その後、2人の神の間で諍いが起きます。クーラは「私が造ったから、私のものだ」と言い、ゼウスは「私が魂を入れたから、私の支配下にある」と言う。そこへ大地の神である女神テラがやって来て、「私の身体である泥を使って造ったのだから、私のものだ」と言い、3つどもえの争いになり、公正さで知られる農業の神サターンに裁いてもらおうということになりました。サターンは「生きている間はクーラのもの、死んだら、肉体はテラに返し、魂はゼウスに返す」と決めた――。これが「クーラの神話」です。
人間が生きてる間はクーラの支配下にある。このクーラはラテン語でケアといいます。心配とか、いたわりとか、気遣いとか、多義的な意味を持ちますが、現代のケアの語源です。つまり、人間は生きている間、赤ちゃんのときから死ぬ直前まで、ずっとケアに支配されている。イタリアでは、介護のことを今でもクーラといいます。
死ぬ前にケアから解放され人間は自由になる

鎌田 がんになってもケアされる。
池田 ケアされる者はまた、周囲の人をケアしている。最後の最後に、ケアから解放されて、それを突き抜ける。それがターミナルだと、私は思っている。
鎌田 ターミナルは解放されることなんだ! 自由になるということ?
池田 私はそう思います。
鎌田 じゃあ、池田省三が万一進行がんが進み、最後を迎えることになったとしても、それはケアから脱出して┅┅。
池田 全くの自由になるということ。そういう日が、いつか来る。理屈屋の池田さんが言うと、理屈になっちゃうかもしれないけど、本気でそう考えています。
鎌田 私は、ホスピスを回診していますから、すごくよくわかる。
池田 1つだけ、夢があるんです。ケアから解放されて自由になったとき、私は臨死体験をする。きれいなお花畑で、父と母が迎えてくれる。至福の一瞬でしょうね。そして私は消え、至福の瞬間は永遠になる┅┅。
鎌田 それは楽しみですね。介護保険の生みの親の池田さんから、そういう話が聞けるとは思いませんでした。池田さんにはこれからも、介護保険に魂が入るよう、言うべきことをどんどん言ってほしいと思います。池田さんが治療を受けている病院は肉体だけでなく魂も大事にしてくれているようですが、日本の医療のすべてのところで充分に肉体と魂の両方のケアが行われていません。がん医療の空間も、もっと魂を大事にしたいと思います。クーラの話、参考になりました。ありがとうございます。池田さんが魂を入れて書いた新しい本『介護保険論』を読ませていただきます。
(構成/江口敏)
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